まち歩きとDIYと こどもと一緒に生き物あそびも

日々のちょっとした出来事をつづるblogです。

ミヤマクワガタがついに亡くなりました。

2020年12月18日 | Weblog
我が家に初めて飼ったミヤマクワガタ。
広島で採取された個体を6/14日に頂いた。
先ほど深夜に帰宅すると、ひっくり返っていた。
12/17まで生きたと記録投稿。
ありがとう。







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電気カイロ CELESTRON hand warmer

2020年10月24日 | Weblog
US Amazonで昨年購入した電気カイロ。
望遠鏡のセレストロンが販売するもので、昨年購入したときには日本では販売していなかった。商品は34.92ドルで送料が10.98ドル。
経済的なカイロだし、モバイルバッテリーにもなる。望遠鏡メーカーの商品だけあって赤いライトも嬉しい。赤いライトは星を見るのに暗い所に慣れた瞳孔を閉じさせないので星見には必須。





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ミヤマクワガタが命を終えました

2020年09月04日 | Weblog
同僚から頂いた福島採集のミヤマクワガタが死んでしまいました。

同じ場所で採集したメスとペアリングをして成功していました。
初めてのミヤマクワガタに子どもも大興奮でした。
楽しい夏をありがとう。


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新しい命へのバトン

2020年09月03日 | Weblog
カブトムシが少しずつ寿命を迎えている。
そして継承される命も

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生きた証9/3

2020年09月03日 | Weblog
9/3まで生きたカブトムシの記録
子どもたちに思い出をありがとう。







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生きた証8/30

2020年09月01日 | Weblog
8/30まで生きたカブトムシの記録。



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生きた証8/30

2020年08月30日 | Weblog
8/30まで生きたカブトムシたちの記録





子どもたちに思い出をありがとう

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生きた証8/27

2020年08月27日 | Weblog
8/27まで生きたカブトムシの記録



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話題の信越化学工業のシリコンオイルで洗車してみました

2019年01月30日 | Weblog
youtubeなどで話題のシリコンオイル。
試してみました。






ホイールには特におすすめです。次回から水洗いで汚れが落ちます。
ボディには我流ですが、高圧洗浄機で洗い上げて拭き取り時に使いました。
皆さん霧吹きに混ぜたりしてますが、私は面倒くさがりなので油差しに吸い取って、鉄板焼きの時に油をひくように、ピューとぶっかけてショップタオルで拭きました。
油膜ができるようで気になりますが、次の洗車時に汚れが弾くように落ちてビックリしました。
洗車の拭き上げが嫌いな方にはオススメです。これを施工してからいつも適当に高圧洗浄機で洗って適当にシリコンオイルを伸ばしてます。褪色した赤い車が朱色から赤になって良かったです。

あくまでも主観です。油膜やホコリの呼び寄せなどのデメリットがあり、許容しメリットを感じるかで評価が真っ二つに分かれる商品だと思います。
あくまでもシリコンオイルなので車に使用するのは目的外使用と言うところでしょうか。
2,000円で何年も使えそうなので便器のコーティングしたり家でも使ってます(笑)
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偶然か導きか…そして選択の結果

2005年08月25日 | Weblog
旅から帰り、その数時間後、親戚の不幸がありました。そのため旅のブログ更新は暫くお待ち下さい。

今回の旅は考えようですが導きがあったかのような事がありました。
細かくは後に譲りますが、大雨で行く手を阻まれ
進路変更したことによる台風の回避、
突然の豪雨で避難した事で見つけた寝床、
そして台風接近で旅を切り上げた
ことで可能になった葬儀ヘの参加…

どれも偶然なのに導かれたかのように思ってしまします。

偶然がもたらした私の決断が、
結果として導かれたかのようになっていること…。

不思議ですね。
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智恵子抄の舞台-二本松・安達

2005年08月17日 | Weblog
あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川。
ここはあなたの生まれたふるさと…(後略)
(高村光太郎『智恵子抄-樹下の二人』)

二本松市の隣にある安達町はそんな智恵子抄の舞台。
高村(長沼)智恵子の生家があります。
智恵子の生家は造り酒屋で、当時の様子が再現されています。
その生家の裏山では「樹下の二人」の光景が拡がります。

