高田馬場1丁目から狭山市北入曽へのブログ

2017年8月1日に高田馬場1丁目から狭山市北入曽へ越しました。

猫たちの仁義なき戦い

2023-04-05 09:09:35 | とかくこの世は

我が輩は野良猫である。もちろん名前などない。かの有名な漱石先生のもじりかと批判があるかと思う。だから筆名も魚目流石にした。それも真似だと言う奴がいればゆうがいい。湯うが良いのは温泉に限る。我が輩は野良猫だから住まいはその日暮らし、飯はその辺の爺さん婆さんが出してくれるので、贅沢を言わなければ快適な生活と言える。生まれた時から親はない、身内もいない。と、いうより分からないのである。三味線にされたか、誰かに食われたかもしれない。猫なんか食えないだろうと思うだろうが、それが食うのである。犬が食えて猫が食えないはずがない。猫は兎みたいな味がすると言っていた。兎ってどんな味がするんだと聞かれても困るが、鳥に近いと言っていた。今のご時世、猫を食った日にゃ、動物愛護に反するっていうんでブタ箱行きだ。世知辛い世の中になったもんだ。そんな中でも生き延びられるんだと、我ながらびっくりする。

今日は朝から春の日差しが注いで気持ちがいい。こんな日はメスの可愛子ちゃんとじゃれあって日向ぼっこでもしたい気持ちだ。この辺のメス猫はほとんどオス猫がついている。だから下手にナンパでもしようものなら、命がけの戦いになる。この間、食べちゃいたいくらいに可愛い小さなメス猫ちゃんがいたんで声をかけたら、猫なで声ですり寄ってくるんだ。「相手がいるんじゃないのか」って聞いたら、「いるけど、すぐに噛み付いたりするから嫌なの」って言う。「じゃ、別れたいんだな」って言うと、首をたてに振る。義侠心にかられて話を付けてやろうということになった。可愛いメス猫ちゃんは彼氏だというオス猫のところへ連れていった。すると彼氏だというオス猫は図体は大きいし、熊みたいな面構えで、絶対に勝ちそうにはないと悟った。「ナニかようか」野太い声で言う。つい「九日十日」と言ってしまった。「お前、ふざけてんのか」と言われた。可愛いメス猫ちゃんは、その図体の大きいオス猫に寄り添っている。「実はそのメス猫ちゃんがお前と別れたがっているんです」と言うか言わないうちに「誰にものを言っているのか分かってんのか」ときた。ここで逃げるべきだと後ずさりした。すると、ここで逃げてはオス猫の沽券に関わるという天の声がして身構えると「おう、やるのか、面白え」、というと飛びかかってきた。我が輩はすっと避けると、相手は地面に腹を打ち付けた。相手は怒り狂って我が輩を捕まえると、噛み付く引っ掻き回すで、耳がちぎれてぶらぶらになった。そのうえに我が輩は地面に叩き付けられてのびてしまった。可愛いメス猫ちゃんは我が輩を一瞥して彼氏と一緒に何処かへいってしまった。それから我が輩は復讐の鬼と化したのだ。


オリンピック、やるんだってぇ~

2021-06-03 09:03:39 | とかくこの世は

6月1日、第3次緊急事態宣言の延長が始まった。20日までだそうだ。居酒屋やカラオケ店は酒を出しちゃだめ、あるいは休業だとお上のいうは理不尽だ。我々野良ネコとしても黙っちゃいられねえ。いつも食事を用意してくれる爺さん婆さんに恩返しの時がきたのだが、さて何をしたらいいのか、分からない。宣言を出しているのは、首相とか知事とかだから、スガとかいう年寄りと厚化粧のコイケとかいうのを懲らしめればいい。足を引っ掻いてやろうか、いや顔がいいかも。記者会見で絆創膏だらけの顔をしてたら面白いだろう。逆に同情されて支持率が上がってしまったら面白くないな。何かいい方法はないものか。我々野良ネコ仲間が徒党を組んで首相官邸と都庁に押し掛けて、玄関先で集団自決っていうのはどうだろ。あそこには右翼の連中が大勢いるから「立派な心がけだ、野良ネコの鏡だ」っていうんで国会議事堂前に銅像ができるかもしれねえ。それもいいけど、それよりか今は腹ぺこで何か食いたい、とにかく今は腹減って力が出ない。コロナの馬鹿野郎!、政治家にいいように利用されてるんだから。オリンピックだって国民の7割以上が、今やるのは嫌だと言ってるのに、どんどん準備を進めてる。オーストラリアの女子ソフトボールの選手たちが来日して合宿するんだって。やれるかどうかわからないのにだよ。でも群馬の太田市で合宿所とグランドを往復するだけだって。街中に出て遊べないのもつまらないと思うよね。ところで太田って遊ぶところあるの?何があるの?呑龍さんとか新田貞義の碑とか、子供の国があるけど、オーストラリアの若い女の子の遊ぶところじゃないよね。だからいいのか、ソフトボールの練習に専念できるってわけか。そうそう、オレは野良ネコなんだ。何か酔っぱらった人間みたいになっちゃって、クダ巻いてるおじさんみたいだよ、いやだね。都庁や官邸をやめて、オリンピック会場で選手に紛れ込んで『オリンピック反対!』のプラカードもって入場行進するっていうのはのはどうかな、かなり話題になると思うけどな。その前にみんな捕まって殺処分されるかもしれねえ。まあ、それでもいいか。これから先、夢も希望もねえし、野良ネコ仲間みんな歳だし、先も見えてるからいいよな。なに一ついいことしてこなかったし、いいこともなかったから、最後ぐらい華々しく散りたいもんだよ。なあ、みんな!!                 

