歳、夫婦も
けんかをやめて
受け入れて、、
(こちらの 背景については
以下に 掲載して みました、、)
備忘録、、2024年10月21日(月)報道記事より、、
「肉体の衰えを 嘆くより、
精神の豊かさが増したことを
喜んだほうが、
人生を
前向きに 楽しめる
のではないか
と思います」、、、
10年ぶりに
オリジナル・アルバムを
発表する 竹内まりやさん。
デビューから45年、
自分を
かたちづくってきた
言葉や家族についての
思いを語る、、、
17歳の心に残ったのは、、、
人生で初めて体験する70代が、
刻々と迫っています。
どんな時にも
心に抱いている座右の銘が、
二つあって、、
一つは、
17歳で
アメリカに留学した時に
出会った言葉で、
学校のカレンダーに
「今日が
あなたの残りの人生の
最初の日です」
と書いてあったのです。
もう一つは、
「今日を
人生最後の一日だと思って
過ごしてみよ」
という、
スティーブ・ジョブズが
スピーチで語った言葉。
どちらも
「目の前の一日を
精一杯生きよう」
ということを表現しているんだな、
と受けとめてきました。
とくに17歳で目にした
このフレーズ、
いま69歳になって、
ますます重みを
感じるようになってきましたね、、
過去を悔やんでも変わらないし、
これから訪れる未来を恐れても
仕方ない。
きれいごとに
聞こえるかもしれませんが、
大切なのは
「いまを生きる」
ということ、、
今日が自分の余生の初日
だと考えれば、
何歳になっても
やりたいことを見つけよう、
と思えますし、、
、、、
17年前、
10枚目のアルバム
『Denim』をリリースした当時、
50代になったばかり、、
40代の終わり頃は
50代になるのが
憂鬱に思えたのですが、
50代になったら
かえって
人生の見晴らしが
よくなったこともあり、
60代を迎える頃は
とくに不安はなかったんですよ、、
ただ65歳を過ぎ、
「四捨五入すると70歳!?」
とハッとして。
、、人生は こんなにも早く
終わっていくのだと、、、
そこで 初めて
「残り時間」を
リアルに意識したんです、、
これまで以上に
「一日一日を大事に生きよう」
と思う気持ちが
強くなりました、、
年齢を重ねるにつれて、
受け入れにくい
こともありますよね、、
たとえば、肉体的な衰え。
私も実感しています。
先日も正座しようとしたら、
右ひざに違和感があって
座りづらい。
少し前には
右肩が急に上がらなくなり、
「これが、
みんなが言うところの
《六十肩》か!」って(笑)、、
とはいえ
私だけが 老いていくなら
つらいけど、
《経年劣化》は
誰にも平等に
訪れるものでしょう、、
シワが気になることも
ありますが、
そんな時は
もう一人の自分が、
「みんな一緒なんだから、
あきらめよう」
って諭してくれる、、
その代わり、
「人としての経験値が増して、
若い頃よりも
少しは賢くなっている」
と感じます、、
肉体の衰えを嘆くより、
精神の豊かさが
増したことを喜んだほうが、
人生を前向きに
楽しめるのではないか
と思います、、
2024年、、、
この秋、
10年ぶりのアルバムを
発表することになりましたが、
タイトルを
『Precious Days』
(かけがえのない日々)
にしたのも、
残された一日一日を慈しみ、
大切に過ごしていきたい
という思いがあったからです、、
父母から教わったこと、、
アルバムに収録した
「Smiling Days」という曲に、
「日常の中の些細なことに
喜びが宿っている」
という内容の歌詞があります、、
何気ない一日を大切にして、
ささやかな日常を
面白がって生きることが、
私の人生の
大きなテーマなんですね、、
だって、
人生のほとんどは
ハレの日ではなく、
ケの日が続くんですから。
だったら
生活の中の
ちょっとした出来事を
面白がって生きることが、
毎日を
幸せに過ごす秘訣
だと思います、、
私の場合ですか?、、
たとえば
「今日乗った
タクシーの運転手さんの
人生話が
興味深かった」
とか、
「(竹内まりや氏の)母校の
(島根県立)大社高校が
甲子園で
ベスト8まで
勝ち進んで
めっちゃ嬉しい!」
と いうようなことです。(笑)、、
、、そんなふうに感じるのは、
私が育った家庭環境と
関係している
のかもしれません、、
2男4女の6人きょうだいで、
私は上から4番目。
両親も交えると8人の大家族で、
一緒にワイワイと
ご飯を食べるのが楽しいなとか、
家業である旅館のボイラー室で
働いていたおじさんと、
お茶を飲みながら
おしゃべりをしている時間が
面白いなとか、、
誰かの誕生日や
特別な記念日じゃなくても、
日々の生活の中で
ささやかな喜びを
感じられる瞬間が
たくさんあって、、
そんな幸せな記憶の数々が
心の奥底に
インプットされている
ような気がします、、
両親からも
多大な影響を受けました。
数年前に亡くなった父からは、
「ものごとの
いいところを見ようよ」
と いつも言われていました。
どんな時でも
「ありがとう、ありがとう」
と言う人でしたね、、
父は
