575、ブログ、はじめました。

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勝浦 1 ~ 移住相談数人気急上昇中?!南国調の街「勝浦」!静かな街が 急速人気化する理由は何故だ?、、JR外房線“ナゾの終着駅” 房総上総「勝浦」には何がある?2025年2月3日(月)報道より、、

2025-02-09 19:31:58 | 日記
天国に
 近いデータの?
  避暑寒地?



 (この背景は、以下に
 掲載 致しました、、)

、、、、はじめに、、、

 最近、「急速に」
脚光を浴びはじめている
不思議な 街、
千葉県 勝浦市、、


 以前から、
当該575ブログでも
取り上げて見たかった、
一連の 急速なる脚光記事。
 今までご紹介する機会を
逃し続けてきた内容、、

、、天国に近い?街だと、、?
 、、、それは、一体
  何 なんだァ~?

 という訳で、

またまた、最近
新たな関連報道記事が
出たことを機に~

この機を逃さず
今回こそは、と、思いきって
575ネタの
選抜報道としては初登場

 それでは 早速
最新報道、2025年2月3日(月)
 6時12分報道記事より
 (文脈を破壊しない限りで
 補筆加筆削除省略校正して
 あります)、、

、、、、、

 千葉県は、

旧國名では主に
下総(しもうさ)、
上総(かずさ)、
安房(あわ)から成る地名も、
地図帳でみる半島の形までも、

どこか不思議と
紀伊半島に似ている
房総半島を擁する
南 関東の県。そして、、


 外房 (そとぼう)、
太平洋に面する港町・勝浦。

千葉県の中でも 南部、
安房國 境に ほど近い
上総國に位置する街、、、


 “ 暖かいし 涼しい ”

 ふしぎな 終着駅「勝浦」
    (かつうら)、、


 千葉県 勝浦市は、
黒潮の影響もあって
冬は温暖、夏は冷涼。

 過去100年間にも渡る
気象庁公式データでも

なんと 最高気温が
35度を超えた記録は
過去に一度(一日)さえ なく、

30度超の真夏日すらまれだとか。

記憶に まだ新しい、
あの令和6年 2024年夏、

あの酷暑の日々も

冷房さえ まったくいらずで
ふつうに過ごせた
と 多数の勝浦市民が
いうのだから

なんとも ふしぎな街、
極楽のまちは
とも云われるわけだ、、


 それでいて、冬は冬でも
氷点下の冷え込みなどは
ごくわずか しかない。

 つまり、東京から、結構
気軽に行くことのできる上に

夏は 避 暑 地に
冬は 避 寒 地に
うってつけの町だ と
近年 ひそかなブームに
なり出している不思議な
楽園?の 街、、?!