  

 

 

 

 

 

 


オレは二代目ノラ

2020-09-17 14:45:05 | とかくこの世は

オレはネコだ。ノラだから名前なんかあるはずもない。生まれつきのノラでもないらしい。きっと良い処で生まれたと云われている。顔に気品があるんだと!笑わせるぜ。こうして生きながらえていられるのも、近くのおばさん、おじさんたちがよってたかってエサを持ってきてくれるからだ。最近、我々の集まるところに張り紙が出た。オレは字なんか読めないけど、仲間の言うことにゃ“ここでネコにエサをあげるな!”だって。オレに云わせりゃ、好きで生まれたんじゃねえやい、ってこと。飼い猫が勝手にはらんで、どんどん増えて仕舞いにはほっぽりなげる。身勝手な人間の犠牲になってるんだな、これが。腹いせに徹底してグレてやろうと思ったね。魚屋で平台に並んでる魚を盗ろうと考えた。今、近くに魚屋なんてありゃしねえ。スーパーに行かなきゃだめだってことになって、杖をついているおばあさんの介護をしている飼い猫っていう風を装って行ったけど、魚が裸でいる訳じゃねえから口にくわえるの面倒でしょうがねえ。ところで総理大臣が代わったってね。ノラでもそっちの方に詳しい奴がいるんだよ。オレたちゃ関係ねえちゃ、ねえけど、世の中が不景気になるととばっちりをくうんだ。エサにありつけねえ、ノラが増えて生存競争が激しくなる、みすぼらしい奴が増えてくるとどうしたって気になるわな。人間だって食うに困ったらオレたちのエサを横取りするんだから、困っちまうよ。「フー」って怒ってみせるけど、てんで効果ありゃしねえ。向こうの方は食うや食わずだって喧嘩すりゃやっぱり人間が強い。世の中が平和なら、ネコや犬はノラであろうとなかろうと、“優しくしてあげましょう、困ったら助けてあげましょう、気持ち良く生活できるようにしてあげましょう”とか動物愛護精神を発揮してくれる。だけど人間が大変なんだから、ノラが道ばたに倒れていても知らんぷりなのは当たり前だのクラッカーよ。

 今度のスガちゃん、どうなのかね。やめろ!と言われ続けて7年8ヶ月のアベちゃんの跡を継ぐというから、冗談も休み休み言えだね。そういえばいつもエサを出してくれてる老人夫婦、なんか景気好いみたいだよ。エサはいつも安いアラレみたいなやつで変わらないけど、おかわりって言うと「そうかい、そうかい」って出してくれる。前は「こっちは節約して生活してんだから」って、出してくんなかった。コロナのお陰で、まず国民一人当たり10万円のをもらって、その他に何とか給付金ってもらったらしい。だから機嫌がいいんだよ。人間なんて単純だね、他愛ないね。懐が温かくなると、顔色も変わってくる。これがいつまで続くかね。スガちゃん、静かに暮らせる世の中にしてもらいたいね。ノラネコを代表してエールを送るよ!

 

 


ノラネコと私!

2019-08-27 09:59:07 | とかくこの世は

ノラネコのほうが厳しい現実を生きている。冬は寒い中、エサを求めてはミャーミャー言いながら歩く。夏は暑いさなか毛皮を脱ぐこともならず、ニヤァーニヤァとふらつきながらエサを求めてさ迷う。それに比べて、自分はどうだ! エサを探してさ迷ったことなどないし、今日のねぐらがないという経験もない。酔っ払って電車で終点まで行って、引き返せなくてホームのベンチでゴロ寝なんてことは度々あったが、酒の勢いだからねぐらのない深刻さとはまるで違う。昨今は介抱するふりしてポケットから財布を抜き取られるのだろうが、いい時代なのかのんびりしていたのか財布はちゃんと収まったままだった。早い話が戦後の物のない時代とは言え、気持ちの上では豊かな時を生きてきたから甘えが身についてしまったんだろう。ノラネコの爪の垢でも煎じて飲まなけりゃならないくらいだ。

