気の向くままに

卒寿過ぎた私の日々の行動と昔の思い出の掲載です。北海道日本ハムファイターズのファン~元祖東急セネタース時代から

思い出の中国旅行 その23(2000年1月28日~31日)

2022-03-09 09:52:49 | 旅行
3月9日(水)は朝から晴天で春の暖かさを感じています。午後からディサービスに往き軽い運動をするので、思い出の中国旅行の再編集を午前中にしています。文中にありますスルーガイドの周さんはお子様二人のママになっています。

旅行時期 2000年1月28日~3日日 
訪問地  紹興 寧波 上海
          
本場「紹興酒」と遣唐使の町「寧波」の旅。有志で航空運賃の一番安い時期に紹興酒を本場に飲みに行こうと20名で行きました。

1月28日
全日空919便。3時間弱の空の旅で現地時間13時50分、上海浦東空港着。スルーガイド周さん(女性)がお出迎え。浦東空港は、上海浦東地区にできた国際空港。初めての利用なので迎えのバスに行き着くまでにSさんと私が迷子になる(添乗員の気配りが足らず)。紹興は2回目、前回は列車の旅だったが、今回は、これも新たに寧波まで開通した高速道路を利用し貸し切りバスの旅。事前調査で、紹興まで4時間の途中トイレの設備なし、バスもトイレなしの情報で携帯トイレを持参するも、実際は、日本の高速道路と同様に途中の売店にトイレがありバスもトイレ付き。早速売店でドリンクの仕入れ。午後7時過ぎに今夜の宿の紹興国際大飯店に到着。夕食は早速紹興酒で盛り上がり、隣席の地元家族連れと日中友好の輪を広げる。
  
上海浦東空港で

紹興レストランで
                                   
1月29日
8時30分出発。魯迅記念館・魯迅故居・百草園で文豪魯迅について学習した後、有志で近くの紹興で有名な「咸亨酒店」で、直接量り売りの紹興酒を丼碗で飲む。紹興酒はいろいろな種類があったが、値段の高いのはコクがあり美味しかった。つまみは茹でた落花生と油で揚げ、臭い匂いがした豆腐(油炸臭豆腐)10人で大体2杯づつ飲んで、全部で200元(2600円)だった。咸亨酒店に行かなかった人は近くを散策。合流後、4000年余り前の夏王朝の創始者で古代の治水の英雄「禹」の墓のある禹陵を見学。昼食後、中国美術史上有名な晋代の書家、王義之の「蘭亭」で書道と曲水の宴の雅びを今に伝えるせせらぎ等を見学。紹興での仕上げは、紹興酒製造工場で紹興酒の試飲と仕入れをする。1時間半のバスの旅で遣唐使ゆかりの寧波に到着。夕食は海鮮料理のオンパレード。日本出発前にメニューの一覧表を手に入れ20品位の内容をチェック、品書きとおりの数々の料理が出て大満足。今夜の宿は寧波で一番大きいホテル亜州華園賓館。
 
紹興 魯迅記念館で

紹興 咸亨酒店前で

紹興・咸亨酒店でスルーガイド周さん

咸亨酒店で臭豆腐をつまみに紹興酒を茶碗で飲む

紹興 蘭亭にある曲水の宴の水辺  

紹興 蘭亭

紹興 大禹陵で

1月30日
8時出発。明代の息吹が残る城隍廟の商店街を散策した後、我が国曹洞宗の開祖・道元が学んだ場所である天童寺を見学。福井の永平寺、鶴見の総持寺はここのながれとか。広さは約45,000㎡、敷地内に天王殿、大雄殿、法堂などが中央に並び、廻りには多くの建物が瓦葺きの屋根を連ねていた。寧波のガイド胡さんより、遣唐使・仏教等史詩に纏わる詳しい説明を受け感心する。昼食は、参加者全員の希望で上海蟹を特別注文、蟹は美味しかったが値段は安くはなかった。午後は、蔵書が30万巻納められているという天一閣に行く。時間の関係で中には入らず周囲の庭園等を見学、丁度結婚式を終えたウエディングドレス姿のカップルを数人が写す。午後3時頃バスで上海に向かう。上海市内に入る料金所のイルミネーションが綺麗だった。午後8時過ぎ、宿の上海賓館に到着。ここはもう数回目の利用だ。夕食後、足のマッサージとホテル内クラブのカラオケ組とに別れて行動、私はクラブに行く。我がメンバー以外に客なし。中国女性と午後12時過ぎまでカラオケ国際交流。



