老いた父は、誰かと話しをしたいのですが
『会話』ができません
自分のいいたいことを、30分でも1時間でも
ずーっと、よどみなく『しゃべっている』だけ
先祖代々の話、土地や親戚付き合いの慣習、
自分や家族の昔ばなし、そして母(自分の妻)のこと・・・・
前にも繰り返し聞いた話も多々あり、ひどい時は1回の話の中で2、3回同じことを言うことも・・・
自分の組み立ててで最初から最後まで言い切らないと気が済まない、時間が無かったり繰り返しの話になっった時、
途中で話を遮ると激高します
そして、自分の思い通りにならない時も同じ
些細なことでも、自分の指示通りに私が動かないと激高します
老化という面もあるのですが、思い返せば、
私が子供のころからそうだったな
昔の人なので、親子の間に大した会話も無く、農作業中にも詳しく指示しないまま、思い通りにやらないと叱られる、といった具合です
何より、自分の知っている世界、論理から外れたことを、まったく理解しようとしません。なので、話がかみ合うこともなく、勝手に孤独になっていく感じです
今でもよく覚えているのは、兄が東京で就職して、
最初に帰省した時のこと
父は公務員みたいな仕事で、兄は当時勃興した分野の小さい民間企業に就職
兄の仕事の内容を理解できないのはもちろん、会社の仕組みや就業規則、福利厚生もまったく違うのですが、兄がどんなに説明しても
『それは違う』『そんなことはない』『普通はこういうものだろう』
と、まったくかみ合わない話を、大声でずーっとしていました
家族は、テレビが聞こえないので、大迷惑
『声おおきいよ』『話は、そのくらいにしたら』
と言おうものなら、
『いま、大事な話をしているんだ!』と怒る
中学生くらいだった私にも、話がかみ合っていないことが
わかるのですが、父だけがわかっていない
今とまったく変わらないですね
そして、私が一番驚く父の妄想?
『子供は成人したら、自然に父と酒を酌み交わし会話をするもの。お前も一人前だ、さあ話をしよう』
時代劇の見過ぎです!
子供のころから、何気ない会話をいつもする習慣があるから
大人になっても会話をするのだと、私は思います
子供が、親(特に父)にのぞむこと、それは
『おお、そうか、そうか』と子供の話を聞くこと
そして、『やってみろ』と背中を押してあげること
と、私は思うのです
『会話』とは、言葉のキャッチボールといいますよね
『お互いの考えを、認める、受け止めること』
なんじゃないかなと思うのです
『家族を背負って』『先祖代々の土地を守り』
『やり遂げた』父
自負と自信があるからこそ、今更、変えられないし、
変わる必要もまったく感じないのでしょう
1年くらい前は、意思の疎通ができず
父とよく怒鳴りあっていました
お互いちょっと落ち着いてきたのと、周りの支え
私も考えを少し変えたりと、最近はちょっとはマシになってきましたが・・・いまでも父に会う前はすごく憂鬱、そしてあった後はグッタリです
もっとも、私も歳をとったらそうなるのかな、とも思います
実は私にも、苦い経験がいろいろあるので・・・
話にとりとめが無くなってきたので、今日はこのへんで