まち歩きとDIYと こどもと一緒に生き物あそびも

日々のちょっとした出来事をつづるblogです。

こどもの旅

2005年07月31日 | 雑記帳
最近、八高線に乗っていると大きな荷物をもったこどもたちを見掛けます。
家族連れだと車を利用するのか、一人で乗っている子が多いようです。
不安と緊張・好奇心が渦巻く一人旅、特にこどもならなおさらです。
私も小さい頃、一人電車で出かけたことと重ねて見てしまいます。
電車の中で親切にされたこと、
迷ったときに助けてもらったこと…
その時は、ほっとした気持ちなのですが、
後から嬉しいことだったなぁと。
だから大人の立場の今は自分の番と心がけてます。
最近はお互いに難しい物騒な世界になってしまいましたけれど。
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カブの魅力

2005年07月30日 | スーパーカブ
パソコンが帰って来るまで携帯で投稿、今回はテストを兼ねてます。

「飯能3(旧市街地)」はお待ち下さい。もう夏休みなのでその次は、いままで行った中でおすすめの山形小国町と二本松・安達を紹介します。

さて今日は噂話で聞いたカブの魅力です。
カブで旅をする人は多いですね。その理由は群を抜く信頼性、機動力、燃費にあるでしょう。
実はカブ、夫婦でアメリカ大陸縦断を達成したそうです。
なにせカブは世界100ヶ国以上で愛されるバイク。部品が世界中で手に入ります。
日本でもカブならどこでもすぐに直せそうですね。
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飯能のまち 2(駅周辺-現代的な町並み)

2005年07月26日 | Weblog
飯能は名栗川の谷口集落として成立・発展したまちです。
中心街は西武線の「飯能駅(写真:飯能のまち①)」と
JR八高線・西武線の「東飯能駅(写真:飯能のまち②)」
で結ばれる地域に発達し、飯能駅の北西が旧来の市街地となっています。

飯能駅の周辺に商業集積が見られ、南口には美杉台団地が広がります。
一方で近年、東飯能駅も橋上化(駅舎を持たず改札口がホームの上部にある)
に伴って、丸広百貨店・飯能信金本店の巨大な建物が建設されました。
八高南線(八王子-高麗川)の電化により、東飯能駅のポテンシャルは高まっています。

これは飯能駅のスイッチバック構造解消のために飯能駅を経由せずに、
東飯能へと結ぶ短絡線の用地が確保されていることからも
東飯能駅の役割を考えることができます。近年は短絡線建設の話は聞きませんが、
すでに高い中心性を持つ飯能駅を通らずに、本線が秩父方面に向かうことにより、
まちの構造にどのような変化が起こるのか。わずか1kmほどの違いですが、
鉄道がまちに与える影響が大きい首都圏ではその影響は大きいものとなるでしょう。
新しい中心を持つことによる飯能の新たなステージをどのように位置づけるのか、
歩いて考えてみるのも面白いでしょう。

さて、飯能①で紹介した通り、私が高校の頃このまちは
都会的なイメージでは小川町と同レベルで扱われていました。
①には飯能駅前の様子が写真で掲載してあります。

飯能駅は西武池袋線の終着駅で、秩父方面にはスイッチバックして向かいます。
もっとも、池袋からの10両編成は飯能駅で終着となるため、
スイッチバックしていく電車は、特急電車などごく僅かとなっています。
10両電車の終着、迫る山の景色、同じ谷口集落を由来とする都市など、
飯能市と小川町には共通点が多く見られます。
このことから「飯能≒小川」となるのかも知れませんね。

ところが両者に決定的に異なる点は、東京からの距離・影響でしょう。
飯能市は東京50km圏に位置、池袋からは僅か45分450円で結ばれています。
このことから飯能市は東京の衛星都市としての性格が強く、
中央資本・外部資本による近代化が顕著です。
飯能駅は駅ビル西武飯能PePeと飯能プリンスホテルが入る
7階建ての駅ビルがそびえ立ちます。
駅前には丸広百貨店がありますが、それ以外はみずほ銀があり、
吉野家・松屋・和民などのチェーン店の入るテナントビルが立ち並ぶ、
一般的な首都近郊の駅前となっています。

