まち歩きとDIYと こどもと一緒に生き物あそびも

日々のちょっとした出来事をつづるblogです。

第2日~別所温泉堪能・アルプス!~

2005年09月07日 | スーパーカブ
★第2日の行程★
総移動距離142km・給油1回(平均燃費51.5km/L)
真田町→上田市内巡検→別所温泉→青木村→四賀→明科町
→穂高町巡検→豊科町巡検(給油)→三郷村・一日市場→波田町
→沢渡駐車場→(バス)→上高地(小梨平キャンプ場・テント泊)

第1日の野営地であった真田氏本城跡は
とても快適に過ごすことができました。
寝ている最中に酒の力が消え、いったん目が覚めると
目の前にテントの壁が…。何事かと状況判断すると
2950円のドームテントは風に押しつぶされそうになっていました…。

別に安物がどうこうと言う訳ではなく、
もう少し木立の中に張った方が良かっただけなのですが、
やはり山のてっぺんで吹きざらしになると風が強いんですね。
野営の時は風のことも考えないとですね。

まぁ大事にはなるまいとそのまま寝ると…
しばらくして何とも不自然なガサガサという音が…。
何かいるのかなと思って見てみるとムササビ!?
初めて見ました。しばらくムササビの飛ぶ様に感心して
見入ってしまいましたが、居なくなってしまったので就寝。

起床後、テントを畳み路上へ拡げて乾燥。
その間にインスタントラーメンをすすっていました。
昨日は夕食を食べず、風呂にも入らなかったので、
今日は外食と温泉を堪能しつつ「高山入り」を予定しました。
 
テントが乾いて撤収が完了するまで約1時間。結構かかるものです。
上田に下り、上田城や上田中心部・市役所訪問などを行い
別所温泉へ。ここまで出発してから約2時間30分。
ゆっくり見ながら進むと平均時速は15kmほどです。
ギンギンに飛ばしても平均時速は30kmほど、これが後の標準になりました。

別所温泉に到着すると、そこは素朴な温泉街でした。
この中に3つの外湯があります。大湯・大師湯・石湯の3つ。
いずれも150円で入れ、とっても安いです。
ただし石けん・シャンプーは持参で行きましょう。
私は大湯に入りましたが、4.5畳ほどの浴槽と露天風呂がありました。
湯温は高めですがとても良い温泉でした。

風呂上がりに道中で飲むアクエリアスと即飲むコーラを購入。
ここでコーラを500mlも飲んでしまい食欲は減退。
別所温泉で外食する計画は頓挫…。さらにこの自販機の前で、
バイクのキーを側溝の穴に落とすトラブルも発生する始末…。
最初はコンクリートのふたはビクともしなかったのですが、
火事場の馬鹿力で持ち上げ、キーを救出。
この時はスペアキーが無かったので必死でした。
長距離の旅行ではスペアキーの用意をオススメします。

その後、「美人多し。脇見注意」と書かれた看板のある青木村へ。
R143を松本方面に峠越え。この道は交通量がさほど多くなく、
途中から1.5車線になり、原付ツーリングには悪くありません。
南のR254は車で通りましたが、高速並みのスピードで大型車が行き交うので
原付では三才山トンネルで死ぬ思いをすると思います。

四賀・明科と抜け穂高へ到着。西の空は真っ黒だったので、
今日も宿泊場所で苦労しそうな予感が…。
穂高の観光案内所ではまもなく雨が降るので
ユースホステルの利用を勧められました。
しかし、まだ時刻は13時ということもあり、もう少し進むことに。
穂高の町を散策し、豊科の町も巡検した後、一日市場のジャスコへ。
スペアキーを作りたかったのでホームセンターなども回りましたが
どうやら作れないようです。やはりスペアキーは用意しておきましょう。

相変わらず西の空は真っ黒で、今日の高山入りは困難な感じ…。
ついには雨も降り出し、「立田下町」というバス停で雨宿り。
このバス停、屋根があるばかりでなくトイレ有り、あずまや有りと
何とも野宿に適した環境であずまやがあるので雷もしのげそうでした。
「ここは泊まれる」そんな直感を抱くもまだ時刻は14時。
市街地のど真ん中なので、とりあえず終バスが来るまでは野営は無理そうでした。

何とか泊まれそうな場所を見つけたので、いざとなればここに戻るとして
進むことにしました。先には道の駅もあるのでどうにかなりそう。

波田町にでるとそこも野宿適地が有りました。
波田町の文化会館?のエントランスは大きな屋根があり、
ここにテントを張れば雨でも大丈夫そうでした。
「ここもOK」と思いながら西進。一路、道の駅を目指します。
新島々駅に泊まれそうな場所が有るかと覗いたもののここは無理そうでした。
そして「道の駅 風穴の里」に到着。泊まれる場所を物色するも
狭いので厳しそうです。雨の日まして雷だと厳しそうでした。
ここでは天気と上宝にある「道の駅」の情報収集のため情報センター?へ。
ここで「上高地」という経由地が急浮上します。
安房峠は激しい雨が降っている(高山方面からのライダー情報)ので
今日は信州側で泊ることとして、上高地泊に魅力を感じました。
泊まれるならバイクは置いて上高地もありだと、キャンプできるか聞くと
700円でOKとのこと。これはいい!
上高地でアルプスを望む朝ってのはとってもリッチ!
それにキャンプ場なら雨でも雷でも何となく安心。と即決。
沢渡駐車場へ。私は沢渡大橋バス停近くのハラダ駐車場に駐車しました。
一日300円なので2日で600円。ここから上高地までバスで往復1800円。
荷物を「置いていくもの」と「持っていくもの」で整理していたら、
駐車場のおばあさんが荷物を預かってくれる事になりました。
何とも大助かり。寝袋、テント、マット、身の回りのものだけ入れて上高地へ。

