気の向くままに

卒寿過ぎた私の日々の行動と昔の思い出の掲載です。北海道日本ハムファイターズのファン~元祖東急セネタース時代から

想い出の中国旅行 その28(2003年2月24日~27日)

2022-03-14 10:37:42 | 旅行
3月14日(月)朝方の雨も止み急に強い日差しとなりました。我が家の梅の花も散り始めて来ました。
今回の想い出の旅もHPには写真のみ掲載ですが、20年前を思い出して編集しました。

旅行時期 2003年2月24日~27日

訪問先 廈門 南靖 泉州

18名で漢民族の末裔・客家暮らす「南靖土楼」と海のシルクロードの起点を訪ねる

2月24日
成田空港10時発NH935便に乗り直行にて13時に厦門島にある高崎国際空港に着く。ガイドの朱さんの出迎えを受けバスで本土へ。海沿いの風光明媚な集美学村(シンガポールで巨富を得て華僑が故郷に建設した学園村)を見学。

廈門 集美学村で 
その後、福建省南部の仏教聖地である南普陀寺を見学した後に三泊するホテル金雁酒店へ着く。

廈門 南普陀寺で
夕食はレストランで厦門名物「海鮮料理」


2月25日
ホテルを8時30分バスで出発し片道150㎞約2時間30分の所にある。漢民族の末裔・客家が暮らす要塞のような独特の集合住宅「南靖土楼」を見学し日中交流をする。帰りに中国茶芸館を見学し2日目の観光は終わる。





南靖土楼で

2月26日
ホテルを9時30分出発し片道100㎞約2時間の海のシルクロードの起点泉州に向かい栄代の巨大貿易船が展示された海外交通博物館、唐代の創建の名刹開元寺、中国最古のイスラム寺院の一つの清源寺、老子の石像・老君岩、洛陽橋を見学する。
    
海外交通博物館

泉州 洛陽橋                                         

泉州 老子の石像で

泉州市内で                                

泉州 開元寺で

2月27日
8時30分ホテルをバスで出発しフェリーにて租界時代の洋館立ち並ぶコロンス島に渡り、電動カーにて島内を観光し、



昼食後厦門島にある高崎国際空港(厦門空港)14時35分発NH936便で19時0分に成田空港に着く。
  
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想い出の中国旅行 その27(2002年3月7日~10日)

2022-03-13 12:51:58 | 旅行
3月13日(日)曇天ですが時々青空が出ています。今日は丁度20年前の中国の西安旅行を想い出して編集しています。私のHPには写真しか掲載していなかったので当時を思い出しています。

旅行日 2002年3月7日~10日

旅行先 西安
伜夫妻同行、初めての西安(シルクロードの時代は長安)訪問者多く22名で、私は3回目

3月7日
JD257便で成田空港発10時0分の直行便で14時15分に西安市郊外にある西安咸陽国際空港に着く。空港にはスルーガイドのお馴染みの陳さんと現地ガイド社さんの出迎えを受ける。早速バスで西安市内に移動。ホテルに着く前に途中にある陽陵(漢の4代皇帝、景帝とその皇后の陵墓です。 景帝劉啓(前188-前141)は文帝の子で、母は竇皇后。前157年、32歳の時に皇帝等々)を学習した後、西安城壁等を見学する。ホテルは唐城賓館。ここに3泊する。

  

西安城壁にて

3月8日
8時30分にホテルをバスで出発し西安市内・郊外観光。秦始皇帝陵、兵馬俑、楊貴妃で有名な華清池、鐘楼、大雁塔等を見る。
夜は唐の時代の舞踊を鑑賞しながらの夕食となる。
       


華清池で(唐の玄宗皇帝と楊貴妃の恋の舞台になった場所)



兵馬俑抗(1974年春し、始皇帝(前259~210年)の陵墓の東約㎞の畑の中で井戸を掘って約8000体の兵馬俑が見つかった)

