「老後2000万円問題」の大騒動を、思い起こしていただければ、ご納得の通り。
資本主義社会では、金がないと、生きていくことができないという、冷徹な現実がある。
だから、コロナ禍の中で、誰もが痛感したように「命と金を天秤に掛ける」ことになる。
これが資本主義。実に、分かり易い。
資本主義社会では、誰でも、自己責任の下で、競争に参加できる。
いや、世襲や富裕層でもなければ、競争に参加しない限り、生きていけない。
だから、庶民に選択肢はないと言うのが、正しい。
競争だから、勝者もいれば、敗者もいる。ただ、誰にでも勝者となるチャンスがあると言うのが、資本主義の売り。
しかし、その勝者は、敗者に比べて、圧倒的に少ない。
世界のトップクラスの超富裕層の所有する富が、世界の76億人の下から半分の人々の所有する富に、匹敵するという現実。
「格差社会」、これこそが、資本主義的競争の末路。
中には、それこそが「競争の醍醐味」と言う人もいた。
アメリカ人も、「アメリカン・ドリーム」などと、資本主義的競争をもてはやしていた。
しかし、それも今は昔。
そもそも、資本主義は、競争の勝者、つまり成功者が、高い地位や富を得ることを、是とする経済システム。
人間の持つ欲望を、生産性の向上や、経済成長の原動力とする、効率的なシステム。
その資本主義が、社会主義や共産主義を駆逐したのだから、今や、資本主義に敵無し、無双だ。
だから、私たちは、資本主義的競争の世界を、生きていくしかない。
ただ、この競争に勝ち残るためには、長く気の遠くなるような日々を、生き抜かなければならない。
そこには、受験時代のように、ペーパー試験で、一発逆転などという幸運はない。
毎日が、模範解答のない試験のような日々。
模範解答に慣れた、受験エリートでは、なかなか勝ち残れない。
そこで問われるのは、表向きには、優秀さかもしれないが、本当は、人間力や忍耐力。
それに加えて、狡猾さや非情さ、残酷な割り切りも必要。
まあ、そうは言っても、これまでの世代は、まだ幸せだった。
受験戦争を勝ち抜き、就職できれば、与えられた仕事に全てを捧げ、その中で、やりがいや、生きがいを見出せた。
たとえ競争に勝ち残れなくとも、年功序列で、安定した報酬と、それなりのポジションも保証された。
しかし、これからは、「労働を提供し、対価を得るだけの、古典的サラリーマン」では、資本主義経済というシステムの歯車か、AIの奴隷になる以外に、選択の余地はなくなるだろう。
そんな、遠くない未来、私たちは、「人間同士で、競争していた昔」を、懐かしく思い出す時が来るかもしれない。