バスに乗車し上高地到着。前にもここは来たのですが
雨でアルプスを望むことは出来ませんでした。
今回はアルプスが見える!そしてここに泊まれる!とウキウキ気分で
小梨平のキャンプ場まで歩きました。
河童橋を渡らずそのまま300mほど行くとキャンプ場。
さらに200mほど歩くとキャンプセンターがあります。
ここで宿泊の手続きをしてテントを張ることに。

当初は通ってきた林のキャンプサイトにテントを張ったのですが、
アルプスを見ようと河原に行くとそこにもキャンプサイトが。
そこでアルプスを見ながら優雅にコーヒーを飲んでいるおじさんと
話をしていると「この場所は一等地。帝国ホテルなんて目じゃないよ。」
「お宅もこっちに張ると良い」と言われ、即引っ越し。
河原のキャンプサイトにテントを張り直しました。

今日はアルプスを見ながらレトルトカレー&紅茶。
何ともリッチな今日のキャンプでした。
(→3日目に続く)

※ 写真は上田~別所温泉の間にある不思議な建物。
  道路建設だとしてもとっても強引な気が…。
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第1日 ~峠越え・信州へ~

2005年09月05日 | スーパーカブ
榛名山を登り、また来た道を戻る事としたのには理由があります。
参拝もその一つなのですが、万が一クラッシュしても
自力で帰れ、後に車で回収できる山で登り下りを試したい思いがありました。
何せ初めてのツーリング。不安は一杯です。
この1日目は後に宿泊場所でも苦労します。。

それは後に譲るとして、そんな理由で倉淵に戻った後に
浅間山を美しく望む二度上峠を目指しました。
交通量の少ないこの道は、原チャでもストレス無く走れます。
が、相変わらず時速20kmの旅が続きます。
二度上峠に到着し、記念撮影をしようとバイクを離れると

ガッシャーンという音と共にバイクは横転…。
必死に起こしていると、すぐさま2人組のライダーに
「大丈夫ですか?」声を掛けられました。
バイクは無事起こせたので「大丈夫です。」と声を掛けると
そのライダーは去っていきました。

優しい人たちだなとその時は思ったのですが、
後に分かったのですが、実はライダーはとっても
連帯意識が強いらしいです。
不便な乗り物に乗って旅をするもの同士、
赤の他人でも困っているとすぐに助ける。
それがライダーなんですね。


二度上峠では本来、浅間山が目の前に大きく見える
絶好のロケーションなのですが、あいにく雲の中でした。
北軽井沢まで順調に下り、スーパーで当面の食料として
レトルトカレーとインスタントラーメンを購入しました。

北軽井沢からは、大きく視界が開ける「パノラマライン」を通り、
キャベツ畑の中を快適に走ることができました。
大笹へと下り、出発からおよそ130km走っていたので燃料を補給。
3.0L給油できたので燃費は45km/Lほどでした。
この時点で時刻は16:30を回っていたのでキャンプも考えましたが、
明るいうちに…といってもまだまだということで、長野入りを決めました。

今回通る鳥居峠は上信国境の中でも傾斜が緩い峠道。
カブツーリングには最適と思われました。
相変わらずスピードは伸びませんが、難なく峠越え
信州は真田町に入りました。

日も傾き掛けていたので「今日の宿泊地は…」
と頭が一杯になってしまいます。
道中、何気なく寄った「真田本城跡」は
水道あり、トイレあり、あずまや有りとこの上ない環境でした。
ここが良いかなぁと考えつつも、ふつうの公園なので
明るいうちにテントを張るのを躊躇してしまいます。
結局、良い所だと思いながらも、野宿するなら
暗くなってからひっそりとする方がいいだろうと考えて、
もう少し進むことにしました。いざとなればここに戻ってくればいいと。

でもこの判断は誤りでした。

上田に下りると市街地だから難しそう…
海野宿に行けば道の駅みたいな施設があるかも
と海野宿まで下りて明るいうちに町並みを堪能し、
いざ野営する場所を探しても暗くなっていて判断が難しくなってしまいました。

これはまずい。
1日目から何とも幸先の悪い展開になってきました。
とりあえず戻るか上田に行こうと考え、地図とにらめっこ。
でも関東道路地図だったのでよく分からない上に
お風呂に入りたいと思っていたので
温泉の近くに泊まりたいと欲張ってしまいました。
別所温泉に行けば何らかの公園があるかも知れない。
途中、上田で中部地方の地図も買えるだろうし、
と別所温泉を目指しましたが…。
思いの外遠く、時間は8時を回る始末。
店もまばらになり、地図も手に入れてない。
頭の中では早く泊まる場所を探さないと、と焦ってしまい
途中で上田に引き返しました。
駅前にコンビニが見つからず、イオンでようやく地図を入手。