寧波 天童寺

寧波昼食の上海蟹



寧波天一閣で

1月31日
午前中は、上海友誼商店で新疆ウイグル干し葡萄など多数ショッピング。中国最後の昼食はガーデンブリッジの袂にある上海大厦にて紹興酒で締めの乾杯。空港までのバスの中でスルーガイド周さんが「時の流れに」を日本語で上手に歌い、一同拍手。(周さんはその後日本人と結婚され横浜市に住いんでいます)全日空920便で午後7時前に成田空港着。
今回の旅の紹興・寧波は、緯度的には奄美大島とあまり変わらない所だが、大陸性気候もろに感じ寒かったが、本場紹興酒を堪能した旅でした。因みに値段は1本50元(650円)~80元でした。(私の行き付けの横浜の中華店のご夫婦も偶然、寧波の出身です)
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思い出の中国旅行 その22(1999年10月4日~10日)

2022-03-08 12:52:44 | 旅行
3月8日(火)朝から曇天で気温も低く冬に戻りました。雨も時々降っています。座骨神経痛の痛みは気温が低いのでチクチクが時々出ています。
我が家の梅の花も大分咲いてきました。
今日の思い出の中国旅行は「黄山の奇松・怪石・雲海を見る」を目的に1999年2月にNTT労組退職者の会の神奈川支部と横浜支部が統合し神奈川県支部となって実施した旅行でした。

旅行日 1999年10月4日~10日
旅行先 屯渓 黄山 南京 上海の

横浜・神奈川と統合後の初の海外旅行は37名が参加し実施する。

10月4日
中国国際航空便で3時間弱の空の旅で、現地時間19時に上海空港着。スルーガイドの陳さんが出迎え。陳さんは私達ツアーに4回目のガイド。翌日が早いので空港近くの上海機場賓館に泊まる。夕食は紹興酒で盛り上がる。

10月5日
中国東方航空便で1時間弱で、朝8時過ぎに黄山空港着。黄山の玄関口である「屯渓」の宋代の名残を深くする街並み「老街」を散策後、黄山の麓までバスで向かう。途中、明日宿泊する屯渓国際大酒店にスーツケース等を預けて身軽になる。麓の雲谷寺から標高1,700㍍の白鵝峰までロープウェイで一気に登る。黄山は72の峰から成る山々で全山至る所にそそりたつ岩があり、その岩を割って松が生えている。その松・岩が「奇松」「怪石」の格好をしている。白鵝峰から近くの峰を散策。ホテルの西海飯店で小憩後、夕焼けの雲海の中に浮かぶ山々を排雲亭から見る。水墨画のような素晴らしい景色であった。夕食は黄山の名物料理(蛙?もあった)
  
                    

屯渓の老街で
  


黄山で


  


夕暮れの黄山          

10月6日
朝5時起床、日の出と雲海を見に懐中電灯持参でホテルの外套を着て清涼亭へ。中国建国50周年の連休中なので観光客がどこも一杯。人の少ない所で、陣をとったら真下が断崖絶壁であった、ゾッとした。残念ながら日の出は見えなかった。午前中は空から石が落ちてできたような断崖絶壁に立つ岩、「飛来石」まで大勢が頑張る。因みに駕籠を利用された人の駕籠代は・・・駕籠代450元、チップが駕籠に乗るとき一人100元、降りるとき一人50元、駕籠は前後で二人で担ぎ、合計750元(日本円で約1万円強)。午後屯渓に戻る。
   
