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「夢や希望 なんて 持たなくても 大丈夫」!?未来ある中学生を前に禅僧が身もフタもない講演をした理由とは?、、、禅僧・南直哉氏2024年11月13日(水)報道より、、

2024-11-17 22:32:48 | 日記
挫折こそ 本音みつめて 幸せへ

  (この背景は 以下に
   記載して みました、、)

 、、備忘録、、令和6年
  2024年11月13日(水)報道より、、

  、、、、

 「夢」は 叶いにくい。

「希望」どおりに
いかないことのほうが多い
のが人生だ。

 そう考えると、

「夢が破れた時に」どうするのか、
それこそが 重要
なのかもしれない。


 禅僧・南直哉氏の著書
『新版 禅僧が教える
 心がラクになる生き方』
(アスコム)から
一部を抜粋し、

誰もが抱く「夢」を考えてみる、、、

、、、、、、

 、、夢が破れたときに、
 人は「損得勘定から離れ」、

 「自分が
 本当に大切にしたいもの」は
 何か
 を見極めます、、、


 「夢が破れたとき」に、
初めて
見えてくるものがあります、、

 「絶望の果てにしか
見えない風景」があるのです。

 以前、
ある中学校に講師として
招かれました、、、


 司会をしていた教師に、

「これから、ためになるお話
をしていただけます」

と紹介されたので、


「そんな話は、
私にはできませんが……」
と断って、

こう切り出しました、、、


「私は 60歳前のおじさん
ですから、

みなさんの気持ちは
少しもわかりません。

これからする話が
ためになるかは
わからないが、

私にも中学生だった時代が
あります。

当時のことを思い出しながら
話すので、

自分の役に立つ
と思ったことだけを
覚えていてくれれば
十分です」、、、



 それから
話したことを
かいつまんで言うと、
次のようなものです、、

、、、

 ほかの大人は
君たちに
「夢や希望」を持て
と言うかもしれない。


もちろん、
夢や希望どおりに
生きられた人間は、

けっこうな人生を
送れたのだから すばらしい。
拍手を送ろう。


 「しかし」、

私が 今まで生きて
わかったことがある。

それは、
人生では
夢が叶わなかったり、
希望どおりにいかなかったり
することのほうが

ずっと多いということだ。

「現実では、
ほとんどの人間は夢破れる」。


 でも、心配するな。

「夢が破れても
人は生きていくことができる」。

そのほうが
もっと大事なことだ。

その証拠に
まわりを見てみるといい。


 先生や君たちの親が、
子どもの頃の「夢」を叶えて、
理想の人生を生きているか?

 畑仕事したり、
公園のベンチに
座ったりしている
おじいちゃんやおばあちゃんに、
いまさら
「夢や希望」が要ると思うか?


 「そんなもの」を
叶えていなくても、

みんな十分
「元気」で生きているだろう。

 だから、「夢や希望」なんて
持たなくても 大丈夫。

なんの問題もないから、
安心していいのだ、、、



 未来ある中学生に、
身もフタもないことを
言っている

と思うかもしれません、、


 「 しかし 」、

彼らは 明らかに
話に 食いついてきました。

つまり、
「リアルな話」だったのです、、

 「夢や希望」を持つことが、
必ずしも悪い
と言っているわけでは
ありません。

「ただ、持たなくても」
一向にかまわない
と言っているのです、、


 、、、多くの場合の夢は
  職業のこと、、、

 現代で言う「夢」とは、
多くの場合
「職業」を指している
にすぎません。

ほとんどの人にとって、
夢とは「なりたい職業」であり、

その職業をとおして
自己実現したいのでしょう。

しかし、

その実現したい自分そのものが、
非常にあいまいな存在
にすぎない。

 職業を考えるときに
もっとも大切なのは、
「人の役に立って
お金をもらうこと」です。

仕事は、
自分の夢のために
あるわけでは ありません。


そこを 「はき違え」ていると、

「人は夢や希望に
振りまわされてしまう」
のです、、


 私が本当に偉いと思うのは、
「夢や希望を叶えて生きる人」
ではありません。


「夢に破れても生きていく人」です。

「この目標を叶えたい」
という願いが叶わなくても、
「しぶとく生きていく人」です。




 「夢や希望を叶えて生きる」のは、
「ある意味、ラクなこと」でしょう。

たとえば、
オリンピックで
金メダルを獲った選手が、

周囲の期待や
精神的な重圧に耐えて
「結果を出せたのは、
すばらしい」ことでしょう。



 「 しかし 」、

彼らは 「もともと」
優れた才能や精神力があり、

「自分の夢を叶えるために
相応の努力」をしたわけです。


その「才能と努力に
見合った結果」を
出したのですから、

「その意味では、
当然」のことをやった まで
でしょう。



 「でも」、

血のにじむような努力を
したのに

「メダルに
手が届かなかった選手」が、

「結果を残せた選手」より
劣っているか と言えば、


まったく そうではありません。




 目標に向かって、
懸命にがんばってきた けれども

叶わなかった。


「夢」をつかもうと
必死で手を伸ばしたのに、

「届かなかった」。


 その「挫折」感から立ち上がり、
「再び歩き出した人間の底力」は、
大したものだと感服します。

そういった「経験」は
考え方の幅や強さとなって、
その人の「財産」となるはずです。

 私は、人間にとって

「挫折」

は 大事だと思います。

 なぜなら、
そのとき 人は

「損得勘定から
離れられる から」 です。


 自分の欲を満たしたい、、

 人から認めてもらいたい、、

 自分のために
なることをしたい……。



 ふだん、
人は「得をしたい」と
思うところから 動いています。


 こうすれば
うまくいくかもしれない、
 これをやれば「得になるから」、
やってみよう

と 考えがち です、、、



 、、、つまずくことで
  見極められる、、


 「 しかし 」、


人生に つまずくと、
「そんな算段は 吹き飛び」ます。


思いどおりに
いかなかったとき、
「夢破れたとき」に、

人は「損得から離れ」、
「自分が本当に
大事にするもの」を
見極めます。


そして、それを見極めた後、
自分の努力が
報われるかどうか

「わからなくても、
歩き始め」ます。



 「そんな人間に」は、
ある種の「凄み」が備わるのです。

だから、
「夢や希望が叶わなくても、
がっかりすることは
ありません」。


 むしろ、「夢や希望」が
「人生の妨げ」に
なるかも しれません。

 「夢も、希望も、
じつは 麻薬のようなもの
だから」です。



「いつまでも叶わない夢を
持ち続け」ているのは、

「夢という麻薬」が切れたときの
禁断症状が怖いから
に すぎません。


 本当は、
「夢と希望を持つことに
疲れ切っているのなら」、

今後も
それを持ち続けるのか、
それとも手放すのか。


 「夢」の後ろに
「隠れた自分の本音」を、
一度 徹底的に見てみること
です、、、

、、、、、

再掲載

 挫折こそ
  本音みつめて
   幸せへ