なんだかんだ回ったものの、
途中、上田の公園でテントを張ろうとしたら注意もされたので
真田まで戻ることにしました。

真っ暗な中、真田本城跡に到着。時刻は21時を回っていました。
怪しまれないようにと暗くなってからテントを張ったのですが、
さらに怪しい人となってしまいました。
でも満月に救われ、街灯のない中テントの設営が完了。
大きな入道雲と雷が見えましたが、ここはあずまやが有るので
いざとなれば非難できるので安心です。

お風呂にも入れず、暗いのと疲れたので、ご飯も食べずに寝ることにしました。
上田で買ったワンカップを一気に飲み干し、寝袋に収まりました。
ようやく安心。。1日目も終了です。 何とも波乱の予感…。

(第2日~別所温泉堪能・アルプス!~に続きます)

※ 写真: 真田町・真田本城跡での野営
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第1日 ~安全祈願・榛名参詣~

2005年09月04日 | スーパーカブ
☆第一日目の行程☆ 
計 231 km
埼玉小川町→児玉→高崎→榛名神社→榛名湖→倉渕村
→二度上峠→北軽井沢→嬬恋村大笹→鳥居峠→真田町
→東御市海野宿→上田→真田町(公園・テント泊)

第1日目は小川町を9時半に出発。
遅い出発となったのは前日に荷物積載状態での
試走でバランスを崩して側溝に転落したことを受けて
当日に荷物を積み替えていたため。
結果的に防水バッグに詰め替えたで後に大助かりします。

はじめは登山用60リットルのザックに荷物を入れ、
立てた状態で積んだところ、
自宅近くのS字カーブでバランスを崩して
バイクは排水路へ引っかかり、自分は対岸の桑の木に…。
何とも田舎にありがちな牧歌的なクラッシュですが
チェンジペダルがグニャリと曲がってしまいました。
バールで元の形に戻して出発しました。
荷物を積んだら試走することをオススメします。

そんなトラブルもありましたが、左右のバランス、低重心、
そして何より荷物のブレをなくす様にしっかり結束することで
危なげなく運転できるようになりました。後は腕次第。

小川町を出発し、竹沢から折原へ抜け、
R140寄居皆野バイパス折原IC付近の末野から
円良田湖の脇を抜け、児玉へ。
この円良田湖脇の県道349号線は1.5車線の狭く、
見通しの利かない道なのですが、二輪で走ると快適です。
釣り人で賑わう円良田湖を脇目に進み、
北海道を思わせる人家のない直線もあります。
そしてエーザイ美里工場の近くに出ます。

R254を北進、途中から高崎方面へ。
高崎を抜け、高崎経済大学前を通り榛名山へ向かいました。
榛名町の室田を榛名湖方面に折れ、榛名神社へ。
ここで50ccカブツーリングの弱さが露呈します。

上り坂でスピードが出ない!!

3速から2速へ。それでも重そうに走ります。
ついにフルスロットルでも時速20kmほどになってヨタヨタと…。
20km無い距離を約1時間かけて榛名神社へ到着しました。
何とも先が思いやられます。群馬県を脱出できるのか??

榛名神社で旅の安全を祈願し、御神水に浸けないと運勢を見ることができない
「御神水開運おみくじ」を引き、結果は大吉でした。
さらに、地元の方々から温かい激励の言葉を戴いて榛名湖へ出発。
荘厳な境内、人の温かい門前町。どれをとっても良い神社です。

榛名湖までの上り坂も時速は約20kmでしたが、
ゆっくりと移り変わる景色を見ながらというのも、この旅の醍醐味ですね。
榛名湖を一周し、再び榛名神社方面へ下ると上り坂とは状況は一変!
エンブレが適度に利き2輪ならではの快適なコーナリングが可能です。
マニュアル(遠心自動クラッチ)であるスーパーカブは
エンブレを利かせた運転が可能であるのでとても助かります。

その調子で快適に倉渕村まで山を下り、西進。
二度上峠を経由し、嬬恋から長野入りする計画としました。

(第1日 ~峠越え・信州へ~ に続きます。)

※写真は嬬恋村
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夏・カブ紀行 第0日~準備・積載編~

2005年09月03日 | スーパーカブ
今回使用する愛車スーパーカブは、10年を越える「ご老体」
走行距離は28000kmを越えています。
ちょっぴり不安もありましたが、まぁカブなら大丈夫でしょう。
でも入念に調整をしました(と言っても素人整備ですが…)。

プラグ交換、アイドリング調整、ブレーキ摩耗チェック
ギア・チェーンの清掃・張り具合調整、空気圧調整
各部ワイヤーのチェック、オイル交換などをしましたね。
荷物を多めに積むので後輪の空気圧は2.5kPaくらいにしました。
そしてオイルは高回転で連続走行となるため、
G1オイルではなくS9オイルとしました。

荷物の積載に備えて、私は以前にベトナムから
カブパーツの輸入をしている「アウトスタンディング」
からベトナムキャリアとリアキャリアを購入し装着していました。
2つ合わせて5000円位だったと思います。
因みにリアキャリアは標準キャリアのさらに後ろにつけるもので、
私はそこに、ホームセンターで売っているリアボックスを装着。
標準キャリアがフリーで使えるのは結構便利です。