更には、このような街に憧れて、
最近急速化している
移住相談も 絶えないと聴く、、


 そんな
首都圏の天国・勝浦には、
JR東日本 外房線
(そとぼうせん) が通じている。

 クルマを使わず鉄道で、
となったら、
外房線に乗ってゆくほかに
道はない。

 ありがたいことに、
東京駅から (JR東日本)
京葉線(けいようせん)経由の
特急「わかしお」が走っている。

 夢の国まみれの通路を
歩いて歩いて
東京駅の地下ホーム。

そこから特急「わかしお」に
乗り込んで、

海浜幕張(かいひんまくはり)も
蘇我(そが)も
茂原(もばら)も
上総一ノ宮(かずさいちのみや)
御宿(おんじゅく)も通り過ぎ、

ざっと1時間半ほどの旅のすえ、
勝浦駅 に到着する。

 さすがに
この辺りまで来れば、外房の香り。

都心の風情は完全に消え失せて、
のどかな
房総半島らしい車窓が
広がっている。


 勝浦駅もまた、
すぐ北側には山が迫り、
南側にだけ駅前広場を持つ
のんびりした空気のターミナル。

駅前広場にも、どことなく

   南 国 ム ー ド

が漂っている。

 寒い いまの時期ならば
南国ムードは ありがたく、
気分だけでも
いくらか寒さが和らぐ心持ち。

とはいっても、
海 が 近 い からだろう、

風がだいぶん強いから、
実際のところは
それほど暖かいと
感じるほどのことはない。


 それでも空が大きく
開放感がある勝浦駅の駅前は、

東京から1時間半の旅の果てに
やってきたことも手伝って、
だいぶ レジャー、
リ ゾ ー ト 気 分
にさせてくれる、、


 駅舎やそこに通じる階段が
真っ白に塗られているのも、

また駅前の交番が
白とスカイブルーに
塗り分けられているのも、

爽やかさを 感じさせてくれて
悪くない。


 、、真っ白な階段を抜けて
  南国 勝浦の街を歩く、、

 砂浜にポツンと
赤い鳥居が建っていた、、
 ちなみに、その交番の脇には
松前重義なる人物の石碑が
置かれていた。

松前さんは
東海大学の 創始者にして、
武道大学の設立を提唱。

それがきっかけとなって
1984年 昭和59年、
勝浦に 国際武道大学が開校。

 その名の通りに
武道各種に加え、
各種スポーツの強豪校。

阪神タイガースの
サウスポー・伊藤将司も
国際武道大の出身だし、

パリ2024年オリンピック
にも、在学生、卒業生から
複数日本代表選手を輩出した、、

 勝浦の町も、武道大のおかげで
“学生街”の一面を
持ち合わせているのかもしれない。


 JR東日本
外房線 (そとぼうせん)
勝浦駅前から
南西に向かって伸びる通りが
どうやら駅前メインストリート。

商店街というほど ではないが、
いくらか商店が並び、
まっすぐ下って国道を渡ると、

ほどなくリゾートホテルの
三日月シーパークホテル勝浦
が見えてくる。
その裏手に控えているのは
勝 浦 中 央 海水浴場。

この砂浜の真ん中には、
赤い鳥居が
ポツンと建っていた。

 近づくと、
「熊野貴船神社」の扁額が。
けれど、あたりを見渡しても
神社らしきものは ない。

 調べてみれば、昔はここに
本当に神社があったらしい。

 ところが、
たびたびの災害によって
社殿が壊れてしまい、
内陸の高台に移転。

この場所に神社があったことを
伝えるために、
後の世の人が
この鳥居を建てたのだとか。

いわゆる災害遺産かもしれない。


いずれにしても、
砂浜にポツンと建ち、
ときに波に洗われる鳥居は、
なかなかに 風 情 がある、、


 海水浴場の脇から
海に沿って歩いてゆくと、
すぐに
勝 浦 漁 港 が待ち受ける。

 ドデカい倉庫が
ずらりと建ち並び、
そこから巨大なトラックが
出たり入ったり、、

 昼下がりに訪れたから、
朝の早い漁師たちの姿はまばら。

堤防に囲われた勝浦漁港には、
たくさんの船が係留されていた。


 勝 浦 漁 港 は、
カツオにマグロ、キンメなどが
水揚げされる、

日 本 有 数 の 港

なのだという。


 、、漁港の朝市の
 「ことのおこり」を
 たどると…、、

 勝浦は、歴史のある港町だ。

 リアス式の海岸線で
岩場が多く、

沖合には 暖流
  黒  潮  が流れ、

三方を囲われた
天然の良港・三日月湾。

これらが揃い、
古くから好漁場として
漁 師 町 として
栄えた という。