これらの大手チェーン店は駅乗降客数と一定距離内の周辺人口の分析や
配送計画に基づいて立地計画が為されます。
例えば乗降客数が15,000人以上、半径2km内に20000人の人口などのように。
そのためロードサイド店で無い限り、大手チェーン店はある時を境に
幾つかのチェーン店が急速に流入をしてくると私はみています。
(根拠に基づく検証ではありません)
配送の関係からもある程度のドミナント(集中立地)が必要となるため、
触手のように伸びてくるとも言えます。

飯能市にはこのような外部資本による都市化が駅前を中心に進んだと言えるでしょう。

その駅前から北上し、名栗へ向かう県道沿いには
駅前とは異なる谷口集落の面影を残す風景が広がります。
旧市街はいったん区切って③で紹介します。
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飯能のまち 1(イメージからくる中心性)

2005年07月25日 | Weblog
埼玉県飯能市は埼玉県西南部に位置する谷口集落です。
人口は名栗村と合併したので85,000人ほどです。
秩父往還吾野道・川越秩父道の要衝で
八王子から上州へ抜ける街道も交差する地点にあります。
市制施行も県内では早く、所沢市に次いで9番目(1954年)となっています。

飯能に来ると、なぜか小川町と同レベルで扱われていた高校時代の会話を思い出します。
ちょっと脱線すると、私は川越の県立高校に通っていたのですが、
母校には西部地区各地からの生徒が居たため、よく田舎or都会で話題となったものです。

その序列では、都会なものから順に
和光・朝霞・志木 > 所沢・川越 > 入間(金子除く)・狭山(入曽除く) 
> 富士見・上福岡 > 鶴ヶ島・坂戸 > 東松山・入曽
> 飯能・小川・金子 > 高麗川・毛呂山 > 高麗・越生・川島・吉見
> 玉川・都幾川・吾野・東秩父…
という感じになっていました。

なぜこんな序列になるのか甚だ疑問な限りですが、
あえて根拠(?)を会話風に紹介します。
入曽の民「今日なんでK(小川町民)とT(飯能市民)が遅刻すんの?」
川越市民「雪で電車止まってるらしいよ」
和光市民「マジで!? だってウチのあたり晴れてたぜ。」
鶴ヶ島人「東上線は森林(公園)で折り返だった。」
入間市民「さすが山だな。そういえば小川には林間学校で行ったもんな。」
川越市民「ウチもいったよ。オリエンテーリングとか紙漉とかやった。」
入曽の民「毎日がキャンプみたいなもんだな。」
和光市民「おまえが言えるかよ。入曽も相当な田舎らしいじゃん?」
入間市民「そうそう、IRISOを反対から読むと『お尻』だし。」
鶴ヶ島人「あはは。ださっ」
入曽の民「鶴ヶ島に言われたかないわ。鶴ヶ島だってなんにもないじゃんかよ。」
鶴ヶ島人「何を言うか。コモディ(飯田百貨店)があるよ…」
入間市民「あの無駄にハートが強調してあるやつ? ウチにはPePeがあるよ。」
川越市民「あの階段ばかり大きいやつでしょ?」
入間市民「確かに階段ばかりでかいさ。でも実は川越より池袋まで運賃安いし。」
和光市民「確かに東武は高いんだよな。東京都のウチでも230円だよ。」
川越市民「東京都和光市? 調子乗るなよ!駅前のビルの裏は畑じゃん。」 
和光市民「そういえば今気付いたけど、村長(玉川村民のあだ名)も遅刻だし(笑)」 

実にくだらない話なのですが、K越高校の会話を再現したものです。
(筆者は遅刻したKのため、その時の会話ではないのです)
お互いあまり行ったことのない地域を中傷しあっています。
どれもドングリの背比べなんですけどね。

いま、卒論を作成するために都市の階層性を勉強していると、
なぜそんなイメージが付いたのか考えてしまいます。

すっかり飯能の話と離れてしまいましたが、飯能はまた次に扱うとして、
少し考えてみます(根拠のない考察ですが)。

会話にもありますが、「駅前に何があるのか?」ということ、
東京への距離などがイメージに大きな影響を与えているようです。
西武沿線は本川越・入間市・飯能に
駅ビルPePeとプリンスホテルを併設した駅があります。
東上沿線ではこれらは見られず、志木のToscaのみとなっています。
埼玉県では駅は「まちの顔」であることには間違いありません。
その駅がどのような性格・見栄えの駅かということがイメージに影響を与えています。