今回は2人用ドームテント(2950円)と銀マット(400円)
それから着替えなどを車用の防水バック(4000円位した?)
に入れて標準キャリアに積みました(写真)
そして寝袋は前方キャリアにゴミ袋に入れて積みました。
リアボックスにはレインコートや携帯空気入れ(398円)
整備工具などを入れていました。
財布や1日分の食料、防寒着は
リュックサックに入れて背負ってました。
これは、もしバイクから振り落とされてバイクだけ
どこか落ちてしまっても生き延びるためです。
単に荷物が入りきらなかったとの見方も出来ますけどね。
なお、リュックサックにものを入れるときに、防水のため
ゴミ袋にものを入れてからリュックに入れました。

下に今回の荷物を列挙します。参考になればして下さい。
書き忘れもあるかも知れません
○キャンプ関連
寝袋(春・秋用) 2人用テント 銀マット コッヘル(2ヶ)
EPI-Gasバーナー ガスカートリッジ230g×2 十徳ナイフ
○身の回りのもの
着替え4日分 日焼け止め 常備薬 ヘッドライト 乾電池
ラジオ付き非常灯(自家発電タイプ) ザックカバー
針金ハンガー×2 方位磁石 水筒 ひも付き水筒カバー
防水バック 家庭用ゴミ袋 お泊まりセット
○バイク関連
クレ556チェーンバルブ 整備工具 携帯空気入れ
エンジンオイル予備(写真:テールランプの上に積んでます)
結束用ゴムバンド3m×3 積載用ネット プラグ予備 
○電子関連 
デジタルカメラ B5ノートパソコン 携帯電話 各種ACアダプター
○地図
昭文社スーパーマップル関東道路地図 マックスマップル中部


★持っていけば良かったと思ったもの
ツーリングマップル(やっぱり情報が違います!)
小型フライパン(ウィンナーなどを焼くため)
折り畳みいす(座る場所が…)
割り箸(買えばいいんですが、以外と買い忘れる)
スタッフバック(登山用だと防水もいい!)
ペグ抜きorバール(テントのペグを抜くのに苦労した)



※写真は、野麦峠にて
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夏・スーパーカブ紀行(埼玉→愛知→埼玉)

2005年09月03日 | スーパーカブ
今回の旅の友はスーパーカブ50DX(1994年式?)、
3速・10年超・特に改造もしていない「農村カブ」です。
カブといえば、言わずと知れた抜群の経済性・耐久性を誇る名車
南北アメリカ大陸縦断などもやってのけています!
北海道の誇る大泉洋はこれで東京まで…(笑)

学生生活も最後…。
スーパーカブ(50cc)で遠くへ行きたい!
そんな思いから始まった今回の旅行でした。
私はまちづくりを専攻しているため、多くの「まち」を見たい!
そんな思いもありました。
なんか、まったりと旅行できそうですよね。カブだと。

これから数回に分けて、恐らく誰もがやってみたかった
「カブでツーリング」の結果を紹介していきます。

ちなみに筆者は初ツーリング。
ツーリングの「いろは」も分からず出発をしました。
そんなツーリング初心者の50ccでの体験記です。
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偶然か導きか…そして選択の結果

2005年08月25日 | Weblog
旅から帰り、その数時間後、親戚の不幸がありました。そのため旅のブログ更新は暫くお待ち下さい。

今回の旅は考えようですが導きがあったかのような事がありました。
細かくは後に譲りますが、大雨で行く手を阻まれ
進路変更したことによる台風の回避、
突然の豪雨で避難した事で見つけた寝床、
そして台風接近で旅を切り上げた
ことで可能になった葬儀ヘの参加…

どれも偶然なのに導かれたかのように思ってしまします。

偶然がもたらした私の決断が、
結果として導かれたかのようになっていること…。

不思議ですね。
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智恵子抄の舞台-二本松・安達

2005年08月17日 | Weblog
あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川。
ここはあなたの生まれたふるさと…(後略)
(高村光太郎『智恵子抄-樹下の二人』)

二本松市の隣にある安達町はそんな智恵子抄の舞台。
高村(長沼)智恵子の生家があります。
智恵子の生家は造り酒屋で、当時の様子が再現されています。
その生家の裏山では「樹下の二人」の光景が拡がります。

この裏山は光太郎が、帰郷した智恵子を見舞って
訪れた際、散歩した地と言われています。

智恵子の生家から細い山道を登っていくと、
公園に出ますがまだ登ると、程なくして墓地に出ます。

ここの墓地の中、鞍掛岩という岩のあるあたり、
かつてはここに崖があったと言われていますが、
恐らく光太郎と智恵子はこの辺りに腰をおろしたのでしょう。

遠くになだらかで大きな稜線(安達太良山)が見え、
背後には、確かに阿武隈川が見下ろせます。
残念ながら白い点々(酒庫)を望むことは出来ません
(長沼家は智恵子の生きた時代に破産したため)
が家々が点々と望むことが出来ます。

私が最近ここを訪れたのは昨年の1月。
早朝、それも雪の中に訪れたため、とてもひっそりとしていました。
ゆったり足を伸ばして『智恵子抄』の本を読み返すと、
大きく様変わりをしているはずの丘であるのに、また感慨深いものです。
下手に観光地化していないこともいいのかも知れません。

写真はその丘の様子です。そこから見える空、景色は
是非とも自らの目で確かめてみて下さい。

智恵子抄には「あどけない話」のなかで
「智恵子のほんとの空」という文面があります。
この丘から見える安達太良山、その上に拡がる空が
その「ほんとの空」なのかも知れませんね。
確かに美しい空ですが、
ふるさとの、それもいつも望む象徴的な景色の上に拡がる広く青い空は、
それぞれの人の持つ「ほんとの空」なのかも知れないと感じました。
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いざ出発!

