まち歩きとDIYと こどもと一緒に生き物あそびも

日々のちょっとした出来事をつづるblogです。

中一光学 スーパーマクロレンズ FREEWALKER f2/20mm

2020年08月05日 | 雑記帳
最近、子どもの影響で昆虫を飼ったり、休日は野外観察することも多い。
生き物の意外な側面は可愛いものだ。

そんなしているとマクロレンズが欲しくなる。
フィルムカメラの時代はマクロリングなどで最大撮影倍率を稼いだが、デジタルになって使っている人に出会わない。画質の問題かな?
私はマクロレンズは定番のタムロン90mmを使用している。かれこれ10年以上持っている。どちらかといえば柔らかい描写だがピントがしっかりと来て、いいレンズだ。等倍撮影で十分なはずなのだが…。スマホに勝てないときがある。寄れないのだ。30cmくらい離れないとピンが来ない。
最近深夜帰りで洗濯が終わるのを待っている間暇なのでネットサーフィンしていると⁉️面白いレンズを見つけた。

中一光学のスーパーマクロレンズ
ポチっとしてしまった。

妻に内緒なので深夜のコンビニで受け取った。
中一光学は中国メーカーらしい。勢いでよく調べずに買ったが、日本発売元の焦点工房では、ずいぶん前にマウントアダプターを買った覚えがある。
中国メーカーだし期待していなかったが思ったより立派な箱だ。

キャノンより高級感がある。

字体は、いかにも中国って感じ。

でもちゃんと取説が入っている。

日本語の説明も。電子接点が無いらしい。絞りは00になる。



包装もしてある。

どんなレンズかワクワクしますね。

不恰好だが、ずっしり重く金属ボディでしっかりしている。

口径はずいぶん小さい。


確かに電子接点がない。マウントは黒い金属ボディそのまま

絞りが付いているが段付きでないのでカチカチとならずシームレス。

付けると不恰好だがどんな写りか。

1000円札 野口英世の目
手ぶれとISO25600で完璧ではないが使えそうだ。


1000円札 日本銀行券の銀
これなら昆虫に寄れる!
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今日の夕食。明星 宮崎辛麺

2020年08月05日 | 雑記帳
最近連続して深夜帰り。人手が足りず忙しい。この時間になると夕飯を抜きたくなるが、前に過労で倒れたことのある経験からすると、こういうときこそ何か食べておかないと倒れる。
でも食欲は無いから、マイルールだが辛い柔らかい物を食べることにしている。
今日は明星チャルメラ 激辛 宮崎辛麺を食べてみる。






美味しいが結構味が濃い。
でも食欲無いときは辛いのに限る❗️
米も入れるとちょうどいいが深夜には無理だ。
先月は実績と超過勤務の差違(サビ残)がかなり多くなってしまった。カネにならない仕事で妻には申し訳ないが仕方ない。早く帰れるようにしなければ。
早く洗濯終われ~。干してさっさと寝たい。

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「ふるさと」って…

2005年08月15日 | 雑記帳
今日は群馬県の榛名神社に行って来ました。
前にも紹介していますが、今回は旅の安全を祈願して参りました。
伊香保や榛名湖から高崎へ下る途中、
ひょっとすると通り過ぎてしまいそうな所にありますが、
荘厳な境内には是非とも足を運んで頂きたいと思います。

また門前町では「門前そば」が味わえ、どれもおいしいお店ばかりです。
途中の豆腐屋さんでは口触りがなめらかな豆腐が売っています。
この門前町、なんと言っても人の温かさが魅力で、
日本で失いかけているのではないかと感じるものが、ここにはあるように感じます。

この辺の地域は最近、活性化の動きが活発で前回もリンクを張りましたが、
ブログで情報発信もしています。http://blog.goo.ne.jp/shakemachi027
榛名神社の詳細は先のリンクに詳しいので、今日はそこで感じた話を一話。

みなさんに「ふるさと」はあるでしょうか?
何とも馬鹿なことを聞いているようですが、
本家から離れて東京で暮らす末っ子(サラリーマン)の家に生まれ、
東京・四谷、横浜、埼玉とマンションや新興住宅地で育った私にとって
「ふるさと」がどこなのか、なんなのか、正直ピンときません。
小さい頃からの幼なじみはいませんし、周囲の変化もあるので
決まって心に刻み込まれる地域が無いという事なのかも知れません。

私が横浜から埼玉の小川町に引っ越して来るまで、
近所で川遊び、山遊びをしたことはあまりありませんでした。
なので、引っ越してきた頃は、それはカルチャーショックで、
毎日が発見の連続でした。何とも不憫な子供の様ですが、
田んぼに落ちたのも、川に落ちたのも、オニヤンマを初めて見たのも
山で道に迷って帰れなくなったのも、小川町で初めてした経験でした。

それから10年以上経った今ではようやく小川町を
「ふるさと」として思えるようになってきましたが、
両親が自分の「ふるさと」に定年後帰るとなれば、
今の「ふるさと」の家も無くなり、新興住宅地ですから
別の人が住むこととなります。
そうすると「ふるさと」って…。となりそうに思えてきます。

ふと今日感じたのは、榛名神社を見ていて、
お盆や正月に帰る「ふるさと」っていいなという思いです。
歌の「ふるさと」では無いのですが、
どうしても「ふるさと」というと人々が暖かく、自然豊かなイメージがあります。

高島平や光が丘であれ、生まれ育ち、親もいれば「ふるさと」と思えるだろうし、
私も小川町をふるさとと思えるだろうなとも思います。
ただ、日本が全て都市化されていく中で、
ふるさとの原風景というのは変わっていくのか、
本当の「ふるさと」ではないけれど、心のふるさとを別の所に求めるのかな?
と思ったりもします。

