私にとって五條は奈良・京都への単なる通過点でしたが、今回の研修で大変歴史的由緒のある地域であることを認識しました。旧紀州街道、伊勢街道、大和街道等五つの街道と紀ノ川から吉野川へ通じる物資の輸送路を抱える起点とも言える戦略的な政治の中心地であったことが伺われました。そのため幕府の代官所が置かれ、天領(周辺幕府領)を支配する政治の中心地であったそうです。
写真は江戸末期に五條代官所の長屋門であった建物で現在は民俗資料館として利用され、五條を明治維新の先駆けとした「天誅組」の活躍等が紹介されています。
五條の古い町並みは「新町通」と呼ばれ旧紀州街道沿いにあり、江戸時代や明治時代の建物が90楝余り確認されています。写真は慶長12年(1607年)の棟札があり、日本最古の民家と言われている重文「栗山家住宅」です。
明治末期五條市から十津川を経由して新宮までを結ぶ「五新鉄道」の建設熱が高まり、昭和12年から着工され、吉野川横断の橋脚、生子トンネルの貫通まで至りましたが、太平洋戦争がはじまり中断、戦後再開され五條~城戸間の路盤工事が完成、軌道敷設等の工事を残すのみとなりましたが、経済社会情勢の悪化によって中断、完成は夢となりました。現在、跡地の一部は路線バス用道路や「大阪大学コスモ観測所」等に利用されています。平成9年にカンヌ映画祭新人監督賞を受賞した映画「萌の朱雀」は、五新鉄道と西吉野村の雄大な自然等が描写されています。切断された橋梁に胸を打たれます。
五條研修お疲れさまでした。
五條市をとても簡潔に分かり易くご紹介していただきありがとうございます。
五新鉄道は夢とはなったものの何時の日か正夢になるのでしょうか・・