この裏山は光太郎が、帰郷した智恵子を見舞って
訪れた際、散歩した地と言われています。

智恵子の生家から細い山道を登っていくと、
公園に出ますがまだ登ると、程なくして墓地に出ます。

ここの墓地の中、鞍掛岩という岩のあるあたり、
かつてはここに崖があったと言われていますが、
恐らく光太郎と智恵子はこの辺りに腰をおろしたのでしょう。

遠くになだらかで大きな稜線(安達太良山)が見え、
背後には、確かに阿武隈川が見下ろせます。
残念ながら白い点々(酒庫)を望むことは出来ません
(長沼家は智恵子の生きた時代に破産したため)
が家々が点々と望むことが出来ます。

私が最近ここを訪れたのは昨年の1月。
早朝、それも雪の中に訪れたため、とてもひっそりとしていました。
ゆったり足を伸ばして『智恵子抄』の本を読み返すと、
大きく様変わりをしているはずの丘であるのに、また感慨深いものです。
下手に観光地化していないこともいいのかも知れません。

写真はその丘の様子です。そこから見える空、景色は
是非とも自らの目で確かめてみて下さい。

智恵子抄には「あどけない話」のなかで
「智恵子のほんとの空」という文面があります。
この丘から見える安達太良山、その上に拡がる空が
その「ほんとの空」なのかも知れませんね。
確かに美しい空ですが、
ふるさとの、それもいつも望む象徴的な景色の上に拡がる広く青い空は、
それぞれの人の持つ「ほんとの空」なのかも知れないと感じました。
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白い森の国おぐに(山形県小国町)

2005年08月16日 | Weblog
山形県の小国町は山形県の南西端、
新潟県と福島県に接する所にある小さなまちです。
別に親戚の家がある訳でも、友人の家がある訳ではないのですが、
この町には私は何度も足を踏み入れているところです。
越後の「荒川」の源流部にあたり、
飯豊山・朝日岳などの名山などもある素晴らしい自然が魅力です。

鉄道で言えば、新潟県の新発田から北に行った
坂町駅から山形県の米沢駅とを結ぶJR米坂線の沿線に位置し、
小国駅・羽前松岡駅、伊佐領駅、羽前小松駅が町内に存在しています。

タイトルにつけた「白い森の国 おぐに」は
小国町のキャッチフレーズなのですが、
なぜ「白い森」なのか?という思いを抱きます。

実は小国町は全国有数の豪雪地帯で、冬には人里でも5m程の積雪があります。
この雪の白さもこの由来です。
冬になると国内に限らず、台湾などからも雪を見に訪れる人々がおり、
何が楽しいのか、カンジキを履いて雪の中を
ぞろぞろと歩いている光景を何度か実と事があります。
何とも参加者は嬉しそうに歩いているのが印象的でした。。
こういうのをグリーンツーリズムと言うのでしょうか?
地元の人には全く理解できないけれど、都会の人々、異文化の人々には
とても新鮮でエキサイティングな体験…。
(ご覧になっている方で他にこのような例があったら教えて下さい!)

また、みなさんは「ブナの木」を見たことがあるでしょうか?
ブナの木は木肌が白く、森となれば白っぽい幹が
鮮やかな緑とのコントラストで美しく広がります。

小国町は広大なブナ林を持っており、豊かな自然環境を持っています。
そのためこの地域では「マタギ」と呼ばれる狩りをする人々が
今でもその文化を守っています。
年間のクマの捕獲数などが割り当てられ、その範囲内での狩りとなりますが、
毎年春先にクマ撃ちが行われます。
「熊の胃」と呼ばれる熊の膵臓(?)は漢方薬としても珍重されるものらしいです。

春先にはもう一つの風物詩、「山菜」がとても有名です。
ワラビ・ゼンマイ・ふきのとう・山ウド・タラの芽・ジダケ…
名前は忘れてしまいましたが、その他にもたくさん山菜が採れます。
朝日岳に近い五味沢・徳網の民宿、飯豊山に近い玉川の民宿などでは、
山菜料理が出てくるのですが、どれもとてもおいしく
普段ジャンクフードを食べる事の多い我々の体を浄化してくれそうに感じます。

