(編集しました)
私は小学校入学と同時に望んでいた「お花のおけいこ」を始めることができた。
記憶にはお稽古の様子は殆どなくて、お稽古あとの師の庭にある花と遊んでいる光景しか浮かばない。
当時はどこの家にも庭に季節の花が咲いていたし、お玄関には それぞれのおうちの花が生けられていた。
村に花屋さんはなく、お稽古の花材がどのように運ばれてきていたのか今になっては不思議の一つ。
四国の南部、田舎の村のこと。
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楽しんできたお花のお稽古は結婚後仕切り直し、指導者をめざしてみようと意識と視点を変えることにした。
流派も変更し、合間にフラワーアレンジメントも始めた。
楽しんできたお稽古は修行へと変換していったが、それはやりがいのあるものであり充実した自分時間を持つことができた。
が、気質的にしばりに弱い。
師との関係はさほどの問題はなかった。
家元制度の中に潜む空気感、慣習などは重荷になってくる。
師の勧めがあり、教室を開いてからは更にいろんな難題や疑問がでてくる。
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結果、家元制度からは離れる方向を選び、暫くして師からも離れた。
生活芸術、文化としてのすばらしさを抱えながら日常の暮らしの中にさりげなく存在する生け花を広めたい、ただそれだけなのに、
という想いが強くなっていた。
かつて子供時代、母が生けていた暮らしの中にある生け花のような。