足利将軍家の変遷」アマゾン電子書籍紹介。
悪名たかい足利尊氏と言えば、一四〇年の鎌倉幕府を倒して京都に室町幕府を樹立、室町幕府を樹立し260余り、尊氏から義詮、義満から義政までは北山文化を創出し、平穏と栄華を誇ったが、成立当初では、尊氏・直義の内紛が起こり、南北朝の動乱と相まって混乱をきたした。以降政権は鎌倉、京都の二元政治の中、管領や公方の制御すら効かす、足利政権は操り人形の如く翻弄されていった。その上幕府はその曖昧さ故、政権成立後の南北朝の混乱の主人公として日本中混乱を引き起こした人物である。南北動乱は後醍醐天皇は隠岐の島に流され正慶二年(1333)に名和長利らの一族らの協力によって隠岐の島より脱出に成功、伯耆船上山で挙兵から南北朝動乱と足利幕府の尊氏の物語が始まった。二代義詮、義満らの政権基礎時代を築きつつ義満の花の御所の黄金期を迎えた。四代将軍の義持の治世には京都五山と共に北山文化が形成されていった。六代将軍の義教の赤松氏に謀られてた暗殺され、幼く継いだ七代将軍義勝も不可思議な謎の死を遂げる。九代将軍義尚若くして一年半の近江陣中で病・離合集散の流浪の末、阿波で死去の将軍義稙、前将軍の巻き返しに近江で逃れて将軍義澄病死、和合・離反を繰り返した将軍義晴陣中で早世した。将軍義輝、敵対する三好一族に邸で惨殺され、三好一族の傀儡将軍義栄、波乱の将軍義昭は最期は安穏な人生と将軍家の万丈波乱の下剋上の前章時代であった。