「勝浦」という町の名の由来も、
諸説はあるが
そのひとつに“勝れた浦”
というものがあるくらい。

記録に残らない時代でも、
この地の人々は
魚を捕って暮らしていたのだろう。


 海に臨む突端の八幡岬には、
勝浦城 というお城もあった。

 戦国時代には、
(有名な

南 総
 里 見 八 犬 伝

に纏わる) 房総を領した
里見氏の家臣・正木氏が居城とし、

徳川家康が 関東に入ると
家康譜代の植村氏が入って
城下町を 整えた。

 その頃には
漁  業  のみならず、
太平洋を介する
海 運 の 拠 点 になり、

各地から
物資が集まるようになっている。

 そうした事情を背景に、
植村氏が 勝浦に入って間もない
1591年に始まった
とされるのが、
いまにも続く

  勝 浦 朝 市

である、、

 勝浦の朝市は、
農産物と海産物の交換が目的の
市だった。

魚は豊富にあるが
農産物には事欠く勝浦の人々が、
それを うまいこと
手に入れるための市、
というわけだ。

 上本町・仲本町・下本町
という みっつの町を
10日ごとに移動しながら
365日毎日開かれていたという。

 江戸時代には、

「勝浦三町江戸勝り」

などと言われるほどに
賑わった

というから、
なかなか な ものである。


  房総 上総國
 勝浦の朝市は、

  日本3大朝市

 の ひとつに
 数えあげられている

 ( 『勝浦朝市』、
  『輪島朝市』、
  『飛騨高山朝市』の
  3つの朝市 )、、


 、、400年続く朝市の
  “現在の姿”、、

 現在でも 勝浦朝市は
続いている。

 いまでは
下本町と仲本町の2町体制で、
月の半分ずつ場所を入れ替えて。

そして、この市が開かれる港の
すぐ脇の市街地が、
いまも昔も
勝浦の町の中心市街地なのである。


 勝浦の中心市街地は、
勝浦駅よりも 港に近い。

このあたり、
この町が歴史的にも
徹頭徹尾 港町であったことを
物語る。

 港の中心部付近から
北東にまっすぐ伸びるのが
仲本町通り。

東側、遠見岬神社が鎮座する
小高い丘沿いが 下本町通り。

両者は 中央通りという
商店街によって 結ばれている。


 (報道記者が) 訪れたのは
昼下がり。
だから 朝市の賑わいなどは
まったく感じられない。

が、いまもって
400年以上の歴史を持つ朝市と、
そこに隣接する港町。

これが勝浦という町の本質で
あり続けている
ということだけは
間違いなさそうだ。


、、中略、、

 いくら流通技術が発達した
とはいえ、
東京のスーパーで買った刺身と
勝浦のような港町で
食べる刺身定食とでは、
まったく味が違うような気が
してしまう。

 港町という舞台設定が
そうさせている部分も
あるのだろうが、
やはりこうした町では
うまい魚を食いたくなるものだ。


 が、この勝浦という町には
何と、

もうひとつの名物 がある。

いわずと知れた、

  勝浦タンタンメン 。

 B級グルメとして
ランキング上位に君臨するも
正確には、、実は、、!?、、

 漁師たちが
冷えた体を手っ取り早く
温めるために、
ラー油をふんだんに使った
個性派ラーメン。

 なんでも
1950年代 (昭和20~30年代)から
提供されていたというから、

そんじょそこらの
町おこしB級グルメ と比べたら
年季が違う ものなのだ。

 きっと、
国際武道大学に通う
体育会系大学生たちにとっても、
パンチの効いた

勝 浦 
 タ ン タ ン メ ン

は 愛されているに違いない。


 このように、
勝浦の町は
小さいながらも
食べるものには事欠かず。
加えて太平洋を望む絶景に

海水浴場。

少し足を伸ばせば
守谷海水浴場もあるし、
海中公園も ある。


 何より、
夏は冷涼 冬は温暖。

四季折々などと言うけれど、
過酷極まる夏の暑さばかりが
際立つ昨今。

 勝浦のような町の存在は、
実にありがたい。

暑さ寒さに疲れたら、
千葉県 上総
勝浦に行くべきなのだ。


 だから、次の機会には、
三日月シーパークホテル
にでも泊まって、仕事を忘れて
ゆっくりしたいものである、、

、、以上、2025年2月3日(月)
 6時12分報道記事より
 (文脈を破壊しない限りで
 補筆加筆削除省略校正して
 あります)、抜粋、、、
、、、

報道記事 補足

JR外房線特急名称「わかしお」
→ 若潮 とは?