民宿に泊まらなくても、国道113号線沿いに
「蔵王ストアー」なるお店があり、
スーパーかと思いきや、地元でとれた山菜のデパートのように
旬のあらゆる山菜が並んでいます。
「ヨイとこ小国~」と小国音頭が流れる店内で山菜達を見ていると
気分も小国人となれます。お立ち寄りの際は除いてみても面白いかも知れません。

写真はなかなか文面で魅力を語ることが出来ない小国町の荒川源流の様子です。
小国駅からひたすら北(五味沢方面)へ25キロほど走ると、
五味沢・徳網を過ぎたあたりで舗装が切れます。
この辺から歩くのがお勧めですが、さらに朝日岳の方に車または歩きで
登山道を進んでいくとブナの原生林、荒川の力強い流れが見られます。
新緑の季節は雪深い中の鮮やかな緑、夏は森林浴に、秋には素晴らしい紅葉が、
どれをとっても圧巻です。
ちょうど写真は針生平と呼ばれる地域に差し掛かる橋から撮影しました。
季節は昨年の8月下旬です。

山形県小国町はホンモノの自然と出会える場所です。
足を運んでみてはいかがですか。
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飯能のまち 3(旧市街地)

2005年08月02日 | Weblog
飯能市は今まで紹介した通り、名栗川の谷口集落として成立したまちです。
旧市街はその姿を残している場所です。
その旧市街地がどんな性格を持つか見てみます。

谷口集落とは飯能のほかには、
八王子・青梅・小川町・寄居・児玉・高崎・桐生・足利
なども谷口集落といえます。

これらの町は上流部の山村地域と平野部との接点としての役割を持っています。

飯能は名栗川が秩父山地から平野部に流れ出る地域に発達したもので、
名栗川の上流、名郷・名栗・原市場などを背景としているほか、
高麗川の上流、吾野地域も後背地としています。

地図を見れば分かるのですが、高麗川の谷口には、
高麗(日高市)というまちがあります。
なぜ高麗ではなく、飯能が地域の中心として発展をしたのか?
この疑問に答えるには、広域的な都市の配置が関係していそうです。

八王子から高崎に至るJR八高線は、秩父山地と関東平野を分ける、
「八王子-高崎構造線」にほぼ沿っており、
この構造線上に前述の谷口集落が分布しています。
結果論のようでありますが、この地域ではこの構造線に沿って
概ね10kmの距離間隔で飯能・越生・小川・寄居…と拠点都市が連なっています。
これらの都市は、互いに八王子から高崎へ抜ける往還(絹の道)で結ばれ、
10kmの距離間隔により一定の独立性を持っているといえます。

飯能と高麗との距離は3~4kmしか離れていないため、
競合が起き、互いに中心として存立が出来ず、
他都市との距離などからくる立地の優位性から飯能が栄えたと考えられます。

以上のように飯能は名栗にとどまらず、高麗川も後背地として発展をしました。
これらの地域は「西川林業」と呼ばれる一大林業地帯です。
そのため製材拠点としての性格を色濃く残していると思えばそうではなく、
むしろ織物や広域に及ぶ商業中心地として性格を持つ建物が残されています。

私は今回、ちょうどお祭りの時に飯能を訪れましたが、
飯能銀座・飯能大通りは普段は寂しい通りとなっています。
ところが飯能大通には黒塗りの土蔵建築の商店が何軒も見られ、
往事の発展を見ることが出来ます。
写真は「広小路」付近の蔵づくりで、「うだつ」も見られます。
周囲にはいくつも目を引く建物が多く見られます。
若干駅からは離れ、交通量は多いですが、明治期から残る建築物が多く見られる場所です。
青梅のように、関連のない映画看板で台無しにされることもなく、
まさにこれらの建築物が今置かれている状態を見ることが出来ます。

