ノラネコのほうが厳しい現実を生きている。冬は寒い中、エサを求めてはミャーミャー言いながら歩く。夏は暑いさなか毛皮を脱ぐこともならず、ニヤァーニヤァとふらつきながらエサを求めてさ迷う。それに比べて、自分はどうだ! エサを探してさ迷ったことなどないし、今日のねぐらがないという経験もない。酔っ払って電車で終点まで行って、引き返せなくてホームのベンチでゴロ寝なんてことは度々あったが、酒の勢いだからねぐらのない深刻さとはまるで違う。昨今は介抱するふりしてポケットから財布を抜き取られるのだろうが、いい時代なのかのんびりしていたのか財布はちゃんと収まったままだった。早い話が戦後の物のない時代とは言え、気持ちの上では豊かな時を生きてきたから甘えが身についてしまったんだろう。ノラネコの爪の垢でも煎じて飲まなけりゃならないくらいだ。
昭和22年2月の生まれである。父親は戦後間もなく中国に抑留されて21年5月末に佐世保港に帰還した。それから福島県の会津に戻ってきて生まれた子だ。よく考えると2月の3日に生まれたのだから、父親が帰ってきて8ヶ月の子だ。今更、母親を疑うなんて下世話な空想はしたくないから、真摯に受け止めようとすれば、8ヶ月の超未熟児だ。食糧事情の乏しい中、2月の厳寒の中、そして病院などない田舎である。想像するだけでも死にたくなるが、いまだに生き続けている。親の話しでは呼吸をしてなかったそうで、駆けつけた医者からも諦めな! と言われたそうだ。ひとから言われると反発するのは自分にも受け継がれているからわかるが、とにかく身体にマッサージを加えて少し温もってくるとこたつの中に入れたそうである。先に入っていたネコは自分より小さな人間が入ってくるのだからびっくりしただろう。その時に場所を譲ってやったかどうかは定かではないが、何年か後のそのネコと自分とのバトルからは譲ってもらったということはありえないように思う。翌朝、こたつをあけて見たらネコと一緒にスヤスヤと寝ていたそうだ。もしかしたらネコが体を寄せて温めてくれていたのかもしれない。そうすると、このネコは命の恩人になる。今思えば頭の皿がカチンカチンに固くなるほど殴って鍛えたことが悔やまれる。そのネコは死んで六十年以上になるが、今度会ったらちゃんと謝っておこう。何とか命はとりとめたものの、身体は小さいし、運動神経はまるでないし、病気がちで、覇気のない子だった。食料のない時代でも田舎だったのでそれなりに食べ物はあったが、やっぱり栄養不足だった。それでも死なずに生きているのは誰のせいだろう。親のおかげ? ネコのおかげ? それとも生まれ持った運の強さ? かな。だから今でも病院の匂いは好きだし、線香の匂いも好き、お墓へ行くと心が休まる。それらには、まんざら他人とは思えない心地よさを感じている。
夕陽が泣いている!