2005年08月17日 | スーパーカブ
スーパーカブで東北を旅する計画がようやく始動し
荷物を積載しての走行試験、愛車の整備などの準備が整いました。
明日出発しようと思います。

思いの外積載時の安定が悪いこと、天候の不順が予想されることから
コースは特に定めず、愛車の様子と自分の体調などと相談しながら、
気ままに旅しようと思っています。

今回の旅行は、もちろん旅行なのですが
地方中小都市を巡検する事がメインです。
気張らず、ゆっくりと進んで行く予定です。

現在でも八幡平を目標に東北方面に進み、
羽後亀田・角館・盛岡・遠野・平泉などを通るか、
金沢・越前大野を目指して西へ進むかいまだに決まっていません。
共に見て学ぶテーマは決まっているので、
その日の様子、天気などを勘案して進みます。

この度の様子は携帯電話から送信して当ブログで紹介しようと思います。
興味のある方は見てみて下さい。
携帯電話の電池の状況で更新されないかも知れませんが…。
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白い森の国おぐに(山形県小国町)

2005年08月16日 | Weblog
山形県の小国町は山形県の南西端、
新潟県と福島県に接する所にある小さなまちです。
別に親戚の家がある訳でも、友人の家がある訳ではないのですが、
この町には私は何度も足を踏み入れているところです。
越後の「荒川」の源流部にあたり、
飯豊山・朝日岳などの名山などもある素晴らしい自然が魅力です。

鉄道で言えば、新潟県の新発田から北に行った
坂町駅から山形県の米沢駅とを結ぶJR米坂線の沿線に位置し、
小国駅・羽前松岡駅、伊佐領駅、羽前小松駅が町内に存在しています。

タイトルにつけた「白い森の国 おぐに」は
小国町のキャッチフレーズなのですが、
なぜ「白い森」なのか?という思いを抱きます。

実は小国町は全国有数の豪雪地帯で、冬には人里でも5m程の積雪があります。
この雪の白さもこの由来です。
冬になると国内に限らず、台湾などからも雪を見に訪れる人々がおり、
何が楽しいのか、カンジキを履いて雪の中を
ぞろぞろと歩いている光景を何度か実と事があります。
何とも参加者は嬉しそうに歩いているのが印象的でした。。
こういうのをグリーンツーリズムと言うのでしょうか?
地元の人には全く理解できないけれど、都会の人々、異文化の人々には
とても新鮮でエキサイティングな体験…。
(ご覧になっている方で他にこのような例があったら教えて下さい!)

また、みなさんは「ブナの木」を見たことがあるでしょうか?
ブナの木は木肌が白く、森となれば白っぽい幹が
鮮やかな緑とのコントラストで美しく広がります。

小国町は広大なブナ林を持っており、豊かな自然環境を持っています。
そのためこの地域では「マタギ」と呼ばれる狩りをする人々が
今でもその文化を守っています。
年間のクマの捕獲数などが割り当てられ、その範囲内での狩りとなりますが、
毎年春先にクマ撃ちが行われます。
「熊の胃」と呼ばれる熊の膵臓(?)は漢方薬としても珍重されるものらしいです。

春先にはもう一つの風物詩、「山菜」がとても有名です。
ワラビ・ゼンマイ・ふきのとう・山ウド・タラの芽・ジダケ…
名前は忘れてしまいましたが、その他にもたくさん山菜が採れます。
朝日岳に近い五味沢・徳網の民宿、飯豊山に近い玉川の民宿などでは、
山菜料理が出てくるのですが、どれもとてもおいしく
普段ジャンクフードを食べる事の多い我々の体を浄化してくれそうに感じます。

民宿に泊まらなくても、国道113号線沿いに
「蔵王ストアー」なるお店があり、
スーパーかと思いきや、地元でとれた山菜のデパートのように
旬のあらゆる山菜が並んでいます。
「ヨイとこ小国~」と小国音頭が流れる店内で山菜達を見ていると
気分も小国人となれます。お立ち寄りの際は除いてみても面白いかも知れません。

写真はなかなか文面で魅力を語ることが出来ない小国町の荒川源流の様子です。
小国駅からひたすら北(五味沢方面)へ25キロほど走ると、
五味沢・徳網を過ぎたあたりで舗装が切れます。
この辺から歩くのがお勧めですが、さらに朝日岳の方に車または歩きで
登山道を進んでいくとブナの原生林、荒川の力強い流れが見られます。
新緑の季節は雪深い中の鮮やかな緑、夏は森林浴に、秋には素晴らしい紅葉が、
どれをとっても圧巻です。
ちょうど写真は針生平と呼ばれる地域に差し掛かる橋から撮影しました。
季節は昨年の8月下旬です。

