
ロシアのウクライナ侵攻を見て、国家や社会という組織や集団の呪縛に囚われていては、いけないと痛感した。
平和で、何もない平穏なときは、国家や社会は、個人にとって、とてつもなく頼りになる、大きな存在。
しかし、その大きな存在に頼っている限り、個人の運命は、国家や社会に従わざるを得ない。
所詮、自由主義と言っても、個人の自由なんて、国家や社会の呪縛の前では、夢のようなイデオロギーに過ぎない。
若者に言いたい、個人としての自由を実現したければ、国家や社会を超越した力を、つけなければならないと。
その第一歩は、英語を学ぶことだと断言できる。
今までは、英語を学んで、アメリカの学位を取ることは、出世や金儲けに有利だというくらいにしか、考えていなかった。
しかし、突然、時代が変わった。
個人の自由と尊厳を守るためにこそ、英語を学んで、アメリカの学位を取る必要性があると、確信した。
日本人に生まれたハンディを克服しない限り、自分の命すら守れない時代が来たのかもしれない。