父の家の茶の間には、父が詠む川柳が貼ってある
いつも詠んでいて『傑作』だけ貼ってあるのか
ふだん思っていることを、文字にしたものだけ貼っているのか
最初に気が付いたのは、半年ほど前
『米寿過ぎ 思いで語る 相手無し』
父の心情が良く出ているな、とちょっと感心したりも
したが、なんとも、もの悲しい・・・
『同性婚 老後の面倒 誰がみる』
父らしい句だな・・・と思いました
「今はそういう時代だから」で片づけられてしまう
問題を、自分の譲れない、変わらない価値観を
現在の自分の境遇に重ねた句なんだろうな
と勝手に想像したり・・・・
川柳に気づいてても、話題にすることも無く
それでも、父のところに行くと自然とみてしまう
先日、久しぶりに父の家にいったところ
川柳が増えていた
『長生きで めでたくも無し 生き地獄』
前の2句に比べて、はるかに『悲しい』句だ
そして、これが父の偽らざる気持ちなのだろう
よく『早く火葬場に行きたい』というが
冗談半分だったのが、今は切実な願いなのだろう
以前は、体が衰え、昔のように動かなくなったことを
嘆いていたが、最近は頭と心が、本当にダメになったと
しみじみ呟くようになった
『老化を受け入れよう』『老化を楽しもう』
などという話も耳にするが
いざ、還暦目前の自分に置き替えたら、そんなふうに
思えるのだろうか?
ときどき
『自分で運転できなくなったら、どうしよう』
緑内障なので
『目が見えなくなったら、死んじゃうかもな』
なんて思ったり
今が当たり前だと思うから、『失う』ことが恐怖
なのだろう
その時が来たら、上手に気持ちを切り替えられるのだろうか・・・
たぶん、ダメなんだろうな・・・
あれこれ考えてしまう、父の川柳なのでした