今は田舎に泊まる番組があったり、田舎暮らしをする人が増えたりしています。
思うにあのような世界に憧れる人というのは、私のように、
都市住民で精神的にふるさとと思えるところがない人々が
夢中になる世界なのではないかなぁと思います。

自分にはない本当の「ふるさと」のかわりに、
心の中に抱いている「ふるさと」を日本の原風景の中に求めているのかなと
感じます。
イメージを植え付けられているのかなと感じつつも、
都市で生まれた人達の「ふるさと」がどういう形で表現されるのか、
自分のふるさと探しも兼ねて少し考えてみたいですね。

写真は小川町の白根にあるお地蔵様です。
自宅周辺はふるさとと感じなくても少し離れた農村地帯にふるさとを感じます。
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障害のある人の働きぶり

2005年08月11日 | 雑記帳
諸事情により、更新が遅れがちでしたが、再開します。

ただこれだけではつまらないので、少々ブログの本題から離れますが、
最近感じたことから一話。


私のアルバイト先には数人、いわゆる知的障害者の方がいらっしゃいます。
いずれも地味ではありますが、仕事を一生懸命やっています。

ただどうしても
普通の人の2倍、私たちベテランバイトの3倍、パートさんの4倍
近くかかってしまうのが現実です。
ただ、ひたむきに努力している姿には打たれるものがあります。


私たちが彼らに接する姿勢は様々。
厳しく叱るひと、私のように甘いひと、無関心・かかわらない人。

私は性格上、あまり厳しいことを言えないのですが、
最近、厳しく叱る人の真剣さに感ずるものがあります。
ただし、その厳しさには2パターンあって、
いじめに近い叱り方をする人もいるので一様には言えませんが。


たとえばハサミの使い方。
私たちの職場では食品を扱うため、製品に混入しないよう、
ハサミの管理は厳重で各作業者が自らの責任で管理します。
障害者の方でも自らの管理に任せられる人もいますが、
私の同僚の場合、置き場所が一定しなかったり、
人のハサミを持ち出して使用したりと危ないことも多々あります。

そのため通常、ラインに入るときは共同作業者がハサミを管理しながら
ハサミを共同で使用します。私の時にも同様です。

私の場合、
1.借りるときに一言かけること
2.ハサミを人に渡す時は刃を持って渡すこと
3.使用したら元の場所に戻すこと
4.ここにあるハサミを使用すること
を確認し、それに反した時には何度でも説明をするようにし、
異変がないか常に注意をして作業をします。
これはまだ当人が出来ないことを私が補完するために行っています。

どうやら他の人は放任でやらせたり常に起こったりしているようですが、
一人とても厳しいながらも本当に彼のことを思っているのだな、と感じさせる
やり方をする人がいます。

ハサミの管理も、自らが作る製品も決め、すべてを自分ひとりでやらせます。
ハサミを紛失したり、欠けたりしたら厳しく叱り、
自らの担当した製品を一つ一つ時間が過ぎてでも見つかるまでチェックさせます。
つまり、自らのミスを他の人が面倒見たり、尻拭いをするのではなく、
すべてを自分の力でやらせています。

ほかにも掃除の時など様々なケースがありますが、ハサミのケースを挙げました。

発達段階というものがあるので、一概にどちらがいいのか言えませんが、
たとえ障害があるとはいえ、自分ひとりの力で生き抜く力を身につけなければ
なりません。
仕事をして自分の力で稼ぎ、生活することができなければ周囲の家族も不安は残りますし、それをできることが理想です。

現在の日本では障害者の働き口、給与などに問題を抱えているそうです。
先日亡くなられた、小倉昌男氏は月給1万円に満たないといわれる、
障害者の仕事の現実を知り、自立を支援するヤマト福祉財団を立ち上げたそうです。

本当に障害者のことを考えているのは、私たちの例で言えば厳しいながらも、
自らの責任でやらせていた同僚なのかも知れません。
私の今まで接してきた方法は誤りとは言えないけれど、
本当に自立を願っての接し方だったのか考えてしまいました。
心の奥底のどこかで障害者の人が、「できないから仕方ない」という
無関心の人たちに近い感覚を持っていたのではないかと反省してしまいます。

今思えば、私がアルバイトに入りたての頃、一緒に仕事をしていた障害者の人は
教える部下(私)の教育を任されて、生き生きと仕事を教えてくれたことを思い出します。
ただひたすらに製品をパレットに積む作業でしたが、本当に楽しそうにやっていました。その後半年ほどして、
その彼は「今度就職するんだ、毎日なって疲れるんだけどな!」
と私に話してくれたことも思い出しました。


何が良いのか悪いのか、ただ障害者の自立を願ってやまないことは確か。
これから卒業して退社するまで半年、行く機会も減りましたが、
考えてみたいことです。

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こどもの旅

2005年07月31日 | 雑記帳
最近、八高線に乗っていると大きな荷物をもったこどもたちを見掛けます。
家族連れだと車を利用するのか、一人で乗っている子が多いようです。
不安と緊張・好奇心が渦巻く一人旅、特にこどもならなおさらです。
私も小さい頃、一人電車で出かけたことと重ねて見てしまいます。
電車の中で親切にされたこと、
迷ったときに助けてもらったこと…
その時は、ほっとした気持ちなのですが、
後から嬉しいことだったなぁと。
だから大人の立場の今は自分の番と心がけてます。
最近はお互いに難しい物騒な世界になってしまいましたけれど。
コメント (2)
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