                        

 黄山 飛来石

10月7日
屯渓7時20分発の列車で南京まで7時間30分の列車の旅。最後部の増結車だが、前が荷物車なので他の車両とは隔離。7時間車中で盛り上がる。車掌が売り子になり多彩な品の販売、一同各種仕入れる。南京到着後、長江大橋、中華門、夫子廟を見学。今夜と明晩は南京古都飯店。尚、神奈川シニア連合の研修旅行が私達が帰る日にこのホテルに泊まることになっている。
 
南京行き列車の途中停車駅で(最後尾に1両増結

南京夫子廟で

10月8日
午前中は中山陵(孫文の墓)、南京博物館で歴史の学習。昼食に子豚の丸焼き1匹注文。午後は霊谷寺、南京大虐殺記念館見学・映像による学習。反戦・平和を誓う。

 南京霊谷寺で

南京での特別料理子豚の丸焼き 

10月9日
8時50分発2階建て特急列車で上海まで3時間。停車駅は常州一駅のみ。昼食後、自由行動組と豫園観光組に分かれる。上海友誼商店で合流し、各種商品を各自それぞれ多数仕入れる。最後の夜は上海雑伎を楽しむ。宿泊は南京東路に出来たばかりの上海新雅大酒店。深夜有志でホテルのカラオケへ。画面が中国語に振り仮名の日本語は平仮名だけの文字、区切りも無く読むのに難しかった。

上海行き列車服務員と

上海雑伎

10月10日
朝、出発前にホテル前の南京東路を散策し、8時45分出発。バスの中でスルーガイド陳さんが歌う「星影のワルツ」を聴きながら空港へ。午後3時過ぎ全員元気で成田に着く。
今回の旅は、最大の目的だあった黄山が天気に恵まれ素晴らしい景色が堪能出来たので、大満足の旅でした。
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思い出の中国旅行 その21(1999年2月26日~3月1日)

2022-03-07 14:57:45 | 旅行
3月7日(月)午後に座骨神経痛の痛みは今日も寒さを若干感じたらやはり痛みが少し出ましたが、家の近くを散策し、道路際の畑に土筆が芽を出していました。

帰宅後に思い出の中国旅行を再編集しました。

訪問先 1999年2月26日~3月1日

訪問地 北京

北京の温泉に。13名プラス3名(同一ツアーの方)で北京のホテルの温泉に入り、料理の勉強をする。

2月26日
中国国際航空926便、3時間半の空の旅で北京空港着。冬の北京は3年振りである。現地ガイドの潭さんが出迎え。途中のレストランで夕食後3日間宿泊する「京瑞温泉ホテル」へ到着。このホテルは昨年8月にオープンし温泉が出る。ホテルには日本のように大浴場はなく、各部屋のバス・ルームの湯が温泉である。

2月27日
ホテルの朝食はバイキングでメニューは果物を含めて多彩である。午前中は、故宮の見学と自由行動組の2班に別れ、王府井を散策する。王府井の中心地は道路を広げる工事で殺伐としている。天安門広場は今年10月の「解放50年」記念行事準備のために立ち入ることが出来なかった。午後は天壇公園の観光。祈年殿は建物の中に入っての見学は出来なくなっていた。また、回壁音も周囲に柵があり、前に来たときに行った壁伝えの話が出来なくなった。夕食前にホテルで中国の栄養士から「薬膳料理」についての講義を聴く。「食事は一番大事なこと、食事のバランスは種類が揃うこと、品数は十分に、栄養の知識を吸収すること」など1時間の講義を受ける。夕食は「薬膳料理」。 