山地と平地、ベッドタウンと地方都市など、幾つかの要素の狭間にあるまちが
飯能に見られます。飯能駅からふらりと歩いて、なんの変哲もないまちの中に
都市化の変遷を見るのも楽しいかも知れませんね。

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飯能のまち 2(駅周辺-現代的な町並み)

2005年07月26日 | Weblog
飯能は名栗川の谷口集落として成立・発展したまちです。
中心街は西武線の「飯能駅(写真:飯能のまち①)」と
JR八高線・西武線の「東飯能駅(写真:飯能のまち②)」
で結ばれる地域に発達し、飯能駅の北西が旧来の市街地となっています。

飯能駅の周辺に商業集積が見られ、南口には美杉台団地が広がります。
一方で近年、東飯能駅も橋上化(駅舎を持たず改札口がホームの上部にある)
に伴って、丸広百貨店・飯能信金本店の巨大な建物が建設されました。
八高南線(八王子-高麗川)の電化により、東飯能駅のポテンシャルは高まっています。

これは飯能駅のスイッチバック構造解消のために飯能駅を経由せずに、
東飯能へと結ぶ短絡線の用地が確保されていることからも
東飯能駅の役割を考えることができます。近年は短絡線建設の話は聞きませんが、
すでに高い中心性を持つ飯能駅を通らずに、本線が秩父方面に向かうことにより、
まちの構造にどのような変化が起こるのか。わずか1kmほどの違いですが、
鉄道がまちに与える影響が大きい首都圏ではその影響は大きいものとなるでしょう。
新しい中心を持つことによる飯能の新たなステージをどのように位置づけるのか、
歩いて考えてみるのも面白いでしょう。

さて、飯能①で紹介した通り、私が高校の頃このまちは
都会的なイメージでは小川町と同レベルで扱われていました。
①には飯能駅前の様子が写真で掲載してあります。

飯能駅は西武池袋線の終着駅で、秩父方面にはスイッチバックして向かいます。
もっとも、池袋からの10両編成は飯能駅で終着となるため、
スイッチバックしていく電車は、特急電車などごく僅かとなっています。
10両電車の終着、迫る山の景色、同じ谷口集落を由来とする都市など、
飯能市と小川町には共通点が多く見られます。
このことから「飯能≒小川」となるのかも知れませんね。

ところが両者に決定的に異なる点は、東京からの距離・影響でしょう。
飯能市は東京50km圏に位置、池袋からは僅か45分450円で結ばれています。
このことから飯能市は東京の衛星都市としての性格が強く、
中央資本・外部資本による近代化が顕著です。
飯能駅は駅ビル西武飯能PePeと飯能プリンスホテルが入る
7階建ての駅ビルがそびえ立ちます。
駅前には丸広百貨店がありますが、それ以外はみずほ銀があり、
吉野家・松屋・和民などのチェーン店の入るテナントビルが立ち並ぶ、
一般的な首都近郊の駅前となっています。

これらの大手チェーン店は駅乗降客数と一定距離内の周辺人口の分析や
配送計画に基づいて立地計画が為されます。
例えば乗降客数が15,000人以上、半径2km内に20000人の人口などのように。
そのためロードサイド店で無い限り、大手チェーン店はある時を境に
幾つかのチェーン店が急速に流入をしてくると私はみています。
(根拠に基づく検証ではありません)
配送の関係からもある程度のドミナント(集中立地)が必要となるため、
触手のように伸びてくるとも言えます。

飯能市にはこのような外部資本による都市化が駅前を中心に進んだと言えるでしょう。

その駅前から北上し、名栗へ向かう県道沿いには
駅前とは異なる谷口集落の面影を残す風景が広がります。
旧市街はいったん区切って③で紹介します。
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飯能のまち 1(イメージからくる中心性)

2005年07月25日 | Weblog
埼玉県飯能市は埼玉県西南部に位置する谷口集落です。
人口は名栗村と合併したので85,000人ほどです。
秩父往還吾野道・川越秩父道の要衝で
八王子から上州へ抜ける街道も交差する地点にあります。
市制施行も県内では早く、所沢市に次いで9番目(1954年)となっています。

