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昭和天皇と宮内庁長官の「拝謁記」公開

2019年09月02日 | グチばかり
昭和天皇との対話を記した初代宮内庁長官の「拝謁記」に、戦後の日本国憲法で「君主」から「象徴」となった昭和天皇が君主としての意識を払拭できずにいつまでも「君主」意識を持っていて吉田茂首相との意見の隔たりがあった事実が判明したとの放送内容でした

2019年8月17日 19時07分 NHK  https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190817/k10012039281000.html
NHKは初代宮内庁長官が、5年近くにわたる昭和天皇との対話を詳細に書き残した「拝謁記」を入手。
 初代宮内庁長官の田島道治が、日記とは別に、昭和天皇などと面会した際のやり取りなどを記録していたもので
18冊の手帳とノートで、拝謁の記録は600回 300時間超。9割は「昭和天皇実録」に記載なし、「空白期」埋める貴重な資料、9か月かけ10人超える専門家と分析したもの。
  その記述から、昭和天皇が、御名御璽の詔勅により戦争を命じたことへの責任は感じていないが 道義的責任のみの後悔を繰り返し語り、象徴となったのに君主であるという自覚のまま終戦から7年後の日本の独立回復を祝う式典で、国民に悔恨と、反省の気持ちを表明したいと強く希望したものの、当時の吉田茂首相の反対でその一節が削られていたことがわかりました。

敗戦まで、日本の君主・帝王・日本軍唯一の最高司令官・現人神 だった昭和天皇の大元帥の軍服姿   (敗戦後、国民に天皇は神ではなく人間だったという宣言をされ、日本の君主から象徴に)
 世界各地を日本の領土にしてその全て領土での 「君主」 を目指して 「自らの命令で戦争を開始」 させ、山本五十六大将や大西中将の諌めを聞かずに停戦に応じず、山本大将の殉職時にも国葬を 「皇族でない平民の山本を国葬にするのか」 と異議を挟み、日本人320万人が死んで敗戦時には米国平民のマッカーサーに 東条大臣らを救うどころか戦争責任を押し付けて自らは命乞い  『ノーネクタイのマッカーサーがタキシードを着たエテ公を連れている図』 と世界に嘲笑された画像が残った。
 ※この後もずっと君主意識は持ち続けていたことが判明
 我が国でもののふは古来、北条氏を筆頭に 『戦に負けた時には、自分は切腹するから部下の命だけは助けて欲しい』 と懇願して部下の命を救っているのが歴史の事実
 天皇の命令に従って過酷な戦地で天皇陛下万歳を叫んで死んでいった230万もの少年を含む多くの兵隊 (国民) の御霊が眠る靖国神社への参拝をおろそかにしてよいものでしょうか?
 その昭和天皇の教育のお陰でしょうか、平成天皇は遂に1度も靖国神社に詣らないまま (高麗神社には確りとお詣りをしています) 身勝手にも退位して余生を楽しまれています。
※朝鮮民族が多く移住した埼玉県日高市と飯能市にまたがる地域で高句麗にちなみ、明治時代まで高麗郡と呼ばれた。当時の朝鮮の指導者を祀った「高麗神社」2017年9月20日天皇皇后が共に参詣している。
 
 
NHKテレビ報道を100%信用する訳ではありませんが このことは左右多種な意見が多いので口にしない方が良いのかもしれません

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