山形県小国町はホンモノの自然と出会える場所です。
足を運んでみてはいかがですか。
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「ふるさと」って…

2005年08月15日 | 雑記帳
今日は群馬県の榛名神社に行って来ました。
前にも紹介していますが、今回は旅の安全を祈願して参りました。
伊香保や榛名湖から高崎へ下る途中、
ひょっとすると通り過ぎてしまいそうな所にありますが、
荘厳な境内には是非とも足を運んで頂きたいと思います。

また門前町では「門前そば」が味わえ、どれもおいしいお店ばかりです。
途中の豆腐屋さんでは口触りがなめらかな豆腐が売っています。
この門前町、なんと言っても人の温かさが魅力で、
日本で失いかけているのではないかと感じるものが、ここにはあるように感じます。

この辺の地域は最近、活性化の動きが活発で前回もリンクを張りましたが、
ブログで情報発信もしています。http://blog.goo.ne.jp/shakemachi027
榛名神社の詳細は先のリンクに詳しいので、今日はそこで感じた話を一話。

みなさんに「ふるさと」はあるでしょうか?
何とも馬鹿なことを聞いているようですが、
本家から離れて東京で暮らす末っ子(サラリーマン)の家に生まれ、
東京・四谷、横浜、埼玉とマンションや新興住宅地で育った私にとって
「ふるさと」がどこなのか、なんなのか、正直ピンときません。
小さい頃からの幼なじみはいませんし、周囲の変化もあるので
決まって心に刻み込まれる地域が無いという事なのかも知れません。

私が横浜から埼玉の小川町に引っ越して来るまで、
近所で川遊び、山遊びをしたことはあまりありませんでした。
なので、引っ越してきた頃は、それはカルチャーショックで、
毎日が発見の連続でした。何とも不憫な子供の様ですが、
田んぼに落ちたのも、川に落ちたのも、オニヤンマを初めて見たのも
山で道に迷って帰れなくなったのも、小川町で初めてした経験でした。

それから10年以上経った今ではようやく小川町を
「ふるさと」として思えるようになってきましたが、
両親が自分の「ふるさと」に定年後帰るとなれば、
今の「ふるさと」の家も無くなり、新興住宅地ですから
別の人が住むこととなります。
そうすると「ふるさと」って…。となりそうに思えてきます。

ふと今日感じたのは、榛名神社を見ていて、
お盆や正月に帰る「ふるさと」っていいなという思いです。
歌の「ふるさと」では無いのですが、
どうしても「ふるさと」というと人々が暖かく、自然豊かなイメージがあります。

高島平や光が丘であれ、生まれ育ち、親もいれば「ふるさと」と思えるだろうし、
私も小川町をふるさとと思えるだろうなとも思います。
ただ、日本が全て都市化されていく中で、
ふるさとの原風景というのは変わっていくのか、
本当の「ふるさと」ではないけれど、心のふるさとを別の所に求めるのかな?
と思ったりもします。

今は田舎に泊まる番組があったり、田舎暮らしをする人が増えたりしています。
思うにあのような世界に憧れる人というのは、私のように、
都市住民で精神的にふるさとと思えるところがない人々が
夢中になる世界なのではないかなぁと思います。

自分にはない本当の「ふるさと」のかわりに、
心の中に抱いている「ふるさと」を日本の原風景の中に求めているのかなと
感じます。
イメージを植え付けられているのかなと感じつつも、
都市で生まれた人達の「ふるさと」がどういう形で表現されるのか、
自分のふるさと探しも兼ねて少し考えてみたいですね。

写真は小川町の白根にあるお地蔵様です。
自宅周辺はふるさとと感じなくても少し離れた農村地帯にふるさとを感じます。
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障害のある人の働きぶり

2005年08月11日 | 雑記帳
諸事情により、更新が遅れがちでしたが、再開します。

ただこれだけではつまらないので、少々ブログの本題から離れますが、
最近感じたことから一話。


私のアルバイト先には数人、いわゆる知的障害者の方がいらっしゃいます。
いずれも地味ではありますが、仕事を一生懸命やっています。

ただどうしても
普通の人の2倍、私たちベテランバイトの3倍、パートさんの4倍
近くかかってしまうのが現実です。
ただ、ひたむきに努力している姿には打たれるものがあります。


私たちが彼らに接する姿勢は様々。
厳しく叱るひと、私のように甘いひと、無関心・かかわらない人。

私は性格上、あまり厳しいことを言えないのですが、
最近、厳しく叱る人の真剣さに感ずるものがあります。
ただし、その厳しさには2パターンあって、
いじめに近い叱り方をする人もいるので一様には言えませんが。


たとえばハサミの使い方。
私たちの職場では食品を扱うため、製品に混入しないよう、
ハサミの管理は厳重で各作業者が自らの責任で管理します。
障害者の方でも自らの管理に任せられる人もいますが、
私の同僚の場合、置き場所が一定しなかったり、
人のハサミを持ち出して使用したりと危ないことも多々あります。

