オレは猫だ。名前なんかあるわけがない。ときどきを餌をくれる老人たちがいる。オレのことを「タマ」とか「シロ」とか言うが、たぶん前に飼っていた奴の名前なんだろうな。そういえば「ポチ」っていうのもいた。犬じゃねえのにな。たぶん前に犬を飼っていたけど、そいつが死んじまって、今も忘れられねんで犬の名前を呼ぶんだろな。この爺さんの分身だったんだろな。オレも情にほだされっちまうところがあるからつい「ワン」って言いたくなるんだよ。それで「ニャン」とも「ワン」ともつかねえ「ニャワン」って言ったんだよ。そしたらその爺さん何て言ったと思う。この猫、気持ち悪いだって、化け物だとも言ったよな。良かれとしたことが、そうじゃねえことが世の中にはいっぱいあるんだよ。あの爺さんも感情の機微ってのを知らねえんじゃないかな。いい歳して子供みたいなこと言ってどうすんだよ。まあ、ああこういう手合いにはあまり係わらねえようにしてるんだよ。さてと、まず餌を調達しなきゃならねんだ。いつも出してくれるところに顔をだすか。冬だっていうのに今も網戸を出してる。それがオレには都合いいんだけどね。その網戸に両手の爪でひっかくんだよ。すると中から出てきて「今日も来たのかい」とか何とか言いながら餌を出してくれる。自慢じゃないけど、餌の皿はオレ専用なんだよ。何でも趣味で陶芸をやってて、何回やってもうまくできないってこぼしてるからオレが使ってやってるっていうわけ。餌を食っちまったら用はないんだけど、オレのことじーっと見つめるんで、勢いっぽいのオレなりの愛想を笑いをしてやるんだ。すると「満足したかい、またお出で」って言うんだよ。オレだって、こんな煎餅みたいな餌じゃなくて缶詰の高級キャットフードを出してくれるところがあればそっちに行っちまうんだけど、今日はあいにくと、缶詰おばさんがいなかったから、この煎餅おばさんとこへ来たっていうわけ。オレだって必死なんだ。食い物にありつけないと、すきっ腹抱えて夜を明かすことになる。それは辛いもんだよ。よく今まで死なずに生きて来たと思うよ。これからも艱難辛苦あるけれど、オレはオレなりの生涯を全うするしかねえんだよ。オレよりももっと辛い思いしてる人がいるんだってね。猫仲間に聞いたんだけど、8年前の東日本大震災とか九州とか中国地方とか地震とか水害で大変なんだってね。「オリンピック」ところじゃねえって言ってたよ。それにしても大変だ。