つづき
あじさい祭り会場で昼ごはんにありつけなかったので では引き返そうか ということになったのですが
ここまで来たからには お昼抜きでも行ってみたい場所がありました
さらに山の奥へ進むべく Uターンしてもらいます
いらっしゃ~い
ようこそ!
って 君はだれ?
そしてその先に その現場は現れました
結婚してまだ数カ月の頃
すでに安定した仕事(引っ越しもない)に就いていたKでしたが
ある日 ぽつりと・・・
「今の仕事は楽しいけど自分が一生かけてやりたい仕事じゃない 僕は人の役に立つもっと大きなプロジェクトに関わって仕事をするのが夢だから もう一度試験を受けて就職し直したい ええか?」
そう告げられました
その時は軽く「ええんじゃない? 自分のやりたい仕事すれば」二つ返事で後押しした私
若かったんだよね
それから数カ月 Kは傍で観ているのもピリピリするぐらい 猛勉強をして受験
24歳で念願の再就職を果たしました
あれが転勤生活のスタートです
初任給の少なさにはひっくり返りそうでしたけど・・・
そして最初の赴任先での初仕事がこの現場でした
当時はまだまだ計画途上で影も形もなかったこの場所へ一度だけ来ました
完成した姿を見て ちょっと感激です
『夢が叶ってよかったですね』
仕事の話はあまり具体的にしないKですが
私はパートナーの仕事を誇りに思います
それがでっかいか小さいか そんなことは関係なく です
人の暮らしの為になる その信念で働く不器用な一つの人生があることを
私はずっと傍で見ていたからこそ
この光景は特別な想いが溢れました
いろんな苦労もありましたねぇ
グゥ~♪
・・・とそこでお腹が鳴ります
想いは溢れますが お腹は空いています
つづく
人の役に立つ仕事は直接的、間接的にあるけれど
でっかい仕事ほど男にとってはロマンを感じます。
小生も入社した時外国企業との資本、技術導入
の会社で、立ち上げるまで一年間特訓でした
化学反応で最初の製品が出てきたときの興奮は
忘れられません。しかし世界は変化しますね、来年
春には生存していた4番目の最後の事業所も操業停止です。
金砂湖へは独身時代バイクで独りドライブしました。
あれからもう約50年になりますね~
プルートパパさんの時代は その産業は成長期で きっと開発も最盛期で仕事に生きていたんですね
あの日 私が反対していたら今頃松山在住で流浪の転勤生活もなかったのかもしれません