そのため通常、ラインに入るときは共同作業者がハサミを管理しながら
ハサミを共同で使用します。私の時にも同様です。

私の場合、
1.借りるときに一言かけること
2.ハサミを人に渡す時は刃を持って渡すこと
3.使用したら元の場所に戻すこと
4.ここにあるハサミを使用すること
を確認し、それに反した時には何度でも説明をするようにし、
異変がないか常に注意をして作業をします。
これはまだ当人が出来ないことを私が補完するために行っています。

どうやら他の人は放任でやらせたり常に起こったりしているようですが、
一人とても厳しいながらも本当に彼のことを思っているのだな、と感じさせる
やり方をする人がいます。

ハサミの管理も、自らが作る製品も決め、すべてを自分ひとりでやらせます。
ハサミを紛失したり、欠けたりしたら厳しく叱り、
自らの担当した製品を一つ一つ時間が過ぎてでも見つかるまでチェックさせます。
つまり、自らのミスを他の人が面倒見たり、尻拭いをするのではなく、
すべてを自分の力でやらせています。

ほかにも掃除の時など様々なケースがありますが、ハサミのケースを挙げました。

発達段階というものがあるので、一概にどちらがいいのか言えませんが、
たとえ障害があるとはいえ、自分ひとりの力で生き抜く力を身につけなければ
なりません。
仕事をして自分の力で稼ぎ、生活することができなければ周囲の家族も不安は残りますし、それをできることが理想です。

現在の日本では障害者の働き口、給与などに問題を抱えているそうです。
先日亡くなられた、小倉昌男氏は月給1万円に満たないといわれる、
障害者の仕事の現実を知り、自立を支援するヤマト福祉財団を立ち上げたそうです。

本当に障害者のことを考えているのは、私たちの例で言えば厳しいながらも、
自らの責任でやらせていた同僚なのかも知れません。
私の今まで接してきた方法は誤りとは言えないけれど、
本当に自立を願っての接し方だったのか考えてしまいました。
心の奥底のどこかで障害者の人が、「できないから仕方ない」という
無関心の人たちに近い感覚を持っていたのではないかと反省してしまいます。

今思えば、私がアルバイトに入りたての頃、一緒に仕事をしていた障害者の人は
教える部下(私)の教育を任されて、生き生きと仕事を教えてくれたことを思い出します。
ただひたすらに製品をパレットに積む作業でしたが、本当に楽しそうにやっていました。その後半年ほどして、
その彼は「今度就職するんだ、毎日なって疲れるんだけどな!」
と私に話してくれたことも思い出しました。


何が良いのか悪いのか、ただ障害者の自立を願ってやまないことは確か。
これから卒業して退社するまで半年、行く機会も減りましたが、
考えてみたいことです。

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飯能のまち 3(旧市街地)

2005年08月02日 | Weblog
飯能市は今まで紹介した通り、名栗川の谷口集落として成立したまちです。
旧市街はその姿を残している場所です。
その旧市街地がどんな性格を持つか見てみます。

谷口集落とは飯能のほかには、
八王子・青梅・小川町・寄居・児玉・高崎・桐生・足利
なども谷口集落といえます。

これらの町は上流部の山村地域と平野部との接点としての役割を持っています。

飯能は名栗川が秩父山地から平野部に流れ出る地域に発達したもので、
名栗川の上流、名郷・名栗・原市場などを背景としているほか、
高麗川の上流、吾野地域も後背地としています。

地図を見れば分かるのですが、高麗川の谷口には、
高麗(日高市)というまちがあります。
なぜ高麗ではなく、飯能が地域の中心として発展をしたのか?
この疑問に答えるには、広域的な都市の配置が関係していそうです。

八王子から高崎に至るJR八高線は、秩父山地と関東平野を分ける、
「八王子-高崎構造線」にほぼ沿っており、
この構造線上に前述の谷口集落が分布しています。
結果論のようでありますが、この地域ではこの構造線に沿って
概ね10kmの距離間隔で飯能・越生・小川・寄居…と拠点都市が連なっています。
これらの都市は、互いに八王子から高崎へ抜ける往還(絹の道)で結ばれ、
10kmの距離間隔により一定の独立性を持っているといえます。

飯能と高麗との距離は3~4kmしか離れていないため、
競合が起き、互いに中心として存立が出来ず、
他都市との距離などからくる立地の優位性から飯能が栄えたと考えられます。

以上のように飯能は名栗にとどまらず、高麗川も後背地として発展をしました。
これらの地域は「西川林業」と呼ばれる一大林業地帯です。
そのため製材拠点としての性格を色濃く残していると思えばそうではなく、
むしろ織物や広域に及ぶ商業中心地として性格を持つ建物が残されています。

私は今回、ちょうどお祭りの時に飯能を訪れましたが、
飯能銀座・飯能大通りは普段は寂しい通りとなっています。
ところが飯能大通には黒塗りの土蔵建築の商店が何軒も見られ、
往事の発展を見ることが出来ます。
写真は「広小路」付近の蔵づくりで、「うだつ」も見られます。
周囲にはいくつも目を引く建物が多く見られます。
若干駅からは離れ、交通量は多いですが、明治期から残る建築物が多く見られる場所です。
青梅のように、関連のない映画看板で台無しにされることもなく、
まさにこれらの建築物が今置かれている状態を見ることが出来ます。

