Hiroshi Mukaide(向出博)Time Traveler

昭和の時代は ジャパニーズ・ドリームだったのかもしれない

昭和の時代、重厚長大産業の全盛期は、大学へ行くなら理系と言うのが、一般的だった。

当時は、私大の文系なんて、落ちこぼれ。だから、大学に入っても、真面目に勉強する学生なんて少なかった。

ところが、経済が成長していたおかげで、頭は悪いが、体力と、我慢強さが売りの、私大文系の体育会が、就職にはめっぽう強かった。

彼らは、営業マンとしては、一騎当千だったからだ。

一方、重厚長大産業の技術を支えていたのは、国立大学の理系。

その中でも、工学部。

金属工学や船舶工学が、花形だった。今なら、信じられないかもしれないが、本当だ。

文系では、外国語学部(特に英米語)が、法経商学部より、就職に有利だった。

それと、昭和の時代の大企業には、経済的事情で、大学進学を諦めた、頭の良い高卒の社員が、多かった。

そのせいで、都内の大学の夜間部の学生は、昼間部の学生より優秀だったくらいだ。

昭和の時代は、ジャパニーズ・ドリームだったのかもしれない。

だから、当時の日本は、いつも、お祭り騒ぎだった。

そんな勢いで、バブルに突入した日本企業は、ニューヨークのロックフェラー・センターや、コロンビア映画などを買収。

バブル期の日本は、アメリカを、買収しそうな勢いだった。

実際、東京の、山手線の内側の土地価格で、アメリカ全土を買えるとまで言われていたくらいだ。

しかし、そんな日本も、いつの間にか衰退。

今さら、昔を振り返っていても、しょうがない。元気を出して、頑張ろう。


 

 

 

 

 

 

 


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