 小潮から大潮にかけて、
潮の流れが
徐々に活発になり
動きがアクティブになる
ことから「潮が若返る」
と言われます。そのため、
若潮 と呼ばれます。

 千葉県勝浦市内では、
わかしお、若潮、を
用いた名称が
祭り名、地名、学校名など
多数 散見されるようです、、

、、、
再掲載

 天国に
  近いデータの?
   避暑寒地?


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2 コメント

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Unknown (575)
2025-02-10 14:52:14
> 恭子 💖 さんへ
> 勝浦いいですね~  ... への返信

恭子 さま、、

 本日も、実に冴えきった
春の一句とともに、
素晴らしき文章での
コメントに
感謝感激です、、

 恭子さまのコメントに
ジーンときちゃいました、、

余韻が 堪らなく イイ感覚!
コメントにいいね!ボタン
(無いけれども、、押したく
なっています、、)

勝浦の街への
話の展開、、
スゴく読みでが
あり、後味サイコーです、、

恭子さま、スゴい 文才、、
本当に 感じています、、
有難う御座います(^.^)(-.-)(__)

、、、

 ところで、この度の
575ネタ元の 題材=報道、
勝浦市、、
私がブログをはじめた
昨年8月以前からも
度々 幾度も幾度も

報道記事になっており、
ブログの元記事として、
紹介してみたいなあ、、

と以前から記事ストック、、

何故か機を逸し続けていた、、
不思議な記事たちなんです、、

ほか記事などによると
例えば昨年夏

勝浦の周辺の市町村は
酷暑35度超え、、軒並み
だったらしいですが、、

何故だか勝浦市だけは
35度には日中最高気温でさえ
到達せず

30 度ちょっとだったらしき
記録もあるようでした、、

これは偶然ではない、、
と思っていました、、

記事タイトルも
不思議な街、、勝浦
でしたが

以前から不思議だなあ、、
と私個人的には
思っていました、、、

この街に なにやら深い関係が
ある訳では ないのですが、、

個人的興味から
記事追跡中なんです、、

 たぶん 推測なのですが、、
また この不思議な街上総勝浦
報道、新記事が
出てくるのではないかと
想像しております、、私です、、

ちなみに紀伊半島地図見て
発見、、

紀伊勝浦 (上総)勝浦

(紀伊半島)白浜 (安房)白浜

などが同一地名

似たような地名に
(紀伊半島)串本 (上総勝浦市内)串浜

などを発見、、
ほかにも
イッパイあると思います、、


 日本一大きな半島、紀伊半島と、
東日本では有数に大きな半島
房総半島、

半島の形のみならず
縮尺だいたい同じにすると
大ザッパに
重なる位置に
同一か類似の地名を発見、、、

両半島とも
捕鯨 は有名、、

両半島とも漁業古い歴史あり

これは
ぜったいに
関係ありありですね、、
場所離れていても、、

房総半島と紀伊半島、、

今回の記事
個人的に読ませて頂いたときも
これ、奥深いぞ~
と直感 しました、、

 そんな訳で、、
私個人的には
興味が尽きません、、


 、、いつもステキなコメント
有難う御座います(^.^)(-.-)(__)575
返信する
勝浦いいですね~   (恭子 💖)
2025-02-10 08:04:27
.
転勤で 住めば都の 梅まつり

幼少の頃、よく母の都合で引っ越しました。
夜の街っで働く母は、恭子には言えない過去が色々とあったのだろうと思います。

もちろん自分は「転校生」という稀な体験を
幾度も繰り返し‥
なかなか友達も出来ずに不登校になったりもしました。

でもやっぱり自分を支えてくれたのは、クラスメイトでした。
どこに行っても転校生の私を無条件で受け入れてくれて
行った先の街を好きになりました。

お祭りに一人でいく事ほど寂しいものはありません。
ありがたいのは、お金とかの金品ではなく
「友達」なんだなと今でも思います。

その街に、その風土で育った人が暮らしていて
来た者を迎え入れるのです。
勝浦の人気の秘密は、気候だけでなく
そういう街の温かみもあっての事なのだろうと想いを巡らせています


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