同時に重要な要素は百貨店の存在です。
西部地区では丸広百貨店が川越・入間・飯能・東松山にあり、
丸井が志木・川越・所沢に、その他アトレが川越にWaltzが所沢にあります。
これらの存在はイメージに大きな影響を与えていることが分かります。

都市の中心性を研究したクリスタラーの分類によれば
百貨店・大学などのある地域はより高次な中心性を持ちます。

その点に於いても、また埼玉の人なら前述の不等号で
「飯能」が小川町と同列にあることに疑問を感じるでしょうね。
人口規模・商業集積においても
東松山と同等か、それ以上の力を持っている都市です。
山間部という性格、終着駅としての性格がそんなイメージを浮かばせるのでしょうか?

生活者としての中心性から、学術的に捉えてみるのも面白そうです。

いつしか飯能の話と離れてしまいましたが、
次は飯能の紹介をしたいと思います。
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スーパーカブ紀行

2005年07月24日 | スーパーカブ
「秩父経由、目標山梨県」と原付(スーパーカブ50Dx)で出発。
今回の行程(第一日)
埼玉・小川町→竹沢→鉢形城→寄居→波久礼→(寄居皆野BP)
→親鼻→秩父中心部→旧荒川村→三峯→秩父湖→栃本広場→秩父湖
→秩父中心部→大野原→札所1番→広町→(旧秩父往還)→粥仁田峠
→橋場→東秩父村→小川町
(第二日)
 小川町→堂平山→白石峠→大野(都幾川)→慈光寺(都幾川)
→椚平→ブナ峠→(奥武蔵グリーンロード)→顔振峠→吾野
→正丸峠→名郷→名栗→原市場→飯能→武蔵高萩→(R407)
→鶴ヶ島→鳩山→笛吹峠→武蔵嵐山→小川町
結局、山梨県は断念しましたが、今回は夏に予定している長距離行に向けて、

94年製造と予想される我が愛車が耐えられるのか?

という検証も兼ねて高規格道路・峠道ノンストップ連続走行など、
ちょうど土曜と日曜を挟んで、
若干汚れ気味のG2オイルとS9を交換して検証をしてみました。
デー手的な裏付けがある訳では無いのですが、
長距離高回転であってもG2の方が粘りのあるカブの走りをしてくれます。
オイル由来とは断定できませんが、S9では下りエンブレ使用後に
スロットルの反応が鈍くなります(プラグが被っている可能性もあるが)。

スーパーカブにはG2の方が相性が良いようです。
結局しばらく次の交換まで750kmはS9で走行をしますが、
値段の高いS9は買うこと無いようです。

ところでスーパーカブ(C50)での長距離ツーリングは
多くの人がされていますね。

私は、親の反対や時間の制約などもありますが、
スーパーカブでの長距離ツーリングを予定しています。
別に綿密な計画がある訳ではなく、
埼玉を発ち、目標は北海道・日勝峠経由、北見として、
鉄道でも車でも行く機会のない地域を巡ろうかと考えています。
(冒頭もそうですが、いつも計画を立てても適当な性格なんです)

宿泊はコインランドリーまたはテントとする予定ですが、
他によさそうな所ってあるんでしょうかね?
マンガ喫茶、カラオケボックス…。いろいろありそうですね。

当ブログでは、少し脱線してそんな試行錯誤、予行演習の
カブ紀行も紹介できたらと思います。
大学時代最後の長期休暇、多くのまち・ひと・けしきに出会いたいと思っています。
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所沢に行ってきました。

2005年07月22日 | Weblog
本日は埼玉県所沢市のまちのけしきをお伝えします。

所沢市は人口が30万人を越える
埼玉県の主要都市としてご存じかと思います。
日本で初めての飛行場の所在地としても有名です。
市内にはプロペラからきた「プロペ通り」や
「ファルマン通り」など飛行機に関する地名が見られます。

所沢市は埼玉県西南部に位置し、
西武新宿線・西武池袋線が接続する「所沢駅」を中心に
西武・丸井などが立地し、高い商業集積が見られます。

所沢駅と元町などを中心とする旧市街地とを結ぶ地域には
「プロペ通り」と称する歩行者向けの通りがあり、
丸井が面している他、飲食店・衣料品店が集積しています。

今回の写真はその繁華街ではなく、旧市街地の様子です。
金山町という旧街道沿いにある商店街です。
古くからの商店に並んで高層マンションが建っています。

所沢の旧市街地にはこのように近年マンション建設が盛んです。
この地点から1kmほど所沢駅に近づいた元町・寿町では、
20階建てを越える「タワー」が両側に建ち並んでいます。

