日本製鉄は、アメリカのUSスチールを約2兆円で買収すると公表。
これに対して、トランプ前大統領が、買収反対を表明。さらに、買収に反対していた全米鉄鋼労働組合(USW)が「買収反対」についてバイデン大統領の支持を得たと発表した。
日本製鉄のUSスチール買収は相当難しそうだ。こうなると、違約金を払ってでも買収を白紙に戻す方が無難かもしれない。
思えばその昔、私の勤めていた会社も、アメリカの鉄鋼会社を買収して大変な目にあった。
日本人は、アメリカが大好きで、アメリカ人を甘く見ているところがあるが、敵に回すと恐ろしいことをあまり理解していないようだ。
そんなアメリカだが、私にとっては第二の母国のようもの、私に、素晴らしい学歴に加え国際ビジネスの基礎を叩き込んでくれた国。
今回は、私の昔話をさせていただきたい。
昭和の真っ盛りだった高校時代、理系進学を目指していた。
しかし、紆余曲折の末、中央大学の法学部に入ることになった。大学受験は努力が報われず想定外の結果だった。
大学では気を取り直して就職と司法試験に向けて、受験時代そのままのペースでガリ勉。
在学中に司法試験には合格できなかったが、就職の方は軒並み内定。
最終的に鉄鋼会社2社のどちらかに行くことにした。当時の鉄鋼会社は世界のトップクラスの巨大企業、皇居周辺の高層ビルが本社。
私大出身と言うこともあって、東大閥で有名な会社は辞退して「日本鋼管」に入社した。しかし、日本鋼管も東大を含め旧帝国大学が多く、あまり大差が無かった。
ただ日本鋼管は、私にとってはいい会社だった。入社式では新入社員代表として答辞を読んだ。
4年間の工場経理部門勤務を経て、5年目から2年間のアメリカ留学。
コーネル大学ロースクールの法学修士号が1年で取れたので「帰国しなければならないか」問い合わせたところ、「留学期間は2年なので好きにしてよい」と言うことだった。
それで、2年目はニューヨーク大学のロースクールでも法学修士号を取ることができた。日本鋼管は、本当に鷹揚ないい会社だった。
今考えると、当時、アメリカの鉄鋼メーカー「ナショナルスチール」を買収しようとしていたから、「アメリカ要員」が必要ということもあったのだろう。
日本国内での鋼材需要は頭打ちで、頼みの綱の海外も、アメリカでは「アンチ・ダンピング」などの通商法による輸入規制の嵐。
そうした状況を打開するための窮余の一策としてのナショナルスチール買収。しかし、衰退するアメリカ鉄鋼メーカーの買収という経済合理性のないM&Aは失敗に終わった。
当時、日本企業によるアメリカでのM&Aのほとんどが失敗に終わっている。結局、日本はアメリカから「Japan As Number One 」などとおだてられて、アメリカ経済再建のために、いいように利用されただけだった。アメリカは実に賢い国なのだ。
長い間、業績不振が続いていたナショナルスチールに残されていたのは「負の遺産」ばかり。縁もゆかりも無いナショナルスチール再建のために、金をむしり取られた。
一矢報いたとしたら、ナショナルスチールのニューヨーク証券取引所への「再上場」が成功し、「上場益」を得ることができたことくらい。
私は、この「再上場プロジェクト」に参画し、ニューヨーク証券取引所での交渉やセレモニーなど、得がたい経験を積むことができた。
M&Aは、被買収企業を、そのまま買い取ることができるスピーディで便利な手法。
成功すれば「あっという間に」買収側の事業を拡大できる。
しかし、失敗すれば、買収側企業の存続を脅かす「両刃の剣」。
それがM&Aの醍醐味とも言えるが、安易に手を出すと火傷をするどころか、命取りになりかねないビジネス。
あれから40年余りを経て、日本製鉄がUSスチールを買収しようとしている。どちらの企業も社名に国名を冠しているところが、余計にナショナリズムをかき立ててしまうのかもしれない。
このあたりが国際化の難しいところだ。