ー 遺 書 ー
弁護士 久島 和夫 著
財団法人大蔵財務協会他 発行
遺言の歴史は古い。すでに紀元前200年頃古代ローマにおいては、遺言をすることは一般的な慣行となっていたし、日本においても養老令(西暦757年施行)の中で、法定相続は遺言がない場合に限って適用することとされていた。(「相続法 新版」 中川善之助 泉 久雄 416頁~)
そしてその中身は家産を家族の誰に継がせるか? から、自分の財産をどう処分するかに変わってきた。 つまり、「家のための遺言」から「人のための遺言」に変化してきた。 (同)
この点、わが民法はどっちつかずである。 つまり一旦相続分を決めたそのあとで、遺言をする人はこの法定相続分にとらわれずに自由に相続人の取り分を決めることができるとしている。 (民法900~902条)
ところが、そうやって自由に決めていいよと言いながら、配偶者、子、親にはある程度は遺してやってね、という。 遺留分である。 (民法1028条)
だからどんな放蕩息子も、悪妻も、甲斐性なしの宿六も、財産を遺す本人の気持ちには関係なく、その何分の一かはもらえることになっている。 死んだはずの「家のための遺言」が成仏できずに、遺留分という幽霊になって迷っている格好である。
法律というのはどうしてこんな余計な世話を焼くのだろうと思う。 早い話、裁判所が人の懐に手を突っ込んで、放蕩息子や悪妻や宿六になにがしかの金を分けてやるわけである。
この幽霊は追い払うことができるか。
できる。 廃除である。 相続権を否定するほどの虐待侮辱や著しい非行があれば、家庭裁判所に廃除の請求をして相続権を完全になくしてしまうことができる。 (民法892条)
廃除の請求は生前にしてもいいし、遺言でしてもいい。ただし、 遺言の場合、遺言書に「あれに財産はやらない」旨書いておいただけでは廃除できない。 遺言執行者が家庭裁判所に請求して審判をしてもらわなければならない。 (民法893条) 結果はどうなるかわからない。
だから、確実に廃除するためには生きている間に自分で手続きをし、かつ審判で勝たなければならない。
ここでも裁判所が出てくる。 「こっちの財産だ。 放っといてくれ」と言いたい。
虐待侮辱とされたケースは数多くある。 たとえば「親を殴打し負傷させる如きは、名誉を傷つけ、重大な侮辱となる」とした判例がある。 (東京控大正8. 5. 16)
( 次回は ー 中学の頃 ー )