天壇公園祈年殿

故宮で仲間+3名

2月28日
朝食後、7時出発。日澶公園で早朝の太極拳など見学。数十のグループがやっていた。見学後、八達嶺高速道路を明13陵へ。高速道路は昨年完成したとのこと。1時間足らずで明の13陵の一つの定陵に到着。当時の歴史を学習後、八達嶺万里の長城へ。昼食は、3年前に利用した、56度の強烈な酒がサービスの「金殿友誼商城」で、今回もお酒のサービスがあった。有志数人が56度に挑戦する。昼食後、長城へ登る。ロープウエー利用組と男坂挑戦組と分かれる。帰りは高速道路を利用し、市内まで1時間、早くなったものと感心する。夕食前ホテルで、コック長が講師で「家庭漢方料理」の実習。4品の実習・簡単なので一つ紹介、「苦瓜を、塩・砂糖・辛油・ゴマ油で和える」。夕食は作った四品の他に「家庭漢方料理」で食事。米・麺類が出たこなかった。

朝の太極拳

八達嶺万里の長城


 
家庭漢方料理のお勉強

3月1日
6時50分ホテル出発し、北京空港へ。前夜の部屋の前に出したスーツケースはそのまま成田まで行くことになっている。中国国際航空925便で13時10分発、2時間30分の空の旅で成田空港へ到着。
今回の旅は、温泉と料理お勉強の旅で、教わった家庭漢方料理は実践して見たいと思っている?。
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思い出の中国旅行 その20(1998年10月5日~12日)

2022-03-06 15:41:28 | 旅行
3月6日(日)今朝から晴れていますが、気温が昨日よりは低く感じたので座骨神経痛の痛みは昨日より痛い気がしています。庭の梅は昨日より開いいている花が多くなっています。午後からCS放送で北海道日本ハムファイターズの試合が終了した後に思い出の中国旅行を編集しています。この旅は思い出の旅行の中で一番日数が多い8日間の旅でした。

実施時期 1998年10月5日~10月12日
訪問先  蘇州 無錫 杭州 上海 桂林

銭塘江の潮津波を見る江南・桂林の旅。36名で江南のキンモクセイの香りと銭塘江の大逆流参観と私の3度目の桂林の旅。

10月5日
中国東方航空便で3時間弱の空の旅で、現地時間16時15分上海空港着。スルーガイド陳さんの出迎え。陳さんは3回目のガイド。早速バスで蘇州に向かう。車窓からは中秋の名月を眺める。今夜のホテルは蘇州飯店で11年ぶりの宿である。

10月6日
朝食前に11年前の記憶を辿り近くの運河を散策。午前中のコースである虎丘・寒山寺・拙政園の歴史を見学学習。昼食後、特急列車で30分の無錫へ。錫恵公園・蠡園の歴史を見聞し、夕食は日本人の料理長がいるレストランで寿司の前菜で中華料理。今夜は太湖に連なる・蠡湖畔の湖濱飯店、ここは7年ぶりである。

蘇州のキンモクセイ

蘇州・寒山寺で

無錫 蠡園  

10月7日
午前、1時間の太湖遊覧、船窓から多くのジャンクと湖畔の三国志時代のセットの城壁などを眺める。下船後、げん頭渚公園で無錫旅情の中国語の歌碑をを見た後、開原寺へ。ここの「キンモクセイ」は満開で道は黄色の絨毯となり、香りも凄かった。昼食後、恵山泥人形工場を見学し作品を見た後、14時46分発杭州行き特急で上海経由18時56分杭州着。車中では2階建列車の2階席で盛り上がる。杭州はスルーガイドの陳さんの地元。今晩と明日晩は杭州五州大飯店に泊まる。