東京近郊ではごくありふれた光景にも思えますが、
所沢のそれは特に顕著であり、
「所沢駅前の商業地」
「高層マンション群」
「空き店舗の並ぶ旧来商店街」
が交錯する光景は考えさせられるものも多くあります。

木造の商店、隣に半鐘があったと思えば、
その裏手にはタワー型のマンションがあったりします。
「変わらないもの」「変わってしまったもの」…
そんなちょっと違う視点で所沢の町を見てみてはいかがですか?
私も今回は所沢のまちをゆっくり歩けませんでしたが、
今度は変わりゆくまちの姿をゆっくりと歩いてみようと思います。
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歴史的建造物の再生(山形文翔館)

2005年07月03日 | Weblog
現在、全国各地で歴史的建造物の見直しが行われていますが、
なかなか難しいのが現在の建築基準との整合性のようです。

今回は、山形県山形市の文翔館(旧県庁舎・県会議事堂など)を紹介します。

文翔館は山形市の繁華街・七日市商店街の北に位置する「旅篭町」にあります。
周囲にはJA、山形銀行などの本店が建ち並ぶ、山形市の中心地です。

文翔館は山形県郷土館として展示物も豊富です。

建築に関しては素人の私ですが、独自の視点で
この文翔館を例に「まちづくり」のカギを見ていきます。

文翔館を私が紹介をしようと思ったのには理由があります。

1つ目は、この建造物の修復が「復原」という方法で行われたことです。
これは文化財の修復では、多く取られる方法です。

「復原」とは、広辞苑によれば「もとにもどすこと」ですが、
文化財の「復原」には、
「創建時の材料・工法で傷んでいる部分だけを繕いもとの姿に戻す。
また、過去に改造や撤去により失われたものを復元する。(文翔館『復原の記録』)」
という側面があります。

今回、詳細は省略しますが(HP:http://www.geocities.jp/akitsushima_j_p/で近日紹介予定)、文翔館では、半解体調査・写真等の資料をもとに漆喰の花模様なども詳細に復原しています。

比べる次元が全く異なるのですが、
観光地などでよく「○○風」として簡素な新建材などを用いた建造物や、
城下町というキーワードだけで、歴史的背景を全くもって無視した天守閣
などが散見されます。

それらと異なり「復原」はその本質的な価値、
将来への伝承・継承という観点からみて労力に見合うものです。
ホンモノの持つ重みは全てにおいて勝ります。


2つ目は歴史的な建造物を現代に残し、
且つ将来に渡って残すための苦労の跡がよく見える点です。

冒頭にも書きましたが、古い建築物を残すためには、
耐震性・耐火性など新規で建物を建てた方が
費用の面では安くなるという大きな問題があります。

小田原城や名古屋城が鉄筋コンクリート製であることに
驚いた方もいるのではないでしょうか?
これらはまちのシンボルとしてまた違った価値を持つのですが、
「復原」では材料・工法そのものを変えることはできません、
というよりもそれでは「復原」とはなりません。

山形の文翔館では、レンガ造りの県会議事堂に、
写真にあるような鉄骨を組み込み、耐震性を確保しています。
これらは苦肉の策とも言えますが、この文翔館の場合、
内部の見た目を維持するために外にこの鉄骨が張り出しています。

実は、横浜の赤煉瓦倉庫も同様に鉄骨が組み込んであり、
相当の費用がかかっているものと推測されます。

歴史的建造物の再活用にはこのような大きな苦労もあります。


近年、ロードサイドに限らず、初期投資が少なく、
すぐにでも取り壊して、撤去が可能な、
スクラップ&ビルドの安価な建造物が見られますが、
本日、紹介した文翔館をはじめ、歴史的な建造物や、
それに限らず「ホンモノ」の建築物はその中に価値を蓄積し、
後世に至るまでその価値を高め続けることのできる建築物です。

日本の風景がいつからか、金太郎飴と評されるものとなってしまいました。

私は文翔館を前に、そんな事を考えてしまいました。
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