江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

2024孫たちの夏休み(1) ー野球の部活でがんばる①ー

2024-08-21 | 随想
私には2人の孫がいる。
男と女の子が1人ずつで、歳の差は3歳。
長女とニ女の子たちで、男の子は同居で女の子はフランス在住である。

どうでも良いことで、敢えてこだわると娘たちに叱られそうだが、ついつい私がこだわることがある。
それは、2人とも容易に子に恵まれず、やっと産まれた一人っ子という特性がある。

必然的か過保護(愛情たっぷり注がれて)に育てられた2人である。
これは、本人たちの責任ではないので、(仮にマイナス面があるとしたら)この事に原因を発する見られ方は彼らの本意ではないだろう。
しかし、客観的には今日に至るまでの生育過程ではこれが結構な比重を占めていることは否めない。

さて、前口上はここまでとして、以下に彼らのこの夏のエピソードを紹介したい。


まずは男の子。

彼は中学3年生の野球少年、この夏の大会で部活動引退となる。
夏休みに入っても朝練があり、泥だらけのユニフォームを着て真っ黒に日焼けした顔で昼前に帰宅する。
少しでも熱中症リスクを避けるための早朝からの練習ではあるが、結局は午前中いっぱい費やす感じであった。
(部活の在り方や顧問の教員の負担等、課題は多いが別の機会があれば触れたい。)

さて、彼にとってこの夏の目標は県大会に出場することだ。
「勝ち負けよりも日頃の努力…」等というのはあくまでもたてまえで、当の子どもたちはもちろん校長始め教員たちも「勝つ」ことを1番の目標にし、口にも出している。

夏季総合体育大会(総体)の一環として市内の中学校を2つのグループに分けて優勝を争う大会だ。
市の運動公園において、7月の上旬から土・日曜日に陸上競技と野球の熱戦が続いた。

孫のチームは今までの各種大会で好成績をあげているとかで、1回戦は免除のシード校だ。
私は初めてスタンドの応援席に行ったが、最前列には1、2年生のベンチ入りメンバー以外の選手たちが立ちっぱなしでメガホンを持っての応援、その隣には部員の保護者会の親たちが氷や飲み物を備えて控えていた。
さらにスタンド上方にはブラスバンドの集団が高校野球並みの応援演奏🎶





孫は右翼手で5番バッターである。
元々はテレビでプロ野球のピッチャーの投げるのを真似して、鏡に向かってシャドーピッチングをしていたことから、小学校時代はピッチャーを務めていた。
ところが、中学に入ると、体がそう大きくはなくコントロールは良いものの豪速球は投げられず、2番手3番手のピッチャーに位置付けられていたようだ。

私の目からは、器用に何でもこなすが迫力には欠けるという感じだった。
それでも、バットに当てるのが上手いのかコツコツと打撃を重ねて5番の位置を獲得した夏の大会であった。

何しろ彼は、小学校入学時より短距離こそ速かったが、持久走は常にラストを走るという「根性」の無さに加えて、ボールを持ってもまともに前へ投げることができなかった。
野球なんてとてもできる子ではなかった。

彼の親もそんな彼に球技を教えることもなかったので、私が彼を連れ出して大きなソフトボールをコンクリートの壁に向かって投げることから教えた。
その効果があったのか、スポーツテストではやっと10mを超えたと喜んでいた時もあった。

そんな彼が野球を本格的にやる気になったのは、近所に引っ越して来た1歳下の男のに誘われて少年野球のチームに入った時からだ。
まともにキャッチボールもできない彼だったが、今度ばかりは私のキャッチボールの誘いに乗ってきた。
少し強いボールを投げると怒ることもあったが、この頃から教えに忠実で形から覚えるというパターンが作られたようだ。

実は5年生になった時にバスケットボールを(も)習わせようとしたのだが、既にこの時には野球に嵌りかけていたようだ。
小学校時代は野球で、中学からはバスケットボールという私自身の体験から勧めたのだが、彼には余計な押し付け以外の何物でもなかったようだ。


さて、中学入学後の彼は着々と力をつけていき、野球(部活)中心の生活になっていった。
私は体験したことはないが、これだけ練習すれば上手になるのは当たり前ではないだろうか…。

中学へ行って新たに始まったのは、学習塾という所へ入った(入れられた)ことによる強制的な勉強時間だ。
部活でヘトヘトになって帰宅して、シャワーを浴びてすぐ夕飯をかき込み、自転車を漕いで学習塾へ…。

私たちジジババは両親の代わりを務めて、毎日夕飯作りに勤しむのである。
塾が終わって帰宅すると「野球ノート」の記述に時間をかける。
宿題があると、その後になるから就寝するのは12時少し前という感じだったようだ。

「文武両道」なる言葉を借りて、私までもがいつの間にか彼を応援する立場になっていた。

無口であまり自己表現をしない彼も、いつの頃からか教訓じみた言葉を表すようになった。
ある時、居間の壁に「存在感」という習字の文字が貼られていたのを見た。
どうやら、自分たちの学年が部活の中心になるに当たり自分の決意を書いたものだったようだ。
彼自身が一番感じていたのかもしれない状況を見事に表現したように思える。
私はここに彼の成長を感じたものだ…。


(つづく)


<すばる>

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