飯能に来ると、なぜか小川町と同レベルで扱われていた高校時代の会話を思い出します。
ちょっと脱線すると、私は川越の県立高校に通っていたのですが、
母校には西部地区各地からの生徒が居たため、よく田舎or都会で話題となったものです。

その序列では、都会なものから順に
和光・朝霞・志木 > 所沢・川越 > 入間(金子除く)・狭山(入曽除く) 
> 富士見・上福岡 > 鶴ヶ島・坂戸 > 東松山・入曽
> 飯能・小川・金子 > 高麗川・毛呂山 > 高麗・越生・川島・吉見
> 玉川・都幾川・吾野・東秩父…
という感じになっていました。

なぜこんな序列になるのか甚だ疑問な限りですが、
あえて根拠(?)を会話風に紹介します。
入曽の民「今日なんでK(小川町民)とT(飯能市民)が遅刻すんの?」
川越市民「雪で電車止まってるらしいよ」
和光市民「マジで!? だってウチのあたり晴れてたぜ。」
鶴ヶ島人「東上線は森林(公園)で折り返だった。」
入間市民「さすが山だな。そういえば小川には林間学校で行ったもんな。」
川越市民「ウチもいったよ。オリエンテーリングとか紙漉とかやった。」
入曽の民「毎日がキャンプみたいなもんだな。」
和光市民「おまえが言えるかよ。入曽も相当な田舎らしいじゃん?」
入間市民「そうそう、IRISOを反対から読むと『お尻』だし。」
鶴ヶ島人「あはは。ださっ」
入曽の民「鶴ヶ島に言われたかないわ。鶴ヶ島だってなんにもないじゃんかよ。」
鶴ヶ島人「何を言うか。コモディ(飯田百貨店)があるよ…」
入間市民「あの無駄にハートが強調してあるやつ? ウチにはPePeがあるよ。」
川越市民「あの階段ばかり大きいやつでしょ?」
入間市民「確かに階段ばかりでかいさ。でも実は川越より池袋まで運賃安いし。」
和光市民「確かに東武は高いんだよな。東京都のウチでも230円だよ。」
川越市民「東京都和光市? 調子乗るなよ!駅前のビルの裏は畑じゃん。」 
和光市民「そういえば今気付いたけど、村長(玉川村民のあだ名)も遅刻だし(笑)」 

実にくだらない話なのですが、K越高校の会話を再現したものです。
(筆者は遅刻したKのため、その時の会話ではないのです)
お互いあまり行ったことのない地域を中傷しあっています。
どれもドングリの背比べなんですけどね。

いま、卒論を作成するために都市の階層性を勉強していると、
なぜそんなイメージが付いたのか考えてしまいます。

すっかり飯能の話と離れてしまいましたが、飯能はまた次に扱うとして、
少し考えてみます(根拠のない考察ですが)。

会話にもありますが、「駅前に何があるのか?」ということ、
東京への距離などがイメージに大きな影響を与えているようです。
西武沿線は本川越・入間市・飯能に
駅ビルPePeとプリンスホテルを併設した駅があります。
東上沿線ではこれらは見られず、志木のToscaのみとなっています。
埼玉県では駅は「まちの顔」であることには間違いありません。
その駅がどのような性格・見栄えの駅かということがイメージに影響を与えています。

同時に重要な要素は百貨店の存在です。
西部地区では丸広百貨店が川越・入間・飯能・東松山にあり、
丸井が志木・川越・所沢に、その他アトレが川越にWaltzが所沢にあります。
これらの存在はイメージに大きな影響を与えていることが分かります。

都市の中心性を研究したクリスタラーの分類によれば
百貨店・大学などのある地域はより高次な中心性を持ちます。

その点に於いても、また埼玉の人なら前述の不等号で
「飯能」が小川町と同列にあることに疑問を感じるでしょうね。
人口規模・商業集積においても
東松山と同等か、それ以上の力を持っている都市です。
山間部という性格、終着駅としての性格がそんなイメージを浮かばせるのでしょうか?

生活者としての中心性から、学術的に捉えてみるのも面白そうです。

いつしか飯能の話と離れてしまいましたが、
次は飯能の紹介をしたいと思います。
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