3月9日
8時にホテルをバスで出発し、今日も昨日同様に西安市内・郊外観光で宝鶏市にある法門寺、咸陽市にある乾陵そして市内に戻り小雁塔、碑林博物館等を見学する。夕食はレストランで餃子宴を行うが16種類の餃子が次々にくるが食べないと後が来ないので食べるのに苦労した。
  
大雁塔で(慈恩寺境内に立つ64㍍の塔)         

法門寺で(お釈迦様の骨が見つかった寺)
                                    
乾陵で(唐の第3代皇帝、高宗とその夫人、則天武后の墓。夫婦共に皇帝で夫婦をひとつの墓に葬ったのは乾陵のみ)                                           

碑林博物館で(歴代の貴重な石碑が林立する)

鐘楼前で(買い物の帰りです)                                      

色々な餃子

3月10日
9時に帰国の荷物と一緒にバスがホテル出発。途中の陜西省博物館、青龍寺を見学後、レストランで昼食を摂り〆の乾杯をし、西安咸陽国際空港15時30分JD256便で20時35分成田空港着に無事帰国。今回は中国の歴史を勉強する旅になりました。

陜西省博物館

青龍寺で(弘法大師空海が804年に遣唐史使に随行し学んだ寺)



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想い出の中国旅行 その26(2001年10月8日~14日)

2022-03-12 10:03:06 | 旅行
3月12日(土)朝から晴天で我が家の梅の花もほぼ満開です。想い出の中国旅行の再編集で中国で一番開発が著しい深圳の現在をテレビ等で知ると凄さを更に感じます。

旅行時期 2001年10月8日~14日

訪問先 三亜 興隆 海口 深圳 香港

海南島でSLに乗る。伜同行、私には2度目の海南島でSLに乗り、発展の凄い深圳復帰後の香港を見聞する旅28名が参加。

10月8日
満席のJL791便で12時10分、上海浦東空港着。お馴染みのスルーガイド陳さんの出迎え。16時、上海航空537便で海南島・三亜へ。18時40分三亜空港到着。日本から上海までの飛行時間と同じ。海南島は2年半ぶり、現地ガイド王さんが出迎える。外に出ると気温は真夏並み。ホテルは前回と同じの大東海湾に面したコテージ風の三亜明珠海景大酒店。夕食は早速紹興酒で盛り上がるが紹興酒の値段が日本のあまり変わらなく、先々が心配。

10月9日
7時30分ホテルを出発。三亜駅8時15分発のSL列車に乗る。この線路は太平洋戦争中に日本軍が敷設したとか。列車は貨客混成で機関車ともども年代物。車内には私達他1,2名しか見当たらない。乗車1時間、途中の崖城駅で下車。出迎えのバスの所までバナナ畑の中を歩く。三亜に戻る途中に、中国新興海浜生態レジャー地区に指定された、南山文化観光区の中にある景色の素晴らしい所に出来た、南山寺で精進料理の昼食。午後は「天涯海角」を見学。海辺の大きな岩に、天涯・海角・南天一柱などの文字が彫られている。その中の一つ岩は中国の2元紙幣に描かれている。午後3時30分ホテルに帰着。早速近くの真っ白な砂浜、エメラルドグリーンの海で海水浴。しかし真っ青な空が突然曇り忽ちスコールが到来。スコールのなかをホテルに戻り、プールに浸かっていたら陽が照ってきた。夕食はレストランで、デナーショーを見ながらデラックス海鮮料理を満喫した。
  
海南島三亜駅で
 
列車内で

海南島崖城駅で





海南島南山佛教文化苑で


   
2元札の裏にある海南島天涯海角で        

10月10日
出発前にホテル前の海岸を散策。9時ホテル出発。海南島で最も美しい亜龍湾を、最近出来たばかりの豪華リゾートホテルから眺めた後、蝶々が飛び交う「蝶の谷」を見学。午後は省都・海口に通じている高速道路を利用し興隆温泉へ。前回も利用した5ツ星ホテル興隆康楽園大酒店に午後3時30分に到着。ホテルは前回利用したコテージ風から建て替えられていた。早速屋外の大きな真水のプールと、その中にある温泉プールで泳ぐ。夕食後、おかまショーなるものを観劇するが雑伎などが混じっていた。

