生け花の歴史と華萠(かほ)スタイル ⑶

2021-02-21 13:33:57 | 日記

(続き)

生け花の歴史・・・(私個人の独断解釈理解が多く含まれています。ご了承ください)

昨年秋、NHK文化センターと大人の休日俱楽部趣味の会 共同開催のセミナーに参加してみた。

タイトルの「日本文化の源流をさぐる」に惹かれて。

教科書と学者たちとの意見は一致していないことが多いと知る。

 

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これまで生け花の歴史、って探してみても納得するものには出会っていない。

 

インドから仏教の伝来とともに~~とか、飛び級では室町時代になって生け花のスタイルが確立された~くらい。

 

室町云々は、戦国の世、京都六角堂の池坊専好が立華というスタイルを確立させた、と。

 

それから時を経て、この立華がヨーロッパに伝わり、

左右対称のかたち、フラワーアレンジメントとなったと、かつての師から聞いたことがある・・・

日本は建築様式にもみるようにアシンメトリーの文化。

床の間に合わせて生け花も本勝手、逆勝手の生け方へと確立する。

 

床の間のない現代の生活様式でもこの本勝手か逆勝手かは大切な要素であり、今の生徒さん達にもしっかりと伝えている。

 

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戦国の世。

お寺には花僧が花を生け、競う風潮はあったらしい。

江戸にはいり、庶民の文化が広がるとともに、生け花も庶民に広がり、それと共に流派が次々うまれてくる。

明治時代になって、政府は不況対策の一つとして池坊に若い女性のめの生け花学校を要請した。

生け花は花嫁修業の一つとして成り立ち、男性文化から女性へと移行していく。

 

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話、飛びます!

アメリカ在住の妹が、子供が幼稚園年齢のころ(現在甥は28才)、学校から生け花のワークショップを依頼された。

その時にやはり歴史をさがした。

そんななかで、妹と私のお気に入りは・・・・・

 

四季の移ろいに心を寄せる日本人、庭(か道端か)にあるの風雨で傷んだ草木を持ち帰り水に満たされた器に入れる。

命をとりもどした植物への喜びと、四季に対する感性が絡み、生活芸術、生け花へと成長した・・・というものがあったらしい。

 

残りの花材で

        農道に捨てられていた黄色い実(名前 ?)と庭の水仙

 

日本人は四季に対して特別な感情を持ち続けたのだろう。世界のどんな時代や地域においても花を生ける楽しみはあったはず。

それが文化、芸術と育ったのは日本だけである。

このDNAにすでに組み込まれている「生け花」を産んだ感性は絶やせない。

ドアの外での四季をインドアでも楽しみ味わおう!

 

樹花kahostyle

HP:ggcs-style.com

 

 



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