正月の地上波テレビでスポーツ選手が『命懸けでやりました』などの言葉を聞いた後に初詣に出掛けました。。。
そこには、同じ『命懸け』で事に当たったのにそんな言の葉は一言も言わずに私たちのために命を散らした人たちがいました
「おやさしき我が祖母様よ お先にて三途の川の浅瀬知らせむ」
高田豊志少尉 19歳 戦死
孫が お婆ちゃんに 死後の心配をして辞世の句を残しています
写真は特攻出撃1時間前で、3時間後には全員がこの世にはいないことが分かっている 17歳から19歳の少年特攻兵たち。死を覚悟したもののふの表情とは少し違う穏やかな顔をしています
🔶ようやくカタカナを読めるようになった、幼い子供を残していかれたお父さんの姿も
「オトウサンハ『マサノリ』『キヨコ』ノオウマニハナレマセンケレドモ・・・・」
「ヒトノオトウサンヲウラヤンデハイケマセンヨ」「オトウサンハカミサマニなってオマエタチヲズットミマモッテイルカラネ」
久野正信中佐 29歳 戦死
お馬になって我が子の重みを背中で感じたかったのでしょうか
🔶残された家族に起きたこと
夫が特攻作戦に従事する兵の訓練に当たって、「お前たちだけを死なせはしない、俺も後から必ず行く」と言っているのを知り 夫の考え方や性格を充分に知っていたことから
「自分たちがいたのでは後顧の憂いになり思う存分の活躍ができないでしょうから一足先に逝って待っています」
と、書き残して飛行学校近くの荒川に3歳と1歳の娘と手を紐で結んで入水自殺
藤井中尉はその後志願して昭和20年5月28日早朝、米駆逐艦 ドレクスラーに突入。戦死。当時29歳。少佐 (2階級特進)
茨城県の農家の7人兄弟の長男
妻・福子さん 群馬県高崎の商家の生れ
茨城県の農家の7人兄弟の長男
妻・福子さん 群馬県高崎の商家の生れ
この方々と同じ『命懸け』というセリフをプロスポーツやオリンピックのアスリートが平然と使ってインタビューに答えているのを聞いて少し違和感を感じてしまいました