海南島興隆ホテルで 円内は温泉、周囲は真水のプール
 
海南島 興隆ホテルのプール前で

海南島亜龍湾リゾートホテルで

10月11日
ホテルを9時に出発。3つの峰からなる標高184㍍の東山嶺にリフトで登る。万寧市内を一望し、大きな岩と岩との間の奇妙な自然風光にに触れながら下山した後、東南アジア各国の風情や風光をが溶け込んだ「東南アジア風情村」で生活習俗などを見る。午後は自由行動組と興隆熱帯植物園見学組の分かれる。私は自由行動組でホテルに隣接しているショートゴルフ場で50元(約750円)を払い球打ちに興ずる。客は私達メンバーだけ。時間の制限がなく飽きるまでOK。夕食後近くにある夜店を見学する。熱帯地方の色々の果物がふんだんにあった。

海南島 興隆ホテルのゴルフ場で

海南島東山嶺で

10月12日
深圳に移動するため7時10分ホテル出発。海口空港より深圳航空810便で1時間、11時40分深圳空港着。現地ガイド関さんの出迎え。深圳は、20年前は人口3万人から現在は730万人。平均年齢27歳と若く、中国では最初の経済特別区で発展の凄まじい所。空港ではビザ検査、税関の検査もあった。昼食後、深圳博物館で深圳の古代、近代、現代についてコーナー毎に学習した後、中国各地の有名な建築物、風景、石造物などが縮小され、万里の長城・秦の兵馬俑・故宮・石林など73の観光名所がミニチュアとなっている「ミニチャイナ」を見学。その背後には高層マンション群がそびえていた。「ミニチャイナ」を見学後、国内少数民族の文化や風俗を再現したテーマパークである「中国民族文化村」を見学。天山山脈の雪山と緑の高原の画をバックにした舞踊ショーを見る。今夜の宿は深圳駅前にある5ツ星ホテル「深圳富臨大酒店」。ホテルの部屋の窓から香港との境界となっている深圳川が真下に見える。香港側は田園風景しか見えなく、中国側は高層ビル群だ。

宿泊したホテルから深圳河を挟んで左は香港の田園、奥は深圳のビル群

10月13日
出発前にホテル前の深圳駅前付近を散策。すぐ近くに香港との境界があるのでその近くまで行く。香港ガイドの倪さんの出迎えをうけ10時30分にホテル出発。迎えのバスは広州と香港の2枚のプレートナンバーになっている。乗車後まもなく中国出境検査。スルーガイド陳さんと現地ガイド関さんとはここで別れる。6日間同行した陳さんが「星影のワルツ」を日本語で歌い別れの挨拶。出境手続きのためバスのボデーからスーツケースを取り出し、出境検査を受ける。香港に入り昼食後、香港のバスに乗り換え香港島の海岸にあるレバルスペイのテン・ハウ廟でカラフルな仏像を見た後、Tシャツ、シルク製品、日用雑貨、民芸品などの店が狭い路地に両側に並ぶスタンレーマーケットでショッピング。夕食はキンキラなネオンに飾られた水上レストランでデラックス海鮮料理。紹興酒の値段が並の物で1本が3,500円だった。夕食後ビクトリア・ピークの東洋一の展望台から百万ドルの夜景を見る。13年前には展望台はなかったが、夜景はもっと綺麗だったような気がした。香港の景気も日本と同様らしい。ホテルは5ッ星「富豪九龍酒店」
 