10月8日
今日は銭塘江の潮津波を見る時刻に合わせて行動。先ず「天下第三泉」と言われる名水が出る「虎ほう(漢字=足偏に包)泉」で学習。そして美しい西湖遊覧。西冷印社で印鑑についての学習。昼食後、霊隠寺、中国茶葉博物館で歴史とお茶の学習。スルーガイドの陳さんの地元なので奥深い説明を聴く。15時過ぎ六和塔近くの銭塘江河畔に着く。途中、銭塘江に沿って見物人で埋め尽くされる。銭塘江大橋も人の山だ。15時35分、下流から大波の逆流が押し寄せて来る。これは旧暦の8月中秋の頃、杭州湾の満潮が銭塘江に逆流するものであり「波濤が万馬一斉に疾駆する如く、山岳を連ねたる如く、音は雷霆の如し」と表現されているが、そのとおりと思った。逆流は何回も押し寄せ川は大雨の後のように水嵩を増した。中国の人は親切で私達を川面が見えるよう前に出して呉れた。その後、六和塔を見学。夕食は名物料理で、叫化鶏(鶏の蒸し焼き)東坡肉は美味しかった。

杭州 銭塘江の大逆流

杭州 西湖で 

10月9日
桂林に行くために2時間列車で上海に戻る。飛行機に乗るまで、高速道路を利用して黄浦公園へ。バスの車窓からの眺めで高層ビルの多いのに驚く。黄浦公園を散策した後、上海動物園でパンダ・虎・金絲猴等とご対面。パンダは有料写真を撮る人に近づくのに感心した。上海航空331便で2時間で桂林へ。ここの航空会社は全員がリストラされた人が雇用されているとのこと。
10年ぶりの桂林であるが新空港となり、大きく綺麗になっていた。、今夜と明晩は桂山大酒店に泊まる。

上海動物園で

上海 黄浦公園で

10月10日
今日は一日船で漓江下り、9時30分頃竹江で乗船し、陽朔まで山水画の世界を堪能する。昼食には漓江の川海老の唐揚げ特別注文、美味しかった。夜は希望者で民族舞踊の鑑賞、足のマッサージに。



 
 
桂林漓江下り

10月11日
午前中、蘆笛岩の鍾乳洞を見学後、中国東方航空5344便で14時40分上海着。市内に戻り、友誼商店で仕上げのショッピング。夕食は旬の上海蟹を注文、1匹130元(約2,000円)、夜は恒例の雑伎鑑賞。今夜の宿泊は7年前に泊まりカラオケバーがある上海賓館。深夜に有志13名でカラオケに。テーブルチャージ100元、一曲7元、ビール小瓶35元バーは7年前と料金以外は変わっていなかった。

桂林・鍾乳洞内で

10月12日
2時間くらいの睡眠で6時45分ホテル出発。バスでスルーガイド陳さんが歌う「星影のワルツ」を聴きながら空港へ。朝の中国東方航空便で一路帰国。
今回の目的の一つであった桂林の「キンモクセイ」は若干早く咲いていなかったが、しかし全員色々な場面を堪能出来た旅でした。


  
                                         
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思い出の中国旅行 その19(1998年2月21日~26日)

2022-03-05 16:05:14 | 旅行
啓蟄の3月5日(土)朝から晴天で気温も20度近くなる中で我が家の梅が午前中に1輪咲き、今、庭を観ましたら5,6輪咲いています。座骨神経痛の痛みは暖かいせいかチクチク痛みがある程度です。今日の中国旅行は当時は余り日本人が行っていなかった海南島を編集しました。




実施時期 1998年2月21日~26日
訪問先  広州 海南島(海口 興隆 三亜)

2月に海南島で海水浴しました。
16名で海南島周遊。緯度はハワイと同じくらい、屋外温泉プールと海で泳ぐ

2月21日
7時30分羽田発。関西空港乗り継ぎJD011便で広州白雲空港に13時30分到着。スルーガイド陳さんが出迎え。陳さんは昨年10月「シルクロードの旅」のやはりスルーガイド。海南島への乗り継ぎ時間を利用して市内に両替に行く。広州16時35分発、海南省航空公司183便、1時間の空の旅で海南島省都、海口空港着。海南島ガイド王さんが迎える。バスの中で海南島の説明「1988年に広東省から分かれ海南省に、人口は約700万、少数民族も多く39民族」等々。今夜の宿は5つ星ホテルの環島泰得飯店。