若い頃に 独学で 英語を学び、
アンディ・ウィリアムスや
トニー・ベネット
といった
アメリカンスタンダードの曲を
英語で歌うのが好きでした。
私が10代で
アメリカに留学したい
と思ったのも、
父の影響が大きい
かもしれません、、
母は 超楽観主義で、
好奇心が強い女性です。
ありがたいことに
96歳のいまも元気で、
長年続けている
書道教室に通うため、
年に数回、
島根と東京を往復しています、、
足が痛いと言いながらも、
趣味のガーデニングにいそしみ、
「これをやっていると
ボケないのよ」
と、
クロスワードパズルや
タブレットゲームに
熱中したり、
新しいことへの冒険心が旺盛。
こんな90代になれたらいいな
って思います、、、
、、、音楽が生まれる時間
もう一人、
私の人生に欠かせない存在が、
音楽活動のパートナーであり、
私生活の伴侶でもある
(山下)達郎です。
27歳で結婚して以来、
家事や育児を楽しみながら、
自分のペースを守って
音楽活動を続けてこられたのも、
それを許してくれた
まわりのスタッフと、
(山下)達郎の理解と協力があってこそ。
夫婦としてはもちろんですが、
私たちの関係に
一番ふさわしい言葉は「親友」です。
今回のアルバムも含め、
結婚以来、
プロデュースを彼に任せてきたのも、
根源的にわかってくれる
パートナーだから、、
同業者であることが
プラスとなって、
日常生活の中で
自然に仕事の話もできますし、
くだらない話をして笑い合ったり、
困っていることを相談したり、
昔からお互いに
気を遣わなくていい関係です。
もちろん、
時には意見が異なる場合もあります。
だからと言って
揚げ足を取るような
ケンカになるわけではなく、
互いの意見に
「それも一理あるかもね」と、
論理的に違いを認め合える関係、、
二人とも 大の話し好きなので、
最近の社会情勢など
顔を合わせている間は
常に何かしゃべっていますね。
夫婦揃って夜型で、
私が曲作りに一番集中できるのは
深夜、丑三つ時。(笑)、、
しかも、「これだ!」
という曲のフレーズが
降りてくるのは、
なぜかシャンプーしている時
が多くて、、
ドラマ『Around40
~注文の多いオンナたち~』
のテーマソングとして作った
「幸せのものさし」のサビも、
髪を泡だらけにしている最中に
ひらめいて、、
脱衣所には
必ずiPhoneを置いておき、
突然降りてきたフレーズを
即座にハミングして
録音できるようにしています、、
楽曲の中には、
ありがたいことに
世代を超えて
聴いてもらえている
ものもあります、、
1984年に作った
「プラスティック・ラブ」が、
日本の1980年代シティ・ポップに
注目している
海外の若者の間で話題、
と耳にしたのが数年前。
いつの間にか 動画サイトで
何千万回も再生されたり、
ドイツやカナダ在住の若い男性から
ファンレターをいただいたり、
思わぬ反響があるのは
本当に不思議ですね。
シティ・ポップの最盛期の楽曲が、
時代や国を超えて
聴いてもらえている、、
作品を長く愛していただけるのは、
ミュージシャンとして
何よりもうれしいです、、
いま欧米では、
CDより、
アナログ音源の需要が
高いのだそうです。
海外ファンのニーズも考えて、
今回のニューアルバムは
CDのほかに、
2枚組のアナログレコードや
カセットテープでも
販売することにしました、、
、、、中略、、
最近ハマっているものですか?
あまり頻度は多くないけれど、
ボウリングでしょうか。
出雲に帰省した時、
兄と一緒に数十年ぶりに
地元のボウリング場で投げてみたら、
昔取った杵柄で
120くらいのスコアが出たんですよ、、
そのうちに
ボウリングが趣味の
サザン(オールスターズ)の
桑田君夫妻に
「一緒にやらない?」と誘われて。
去年の誕生日に
ルビー色のマイボールと
マイシューズも
プレゼントしていただき、
時折、ご一緒させて
いただいているうちに 面白くなって。
この前はなんと
スコア162が出ました!
ツアーを乗り切るための
体力アップに
役立っているかどうかは、
わかりませんけど。(笑)、、
年齢を重ねていく中で、
この先やりたいことも
考えています。
これまで自分が得てきたものを、
何かしら社会に還元していきたい。
表立って見えなくても、
私なりに世の中に
恩返しをしたいというか。
音楽的には、
若い歌手の方に
楽曲を提供すること
なのかもしれないし、
次の世代を担うアーティストを
支援していくこと
なのかもしれません、、
、、、中略、、、
振り返ってみれば、
これまでの人生で
無駄だったことは
何一つないですし、
過去に戻りたいとも思いません。
人との出会いに恵まれて、
大好きな音楽に
ずっと携わってこられたことに、
ただただ感謝しています、、
だからこそ、
自分が与えられてきた
かけがえのないものを
次の世代に渡してくことが、
70代からの課題
だと思っています、、、
、、、、、、
、、1982年、昭和57年、
竹内まりや 作詞、作曲
うた、
河合奈保子「けんかをやめて」、、
再掲載、、
歳、夫婦も
けんかをやめて
受け入れて、、