香港 テン・ハウ廟にて    

香港 水上レストランで

10月14日
9時にホテル近くの免税店で最後のショッピング。11時ホテル出発。隣のレストランでツアー最後の昼食、ビールで締めの乾杯。昼食後、多数の船と島々を見ながら、新しくチェクラップコック島に出来た香港国際空港に向かう。満席のJL732便で19時45分成田着。
 今回の旅は、中国で特別経済区となっている海南島と深圳及び中国に復帰後なんとなく経済状況が日本と似ている香港訪問でした。この中で特に深圳は、13年前に列車で通った時は普通のビルがボツボツ見えただけでしたが、現在は高層ビル群あちこちに建ち並びその発展の凄さに目を見張りました。海南島は、三亜、興隆温泉ともリゾート地として更に発展するものと思われます。
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思い出の中国旅行 その25(2001年2月28日~3月3日)

2022-03-11 12:20:41 | 旅行
3月11日は東日本大震災発生から11年を迎え被災されて皆様には改めて哀悼の意を表すると共にお見舞い申し上げます。私の手首のリンクは震災後にカンパ活動があり、その場で白いリンクを頂き、認知症サポーターリンクと共に11年巻いています。今日の中国思い出の旅は山東半島の旅を再編集しました。

実施時期 2001年2月28日~3月3日
旅行先  青島・泰山・曲阜の旅

文化の遺蹟をを訪ねて中国大好きなお仲間24名で歴史と文化の遺蹟を尋ねて山東省へ。

2月28日
MH243便で青島空港へ12時30分着。朝8時羽田を出発し福岡空港乗り継ぎの便でした。スルーガイド周さんの出迎え。周さんは昨年冬「紹興の旅」のスルーガイド。我がツアーで指名し今回は日本からの添乗員はなし。13時、専用バスで泰山の麓の泰安に向かう。山東省のガイドは段さん同行。泰安まで高速道路を利用、400㎞6時間の旅。途中の車窓に、ビニールハウス群が延々と眼に入る。日本に輸出する野菜とか。トイレ休憩地では地元の大根「いぼ大根」をそのまま囓る。泰安の近くでは、大河・黄河を見る。18時過ぎに宿の「泰安華橋泰大厦」着。早速夕食に紹興酒、地酒で乾杯。

泰安迄の高速道路沿いに延々とある野菜のビニールハウス群

3月1日
ホテルでバイキングの朝食後、今回のメインである泰山へ。泰山は標高1,532㍍。歩けば9㌔、7,412階段。私達は途中までバスで行き、後はロープウェイで頂上を目指す予定だったが、ロープウェイの乗り場に着いたら山頂が風が強く、ロープウェイが運行できず山頂は諦め、泰山登山の第1歩となる「一天門」に引き返し、そこから数十段の石の階段を歩き登山の真似事をし、近くの岱廟で中国三大宮殿建築の一つとなっている「天貺殿」などを見学学習。昼食後、孔子の故郷の曲阜へ。到着後、孔廟、孔林を見学。孔廟はこれも中国三大宮殿建築の一つとなって孔子を祀る廟。孔林は孔子と孔子一族の墓園で周囲7㌔に及ぶ大墓園である。今夜の宿は、中国風近代的スマートな建物の闕里賓舎。

泰安・泰山登山口で



泰安 岱廟で






曲阜 孔廟で
  
3月2日
朝食前ホテル近くを散策する。何か古都を感じるしっとりとした街。朝食後、孔府を見学。ここは孔子一族が代々執務所兼生活場所としてきた屋敷で、古色に溢れる建築群が連なり、部屋数は463もある。孔府見学後、青島に引き返す。昼食は途中の山東省の省都である済南のレストランで摂る。済南は1928年に済南事変が起きた所。青島に向かう済青高速道路は行き交う車も少なく、ドライバーが眠気が来ないように、賑やかに、周さんが「川の流れのように」など日本語で数曲歌い、全員で合唱。17時30分青島に着き、恒例のショッピング。私達数人は雑貨屋で海草類などの買い物。夕食はレストランの個室。料理は名物海鮮料理が数々出てきて堪能した。今夜の宿は5つ星ホテルの海天大酒店