昭和22年2月の生まれである。父親は戦後間もなく中国に抑留されて21年5月末に佐世保港に帰還した。それから福島県の会津に戻ってきて生まれた子だ。よく考えると2月の3日に生まれたのだから、父親が帰ってきて8ヶ月の子だ。今更、母親を疑うなんて下世話な空想はしたくないから、真摯に受け止めようとすれば、8ヶ月の超未熟児だ。食糧事情の乏しい中、2月の厳寒の中、そして病院などない田舎である。想像するだけでも死にたくなるが、いまだに生き続けている。親の話しでは呼吸をしてなかったそうで、駆けつけた医者からも諦めな! と言われたそうだ。ひとから言われると反発するのは自分にも受け継がれているからわかるが、とにかく身体にマッサージを加えて少し温もってくるとこたつの中に入れたそうである。先に入っていたネコは自分より小さな人間が入ってくるのだからびっくりしただろう。その時に場所を譲ってやったかどうかは定かではないが、何年か後のそのネコと自分とのバトルからは譲ってもらったということはありえないように思う。翌朝、こたつをあけて見たらネコと一緒にスヤスヤと寝ていたそうだ。もしかしたらネコが体を寄せて温めてくれていたのかもしれない。そうすると、このネコは命の恩人になる。今思えば頭の皿がカチンカチンに固くなるほど殴って鍛えたことが悔やまれる。そのネコは死んで六十年以上になるが、今度会ったらちゃんと謝っておこう。何とか命はとりとめたものの、身体は小さいし、運動神経はまるでないし、病気がちで、覇気のない子だった。食料のない時代でも田舎だったのでそれなりに食べ物はあったが、やっぱり栄養不足だった。それでも死なずに生きているのは誰のせいだろう。親のおかげ? ネコのおかげ? それとも生まれ持った運の強さ? かな。だから今でも病院の匂いは好きだし、線香の匂いも好き、お墓へ行くと心が休まる。それらには、まんざら他人とは思えない心地よさを感じている。

 夕陽が泣いている!


オレは猫だっ! Ⅱ

2019-08-16 09:26:15 | とかくこの世は

オレはまだ生きている。毎日毎日エサを探し歩いて、エサにありついて「ほっ」として夜は寝る。寄る年波には勝てない。暗くなると眠くてどうしようもない。話し相手がいるわけじゃなし、一家団らんなんてのにはほど遠い。もっとも家に飼われているネコなんて碌なもんじゃねえとバカにしてた。そう思ってもやっぱり身寄りがないっていう辛さを感じる時もたまニャあるんだ。つくづく野良ネコの悲哀を感じるね。それでも生きてる。ネコは自殺なんかできないからな。ネコが自殺したなんて聞いたことないだろ、そんなネコがいたら尊敬しちゃう。この間、自動車に轢かれたのを目撃したんだよ。自動車はそのまま行っちゃったけど、轢かれたネコは道路の真ん中でヒクヒクしてる。危ないから道路の脇に運んでやりたかったけど、オレにはそんな力がないし、「あっしには関わりのないことでござんす」っていう木枯紋次郎だから…。そのあとに一台の自動車が通りかかって、瀕死のネコの前でピタリと止まった。てっきりその若い男の運転手が移動してくれるのかなと思ったらそのまま動かない。もう固まって動かないんだ。すると散歩の帰りかなんかのヒマそうな爺さんが通りかかって、そのネコを運んだね。そしたら安心したのかそのネコは死んじまった。爺さんは棺桶代わりの段ボールに入れて、家の前に「ネコの棺桶」って書いておいといたら、役所から引き取りにきた。後から考えると、自分から自動車に飛び込んだのかもしれないね。人間は年に3万人近くが自殺してるんだって、ネコに伝染しちゃったのかな。いくら人間と同じネコになりたいっても、そんなバカなネコはいないと思うけどな。だいたいネコは絶望したり世をはかなんだりしないし、逆にいつも前向きだし昔のことを覚えていたりしない。まあ、のんきといえばのんきだね。

さてと、エサをあさりに行くかな。最近歯が弱ってせんべいみたいな硬いエサは食えないんだよ。どうしようもなくてたまに前にエサを出してもらったところへ行くんだけど、相変わらずその硬いエサを出す。食わないで帰ると「あら、ウチのエサは食わないんだね」って言うから、「食わないんじゃなくて、食えないんだよ」っても通じない。「いいよ、分かったよ、もっと旨いエサを出してくれるところへいきな」という。なんでわかんないのかな。人間って、年をとると考えることに余裕がなくなるんだね。ネコの気持ちをおもんばかるっていう想像力もなくなってる。最近、そういう人間が多くなっているよ。少なくとも、我々ネコにも分け隔てなく接してもらいたいね。そしたらネコと人間が中心の新しい世界が出来るような気がするんだ。それには人間もネコ並みに利口になってもらいたいニャア。