海口空港で

2月22日
ホテルでバイキング朝食後、市内観光。先ずは明代の政治家で、悪政を憎み貧しい民衆に善政をした「海端の墓」へ、参道には、樫の木と彫刻動物が並ぶ。そして「五公祠」の見学、北宋の1097年この地に流されて来た、蘇東坡を祀った蘇公祠と唐の宰相、李徳裕をはじめ唐から宋にかけて5人の清廉な役人を祀った所を見学学習。市内のレストランで昼食、可愛い女性店員と国際交流後。高速道路を利用、興隆へ移動。途中両側の景色は2月だが、三毛作の田植え直後の苗を見ながら、景勝地東山嶺の岩山に登が小雨でガスがかかり視界不良。夕刻興隆着。ホテルはコテージの廉楽園大酒店、ここも5つ星ホテル、庭には温泉利用のプールと、真水の大きなプールがある。早速土砂降りの雨の中、何人かが両方のプールで泳ぐ。プールは隣り合って温泉・真水と気分は爽快で。夕食後、夜の自由市場を全員で散策する。
  
海口 五公祠 

海口 海端墓で 

東山嶺で

2月23日
昨夕の雨から晴天となる。朝食はプールサイドで摂る。朝食後また直ぐ泳ぐ。そして海南島最南端の観光の中心地で、典型的な熱帯気候である三亜に向かう。途中、軍の射撃場等を見学、昼食は射撃場のレストランで。昼食後、三亜の観光地である「鹿回頭公園」から三亜市内を一望後ホテルに着く。ホテルはここもコテージ形式のリゾートホテル。早速近くの真っ白な砂浜、エメラルドグリーンの海で海水浴。泳いでいる人は我々以外には数人。海藻の馬尾藻が多数浮いている。頭に被り髪にして記念撮影。中国にもこんな所があったのかと感心する。

三亜 大東海で、海藻を被る私

三亜 鹿回頭公園で

2月24日
朝食後、ホテル前の海岸を散策。珊瑚礁が岩になってしまったような所に、小さな魚、ゴカイ類が沢山」いる。今日は、三亜市内見学。先ず「天涯海角」海辺の大きな岩に、天涯・海角・南天一柱など文字が彫られている。その中の一つの岩は中国の2元紙幣に描かれている。次は「苗族村」見学、少数民族の踊り等を見る。そして「大東海」ここは砂浜。昨日泳いだ所から砂浜つづき、これでも有料、民族衣装を着た少女が有料スナップ写真の相手。ホテル到着後、飽きずに海水浴。一部マッサージに行った者もいる。夕食後、ホテルの地下のカラオケスナック?に・・・女性従業員多数。


 
三亜 天涯海角

苗族村

2月25日
広州へ移動のため6時に朝食。簡単な食事の筈が飲茶となり溜め息。三亜空港までの車の中で王さんが美声で「知床の岬」を歌う。9時20分広州白雲空港着。8年振りに市内見学。陳氏書院、六榕寺、中山記念堂等を見学後ショッピング。夕食は子豚の丸焼きをオーダーする。ホテルに帰り深夜まで有志で懇親を深める。
  
広州 中山記念堂で 

広州北園酒家でスルーガイドと乾杯

2月26日
今日は雨となる。海南島に比べて寒さを感じる。午前中「鎮海楼」で広州の歴史を学習。昼食は有名な「北園酒家」で今回の旅行の締めとする。空港までのバスの中で広州ガイド女性の王さんから最近の広州事情について学習。途中8年前にあったバナナ畑はテレビ局になったとのこと。郊外にあったと記憶していた空港が街の中となったようだ。最後にスルーガイド陳さんから「サヨナラ」の挨拶で海南島の旅は終わりJD010]便で19時関西空港着。羽田迄の乗り換え時間を利用して、弁当、缶ビール等でお腹に補充し22時に羽田着。23時30分バスで藤沢着。3人で駅前の中華店で日本酒で乾杯。海南島の温泉、エメラルドグリーンの海、もう一度真冬に行きたいと思うところであった
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