江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

わが故郷(1)ー集落の中央を流れる川ー

2024-10-09 | 随想
先日、秋の彼岸に実家の墓参りに行った。
父母が亡くなってからは春秋の彼岸と夏の盆の時期に足を運ぶ程度になってしまった。

私が生まれたのは、下総台地に入り組んだ谷の一部で典型的な谷津の地形をなしている小さな集落である。


集落の中央を流れる小川を挟んで水田が広がり、崖を背にして住宅が立ち並んでいた。
その川で私たち子どもは魚を獲ったり川遊びをしていたものだ。
また、家の裏には清水が湧き、サワガニがいた。

当時の我が家では飲料の他に二つの池を維持する程の水量があり、余分な水は隣地との間を流れる細い水路に流れ込み、最後は集落の中央を流れる川に合流するのであった。
さらに、その小川は何本もの川と合流して最後は利根川へ流入していた。

因みにその合流後の川はその後、成田空港の建設に伴い空港関連施設からで出る排水のための水路にすべく拡幅され元の川とは全く別の顔になってしまった…。


我が家の池は例年夏に池の水を抜いて掃除していたが、時々そこからウナギが獲れたのを覚えている。
結構な大きさだったので産卵前の成魚だったに違いないが、今思うによくもそこまで上って来たものだと感心する。
それだけ当時の河川の水は綺麗だったのだろう。


こうした現象も1964年の東京オリンピックの頃から見られなくなってきたように思う。
それまで適度に曲がりくねって流れていた小川は、耕地整理に伴い川幅も一定の直線化されてしまった。

さらに次にやって来たのは農業用水の大規模化で、利根川からポンプで水を汲み上げて大量に水田へ送って来たのである。

もはや、集落の中央を流れるのどかな川は排水路と化してしまったのだ。

(つづく)



<夢現代>

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