朝の曲阜

3月3日
朝早くホテルの前の海岸を散策。海岸沿いに見える煉瓦色の家並みが綺麗だ。午前中雨となったが、美しい松林の海岸線と市内の欧風建築が一望できる小魚山公園に登った後、青島ビール工場へ。工場は土曜日のため操業はしていなかったが、各国に輸出している青島ビールを数カ国分の試飲をしたが、それぞれなんとなく味が違った。昼食は青島ビールと紹興酒で本旅行を締め。空港に向かうバスの中でガイドの段さんが歌う「兎追いしかの山・・・・」を全員で合唱し帰途に。福岡経由で20時に無事羽田着。

青島 小魚山公園から 

青島ビール工場で各国への輸出用ビールの試飲の説明風景

青島ビール工場で
今回の旅は3泊4日の慌ただしい旅だったので、ゆったりとした日程でもう一度行ってみたいと思う所です。




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思い出の中国旅行 その24(2000年10月8日~14日)

2022-03-10 10:21:23 | 旅行
3月10日(木)は朝から暖かいせいか私の座骨神経痛の痛みは時々チクチクがあり程度で湿布を貼るのを止めています。午後から近くに住む妹の家に遊びに行くので、中国旅行の思いでを編集しています。訪問先の雲南省はベトナム・ラオス・ミャンマーに国境が接しています。

実施時期 2000年10月8日~14日
訪問先 昆明 麗江 大理 シーサンパンナ 広州

中国の少数民族を訪ねて「雲南省・広州の旅」43名が参加し中国雲南省の麗江、大理、シーサンパンナと広州に行ってきました。

10月8日
関西空港経由の日本エアシステム便で14時前に昆明空港着。スルーガイド馮さんの出迎え。昆明は2度目、前回は8年前に成都から成昆鉄道で25時間の汽車の旅だったが、今回は日本から僅か4時間半でした。早々に昆明湖を望む断崖に貼りつくように立つ龍門を目指してリフトで上がる。龍門石窟と900年以上の歴史がある華亭寺を見学。今夜の宿は昆明ホリディ・イン。途中のレストランで夕食。早速紹興酒で乾杯。
  
昆明 龍門で

昆明 華亭寺で

10月9日
雲南航空で約40分の空の旅で朝8時過ぎ麗江空港着。現地ガイドの出迎えを受ける。ガイドはナシ族の女性。2台のバスに分乗しての観光となる。麗江は古い屋根瓦の街並みが世界遺産になっている。また、1996年に大地震があった所。街が標高2,600㍍にある。仏教壁画の白沙、明の成化年間(1465~1487)に植え付けられた椿の大樹がある玉峰寺を見学。民族衣装の娘さんと各自記念写真を撮る。午後は13の峰が南北に連なり万年雪が見られる最高峰5,596㍍の玉龍雪山が身近に見える、標高3,200㍍の雲杉坪にリフトで登る。玉龍雪山がぐっと迫り迫力満点だ。今夜の宿は麗江格蘭大酒店。

3200㍍雲杉坪で 後の山は玉龍雪山

樹齢500年以上の玉峰寺にある椿の下で民族衣装の娘さんと

10月10日
ホテル4階フロアから朝日に輝く玉龍雪山の雄姿を眺めた後、世界遺産である麗江の老街を見学。ここの古い屋根瓦群で世界遺産になったとか。先の大地震でも崩れなかったと聞く。丘の上から見た屋根瓦群は美しかった。その後、池の水面に玉龍雪山が映える玉龍公園、トンパ文字などナシ族の伝統文化や風習を伝えるトンパ博物館を見学、学習する。午後はナシ族ガイドに見送られながら、200㎞離れた大理まで約4時間バスの旅。大理からミャンマー国境までは150㎞とか。大理は、大理ペー族自治州の州都。標高は約2,000㍍でメコン川に流れる湖の洱海がる。夕刻、今夜と明晩の宿、大理で一番高級ホテル大理亜星大酒店に到着。夕食はホテルのレストランで民族衣装のバンド付き。そして踊りの飛び入りもあり大いに盛り上がる。

