JRは、石屋川の下を潜っていた!
なんで?
石屋川隧道(いしやがわずいどう)とは、かつて兵庫県神戸市の東海道本線の
住吉駅と六甲道駅の間に存在した日本で最初の鉄道トンネルなのです。
1872年(明治5年)日本で最初の鉄道が、東京・新橋―横浜間で開業しました。
その2年後の1874年(明治7年)には大阪―神戸間が結ばれることになりました。
当初は集落がある程度発達し、東西の往来の主要道路になっていた、沿岸地帯に
線路を敷設する予定でしたが、地元の酒造家が機関車(汽車)の煙などで酒が腐ったり
まずくなるなどの理由で反対し、山麓側を通る現在のルートに変更されました。
山麓側には神戸の地形独特の川が平地より高いところを流れている天井川で、
大阪から神戸の間に東から芦屋川・住吉川・石屋川の三つの天井川があります。
(地図上の、高橋川、都賀川、生田川は天井川ではない。)
そこでこの芦屋川・住吉川・石屋川の三つの川を通るのに、
当時の機関車では川を越すための急勾配に弱かったため、
掘削工事をして川の下にトンネルを造り鉄道を通すことになりました。
そしてその一番初めに建設されたのが石屋川隧道なのです。
イギリス人技術者の設計監督により、1870年(明治3年)に着工し、
川部分を掘削し、木橋で水流を変えてトンネル部分を煉瓦で積み上げ
再び川を元に戻す、開削工法がとられ、1871年(明治4年)7月に竣工、
鉄道開通時の1874年(明治7年)に供用が開始されました。
その後、東海道本線が全通し、1894年(明治27年)には輸送量増加のため、
複線化することになり、トンネルの丸い部分の側壁を垂直に削る工法で拡張。
さらに、1919年(大正8年)には複々線化に対応するため、
トンネルは解体され、跨線水路橋の下に4線分の線路が敷かれた。
やがて、1976年(昭和51年)に、六甲道駅(正確には現・摩耶駅あたり)と
住吉駅の少し西側間の高架工事のため、石屋川隧道は埋め立てられて、
複々線の東海道本線が川の上を通る現在の形になりました。
石屋川隧道はこのように現在は面影を残すのみとなりましたが、
今現在の石屋川とJRの様子
芦屋川と住吉川の川底のトンネルは現存しています。
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