イスラエルのネタニヤフ首相のやりたい放題が我慢ならない。来年、親イスラエルのトランプと組んだらどんな事態が起きるやら。イラン、イスラエル戦争が起きる可能性も。尤もトランプは戦争よりディールかな。
(前走ジャパンカップを快勝したドウデュース)
明後日、中山競馬場で行われるグランプリレース「有馬記念」(芝・2500メートル)の大本命ドウデュース(牡5)が右前肢ハ行のため出走を取り消した。
昨日、長澤まさみ(写真)が1枠2番の絶好枠を引き当て話題になったばかりなのに~。
ファン投票では史上最多の約48万票を得票していた。
ドウデュースはGIを5勝している最強馬。
この秋は天皇賞(秋)、ジャパンカップとGIを2連勝中で、有馬記念を引退レースにしていた。
騎乗予定だった武豊騎手も「仕方ないですね」と残念そう。
引退式も当然中止。
何かと波乱が多かった今年の最後を締め括る大本命の出走取り消しだ。
僕も馬券🐴🎫戦略を変えねばならない。
それにしても残念です。
読売新聞社グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄さんが、今日の未明に肺炎のため亡くなった。
98歳だった。
渡辺さんは政治記者として活躍後、読売新聞の社長に就任。
生涯主筆として読売新聞の社論を引っ張った。
巨人軍のオーナーにも就任し、球界にも大きな影響力を持った。
東大哲学科を卒業しており、在学中は東大の共産党細胞で活動した。
その後、離党。
政治記者としては大野伴睦と親交を深め、自民党に食い込む。
中曽根康弘首相や安倍晋三首相と親しかった。
読売新聞では絶対的な力を持ち、支配した。
誰も逆らう者はいなかった。
僕が現役時代にナベツネについて印象に残っていることがある。
東大哲学科でナベツネの先輩に当たる大阪・読売テレビの青山社長が、週刊現代のインタビューに応じ、ナベツネ批判とも取れる記事が出た。
青山社長は「洋服の青山」社長の兄で、豪放磊落で大変面白い人だった。
これはオモロイことになると思ったが、青山社長はすぐに批判などしていないと否定した。
その時にナベツネの力を再認識した。
それくらいナベツネは"独裁者″だったいうことだ。
合掌。
(豆腐)
今季4度目の忘年会は大阪市北区の彼女の行きつけの店でゴチになった。
ゴチの理由は昨日書いた。
最近の若者達が行くようなコジャレた店で、5000円で飲み放題食べ放題だとか。
サブスクとか言ってましたね。
料理は小皿で少量ずつ。
(ブリのカルパッチョ)
(ブリのカルパッチョ)
だから、いくらでも食べられる訳で、食事前に店員さんが、食べ残しは厳禁ですってクギを刺していた。
最初は生中で乾杯。
酒があまり強くない僕は後はチューハイ一杯。
Y子は日本酒やワインをグイグイ飲んではる。
「ウチは酔わされて犯されるなんてことは絶対ないわ。男よりもお酒強いもん」なんて、不謹慎なことを仰る。
(サーモン)
それには僕も同感する。
大昔、スナックの女の子を酔わせて、良からぬことを考えてたら、こっちが気持ち悪くなって、タクシー代を渡して帰したことがある。
その後、みじめな僕は電柱にしがみついてゲーゲー吐いていた。
(モナカの皮に包んだレバー)
最近の報道を見ていたら僕らは「ふてほど」(「不適切にもほどがある!」)の世界にいたことを痛感する。
尤もあのド阿保検事正みたいな犯罪行為はしたことはありまへんで。
僕は紳士ですから。
ウソつけって。
(シイタケ)
それにしてもY子は「うわばみ」みたいによう飲みはる。
からかったら、思いっ切り背中をどつかれた。
クワバラ、クワバラ。
(鰻のオムレツ)
「今は24日のイブまでメチャ忙しいの。今日は休みで英気を養ってるのよ。明日からクリスマスまで突っ走るんだから」
まあ、頑張りなはれ。
(牡蠣)
「ところで、この物価高。いまホールケーキでいくらするの?」
「ウチは5800円で抑えてる」そうだ。
クリスマスケーキ買うのも大変だ。
(手羽先)
「wadaさんのケーキはどんなんがいい?」
「俺は糖尿やから、小さめのあんまり甘くないヤツにしてな」
(白子)
(牛肉)
さんざん飲み食いした後、酔い覚ましにスカイビルのクリスマスツリーを見学したり、近辺を散策した。
それから梅田の駅まで歩いて、サヨナラした。
久しぶりに大阪の夜の街に出た。
パティシエY子が、僕がお犬様の治療費を融通したお礼をしたいと言ってきたから。
美味しい料理を頂いて、酔い覚ましに近くを散策した。
スカイビルに大きなクリスマスツリーがあるというで見に行った。
若いカップルでごった返していた。
ここではドイツ風のクリスマスフェスをやっていて、ドイツビール、ソーセージ、ケーキなどの屋台が沢山出ている。
ここではドイツ風のクリスマスフェスをやっていて、ドイツビール、ソーセージ、ケーキなどの屋台が沢山出ている。
ふと目に止まったのが㊤の人形達。
僕は一気に幼稚園時代を思い出した。
僕は小倉の小高い山の上にあった「シオン山幼稚園」に2年間通った。
シオンと言えば、ユダヤ人が「シオンの丘に帰ろう」というシオニズム運動の語源になった所だ。
幼稚園では毎年、キリスト生誕の劇をやっていた。
4歳の時はみんな迷える子羊役。
5歳になった僕はどうしてもキリストの生誕を発見する3人の博士役になりたかった。
父親のヨセフや羊飼いの役もあったが、どうしても博士になりたかった。
その役を頂き本当に嬉しかったことを70年たった今でもハッキリ覚えている。
この人形達はそんな事を思い出させてくれた。
ここのツリーはLED電球をふんだんに使い、どんどん変化して見る者を驚かせていた。
おまけ!
近くの「グランフロント大阪」北館1階のクリスマスツリー。
こちらは上品で落ち着いた感じかな。