山地と平地、ベッドタウンと地方都市など、幾つかの要素の狭間にあるまちが
飯能に見られます。飯能駅からふらりと歩いて、なんの変哲もないまちの中に
都市化の変遷を見るのも楽しいかも知れませんね。

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こどもの旅

2005年07月31日 | 雑記帳
最近、八高線に乗っていると大きな荷物をもったこどもたちを見掛けます。
家族連れだと車を利用するのか、一人で乗っている子が多いようです。
不安と緊張・好奇心が渦巻く一人旅、特にこどもならなおさらです。
私も小さい頃、一人電車で出かけたことと重ねて見てしまいます。
電車の中で親切にされたこと、
迷ったときに助けてもらったこと…
その時は、ほっとした気持ちなのですが、
後から嬉しいことだったなぁと。
だから大人の立場の今は自分の番と心がけてます。
最近はお互いに難しい物騒な世界になってしまいましたけれど。
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カブの魅力

2005年07月30日 | スーパーカブ
パソコンが帰って来るまで携帯で投稿、今回はテストを兼ねてます。

「飯能3(旧市街地)」はお待ち下さい。もう夏休みなのでその次は、いままで行った中でおすすめの山形小国町と二本松・安達を紹介します。

さて今日は噂話で聞いたカブの魅力です。
カブで旅をする人は多いですね。その理由は群を抜く信頼性、機動力、燃費にあるでしょう。
実はカブ、夫婦でアメリカ大陸縦断を達成したそうです。
なにせカブは世界100ヶ国以上で愛されるバイク。部品が世界中で手に入ります。
日本でもカブならどこでもすぐに直せそうですね。
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飯能のまち 2(駅周辺-現代的な町並み)

2005年07月26日 | Weblog
飯能は名栗川の谷口集落として成立・発展したまちです。
中心街は西武線の「飯能駅(写真:飯能のまち①)」と
JR八高線・西武線の「東飯能駅(写真:飯能のまち②)」
で結ばれる地域に発達し、飯能駅の北西が旧来の市街地となっています。

飯能駅の周辺に商業集積が見られ、南口には美杉台団地が広がります。
一方で近年、東飯能駅も橋上化(駅舎を持たず改札口がホームの上部にある)
に伴って、丸広百貨店・飯能信金本店の巨大な建物が建設されました。
八高南線(八王子-高麗川)の電化により、東飯能駅のポテンシャルは高まっています。

これは飯能駅のスイッチバック構造解消のために飯能駅を経由せずに、
東飯能へと結ぶ短絡線の用地が確保されていることからも
東飯能駅の役割を考えることができます。近年は短絡線建設の話は聞きませんが、
すでに高い中心性を持つ飯能駅を通らずに、本線が秩父方面に向かうことにより、
まちの構造にどのような変化が起こるのか。わずか1kmほどの違いですが、
鉄道がまちに与える影響が大きい首都圏ではその影響は大きいものとなるでしょう。
新しい中心を持つことによる飯能の新たなステージをどのように位置づけるのか、
歩いて考えてみるのも面白いでしょう。

さて、飯能①で紹介した通り、私が高校の頃このまちは
都会的なイメージでは小川町と同レベルで扱われていました。
①には飯能駅前の様子が写真で掲載してあります。

飯能駅は西武池袋線の終着駅で、秩父方面にはスイッチバックして向かいます。
もっとも、池袋からの10両編成は飯能駅で終着となるため、
スイッチバックしていく電車は、特急電車などごく僅かとなっています。
10両電車の終着、迫る山の景色、同じ谷口集落を由来とする都市など、
飯能市と小川町には共通点が多く見られます。
このことから「飯能≒小川」となるのかも知れませんね。

ところが両者に決定的に異なる点は、東京からの距離・影響でしょう。
飯能市は東京50km圏に位置、池袋からは僅か45分450円で結ばれています。
このことから飯能市は東京の衛星都市としての性格が強く、
中央資本・外部資本による近代化が顕著です。
飯能駅は駅ビル西武飯能PePeと飯能プリンスホテルが入る
7階建ての駅ビルがそびえ立ちます。
駅前には丸広百貨店がありますが、それ以外はみずほ銀があり、
吉野家・松屋・和民などのチェーン店の入るテナントビルが立ち並ぶ、
一般的な首都近郊の駅前となっています。

これらの大手チェーン店は駅乗降客数と一定距離内の周辺人口の分析や
配送計画に基づいて立地計画が為されます。
例えば乗降客数が15,000人以上、半径2km内に20000人の人口などのように。
そのためロードサイド店で無い限り、大手チェーン店はある時を境に
幾つかのチェーン店が急速に流入をしてくると私はみています。
(根拠に基づく検証ではありません)
配送の関係からもある程度のドミナント(集中立地)が必要となるため、
触手のように伸びてくるとも言えます。

飯能市にはこのような外部資本による都市化が駅前を中心に進んだと言えるでしょう。

その駅前から北上し、名栗へ向かう県道沿いには
駅前とは異なる谷口集落の面影を残す風景が広がります。
旧市街はいったん区切って③で紹介します。
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