4月4日の東京新聞に「行事 性別で役割押しつけ」という記事が掲載されていた。
このブログの読者は、東京新聞をとっていることが多いかも知れないから、目にとまった方もいるのではなかろうか。
記事によれば、東京清瀬市のある小学校から保護者に地域行事への参加を呼びかける文書が配布されたという。
その中身が「女性保護者はおしるこ作りに、男性保護者は力仕事をする『おやじお助け隊』にご参加ください」
というものだったというのだ。
これはまさしく、性別で役割を押し付けているのだが、
さらに、そのことに、文書を配布した学校が「無自覚」だということをあからさまにしてしまった。
保護者からの抗議を受け、「その日のうちに学校側は校長名で訂正文書を配布した」と記事にはあるから、
「逆ギレ」や「開き直り」は、しなかったということだろう。
この記事を読んで思ったのは、こうした無意識、無自覚な押しつけがジェンダー平等社会の実現を妨げていて、
学校は「見えないカリキュラム」でそのことを補強してきたのだということだ。
今、話題になっている「夫婦別姓」の問題も、
女性教員が結婚すると「〇〇先生は、ご結婚されて苗字が変わり▽▽先生になります」と子どもたちに知らせることで、
結婚すると女性の姓が変わることを、子どもたちにすり込んできた。
江戸川区がやっと腰を上げた「男女混合名簿」への抵抗も、そうしたことの一つだ。
さてここからは、自分の反省を込めてかつてのとんでもない事例を紹介しよう。
自分が勤めていた東京都の西部にあるS区では、6年生を対象に「連合運動会」なるものを、実施してきた。
現場の教員からは、毎年やめてほしい連合行事の一番に上がるのだが、区教委は頑としてやめなかった。
たまたま、ある年6年生を担任していて、その実施要綱を読んで驚いた。
そこには、教員の役割分担(案)として次のような文言があったのだ。
「放送係(アナウンス)・・音楽部」「接待係(お茶出し)・・家庭科部」。
見事なまでに、冒頭の記事と同じメンタリティである。
もう、20年以上前なので、今頃は改善されているとは思うが(コロナで行事そのものが吹っ飛んでいるかもしれない)
その時は、本当に驚き頭にきて「こんな馬鹿な話があるか!
だったら、連合音楽会の係り分担に『楽器搬入・・体育部』と書けよな!」と、周りの同僚に話したものだ。
もう少し考えれば、教育委員会と体育部に抗議文を送るなり、市民運動と連携して区教委の姿勢を糺すべきだったと思う。
しかし、今でもうっかりこうしたことを見逃すことがないだろうか。
みなさんの地域の学校はどうだろう。
-K.H-