栃木県・新町薬師堂の扁額
一昨年に尋ねた信州の上田城虎口門
信州・上田城に続いて真田幸村の名残りの場所を訪ねました
階段を登ると、薬師堂
「真田父子犬伏の別れ」の現場である薬師堂
慶長5年(1600年)の関が原の合戦を前に、真田父子3人(昌幸、信幸、幸村)が、真田家を存続させる手段として、東軍と西軍に分かれて戦うことを決断した密議の場所だと伝承されているのが、この薬師堂です。場所はそのままですが堂は何度か改修されているようでした。
登り旗にも
賽銭箱と鰐口があります。きちんと管理がされているようです。
真田のシンボル、六文銭。 『お堂の中は自由に入れます』と書かれた貼り紙
堂内の出入りは自由だというのは驚きました。
お堂の内部です。薬師如来さまの他にも昌幸、信幸、幸村の鎧が鎮座していました。
本日の参拝者で記帳された方が3名、他にも参拝者はおられたのでしょうが薬師堂への来訪者に不届き者は皆無のようです。
お稲荷さん
こちらもお賽銭箱があったのですが 箱の上部が無い同然だったので失礼ですが賽銭は堂内に置かせていただきました
お稲荷さんの脇に 『米山古墳』 と書かれたいしぶみがありました、古墳の一部に薬師堂があるということですか…
一昨年に尋ねた信州の上田城虎口門
信州・上田城に続いて真田幸村の名残りの場所を訪ねました
階段を登ると、薬師堂
「真田父子犬伏の別れ」の現場である薬師堂
慶長5年(1600年)の関が原の合戦を前に、真田父子3人(昌幸、信幸、幸村)が、真田家を存続させる手段として、東軍と西軍に分かれて戦うことを決断した密議の場所だと伝承されているのが、この薬師堂です。場所はそのままですが堂は何度か改修されているようでした。
登り旗にも
賽銭箱と鰐口があります。きちんと管理がされているようです。
真田のシンボル、六文銭。 『お堂の中は自由に入れます』と書かれた貼り紙
堂内の出入りは自由だというのは驚きました。
お堂の内部です。薬師如来さまの他にも昌幸、信幸、幸村の鎧が鎮座していました。
本日の参拝者で記帳された方が3名、他にも参拝者はおられたのでしょうが薬師堂への来訪者に不届き者は皆無のようです。
お稲荷さん
こちらもお賽銭箱があったのですが 箱の上部が無い同然だったので失礼ですが賽銭は堂内に置かせていただきました
お稲荷さんの脇に 『米山古墳』 と書かれたいしぶみがありました、古墳の一部に薬師堂があるということですか…