旅 ・ 懐かしいもの探しetc

 旅行はあまり有名ではないところをメインに身勝手な感覚で記述し、武漢ウイルス以降はグチばかり・・・

津波を止める ~ 波 切 神 社

2018年03月16日 | 観光地ではない旅行
波切り不動尊
 海岸近くにあって、津波もこの不動尊(神社)で 『波が此処で切られて内陸まで入らない』 と云われ、日本中の海岸線近くにこのような波切神社が多数存在します。


こちらは鳥居が無いので寺院でしょうか

 現実に 『波切り神社 (寺院) が津波に呑まれたという話は聞いたことがない』 というのが地元の人の話です。

山門


山門左右に 天部・仁王尊、金剛力士像
罰当たりの輩から仁王様を守るための金網があるのでちょっと見えずらいです


吽形の仁王さま


参道から見上げた本堂


山門を潜ると すぐ右側に小坊主の像が。。。参拝のお礼? 可愛いです


隣には、無事帰る(カエル) 若返る(カエル)


空海和尚さま
 弘法大師というのは天皇が与えた諡号なので 『空海』 さまというのが確実に本人が納得して自分のお名前だと認識している名前です。

 皇族・摂関家・公家らは時によって仏教に肩入れしたり、廃仏棄釈で仏教を苦しめたり、幕末や大東亜戦争終結時のように突如手のひら返しを何度もしていたのですね。

お釈迦さまの足跡 仏足石 
お釈迦様が説法をされて帰った後に石に残った足の跡を弟子たちが彫られた足の裏の相、仏足石というのですね。お釈迦さまの足は偏平足というのは有名な話です。

天竺に巡礼が法の道ということ? 浅学菲才な私にはよく理解できません…

社務所でしょうか? それとも寺務所?


本堂が高所で手狭なためでしょうか御堂がありました


手水舎の吐水龍
不動明王の倶利迦羅剣に龍が巻き付いている珍しいものでした


寺務所前から本堂を仰望する


本堂に登る途中にも祠がありました。
前には神社の鈴のようなものが下がっています。お寺で、観音菩薩さまですから 『鈴』 ではなく 『鰐口』 なのでしょうね


『呆けに喝』 の看板があります


呆け封じ観世音菩薩堂と書かれています。
人々の声を聞いて救いの手を差し伸べて戴けるという観自在菩薩さま。 『ボケ封じ』 となれば…即、手を合わせてきました。


本堂への途次にも空海和尚修行の像


登り切って、本堂から境内を俯瞰


本堂から海方向を臨む


海岸まで8キロメートルとか。


本堂から山門を臨む


本堂の角にあった彫刻、獏でしょうか


本堂背面


急傾斜な階段


間近で見る石垣。立派なものです。

津波で流された波切神社は無い、と云いますが

・津波被害はあったが、大昔のことで今の住民が知らないだけ…
・過去の大きな津波でも届かない地点に神社を設けた
・過去に津波の被害を受けたので、今度は神社は津波の届かない場所にした
・海岸から近い場合は、津波が来ない高台に設けた

等々の意見もあります。

波切神社は 『波切り神社』 『波切神社』とか 『浪切神社』 とか名前は種々あるようです。

三重県志摩市の波切神社や 大阪府岸和田市の 『浪』 切神社、和歌山県太地町の 『波』 切神社、宮崎県日南市の有名な鵜戸神宮境内にも波切神社、東京築地には 『波除け稲荷』も存在します。

ご祭神は、おなきいさまや橘姫、弁財天、不動明王、お稲荷さま等々

こちらは御不動様がご祭神でした

『明王』 ですから 『如来』 や 『菩薩』 より格下になりますが不動明王は 『如来の生れ変り』 ともいわれていますから微妙です。

明王でも天部でも いずれにしろ、俗世間の人間よりは比較にならぬほどに格段に尊い方々ですから迷える煩悩の塊である人間を津波から護って戴けるのはありがたいことです。
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