麗江で

麗江 5596メートル玉龍雪山をバックに 

麗江・上の絵はトンパ文字

麗江世界遺産の屋根瓦群                              
10月11日
今日は一日大理観光。先ず洱海と大理の街全体が望める標高4,120㍍の蒼山の中腹2,800㍍の中和寺まで麓から25分間リフトで上がる。大理石はこの山が産地とか。中和寺境内では中国でも見られなくなった爆竹の炸裂を見る。その後、大理を象徴する古代建築物である崇聖寺三塔、蝴蝶の伝説を生んだ蝴蝶泉、ペー族豪農跡の民居、大理石工場、藍染め工場、古城を見学。藍染め工場では名産の藍の絞り染め製品を各自多数購入、日中友好?に励む。夕食前に有志で、民族舞踊を交えたペー族の女性が淹れてくれる三道茶を飲みに行く。三道茶の様式は「一苦、二甜、三味」とか。帰りに踊り子と記念撮影。夕食は名物「砂鍋魚」を賞味する 

大理 2800メートルの中和寺で                         

中和寺から見た「洱海と大理の街」

大理 胡蝶泉でペー族娘さんと

大理 崇聖寺三塔 

大理 三道茶

大理古城で                                        

10月12日
1時間の空の旅で午前9時過ぎシーサンパンナ空港に着く。ここはシーサンパンナタイ族自治州。中心地は景洪市で、ラオスとの国境までは120㎞。ともかく暑い。ここでは3台のマイクロバスに分乗し、ガイドはハニ族の女性。タイ族民居を見学した後、メコン川上流の瀾滄江を見ながら2時間、もの凄く揺れすバスを我慢して着いた所が「中国科学院シーサンパンナ熱帯植物園」。数々の珍しい植物を見る。音楽にあわせて踊る葉、触ると縮む葉、寄木に締め付けられた椰子の木など。そして曼聴公園では飼育された多数の孔雀。青空に向かってすっと聳える白塔。タイ族寺院などを見学。夕食は景洪市内に戻り、タイ族美食村で、タイ族の民俗舞踊を見ながらタイ族名物料理、パイナップルを容器にした餅米とパイナップルの混ぜご飯は美味しかった。今夜の宿泊は景洪市で最高ランクのホテル新閔国際大酒店。 

シーサンパンナ メコン河上流の瀾滄江

シーサンパンナ タイ族寺院                           
 


シーサンパンナ 中国科学院熱帯植物園で

シーサンパンナ ハニ族の娘さん

シーサンパンナ 曼飛龍仏塔で

10月13日
午前中は、雲南省の少数民族のテーマパークになっている民俗風情園を見学。ジノー族、ハニ族、タイ族、ヤオ族の民居で生活習慣の学習。
孔雀湖公園散策後、シーサンパンナ空港から昆明へ。昆明市内で昼食を摂る。8年前に比べ、昨年の世界花博覧会のためか、空港から市内までの変わりように驚いた。因みに、空港も花博に合わせて開港したとのこと。その後、1時間半の空の旅で広州白雲空港に着く。広州は2年半ぶり4回目。早速友誼商店で、各自廉価商品多数購入。因みに日本銘柄の缶ビール1缶約65円。夕食は北園酒家で特別料理「片皮乳猪(子豚の丸焼き)」を注文。今夜の宿は広州で一番大きなホテル花園飯店でここは2回目である。

広州 宿泊した花園酒店のロビーの装飾

10月19日
旅行中初めて雨となる。六榕寺、中正記念堂、自由市場を見学。昼食後14時45分広州白雲空港発、関空経由で22時無事羽田に帰着。
今回は飛行機の時間帯が朝が多かったことと、麗江、大理が標高が高い所なので、体調を崩された方が出るなどしましたが改めて中国の広さと文化、歴史などを知り、それなりに思い出の多い旅でした。


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