なんと!免許不要、しかも20万円以下のお金で4人乗りの船外機付のお船が買えのですョ~。

スクーター、パソコンと同金額程度で、規制緩和のおかげで免許無くとも、船外機付のお船のオーナになる事が出来た。その航海記。

千葉県野田市関宿城周辺

2012-02-28 20:40:22 | 千葉県野田市

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前の週に福島県磐梯山北の檜原湖から帰宅し、翌週は父の墓を野田市に作っあるので、その墓参りの後で近場の利根川にボートを出そうと考えた。という事で今回は野田。しかし野田と言っても広いので、今回のターゲットは利根川と江戸川の分岐点そばとした。ここまでは家から約1時間の距離で、しかも事前調査だとこの付近の江戸川の堰はカヤック乗りに人気らしい。選んだ理由はそれもあるが、その他の理由として、関宿城という名の博物館(地図の関宿三軒家↑の家みたいなマークがそれ)や、そのそばに道の駅があり補給、休憩、駐車等楽そうだったからだ。そいうことで現地に行き偵察開始。しかしなかなか良いボートを下す場所が見つからない。しかしなんとか出せそうなところが見つかる。まずは地図左の江戸川からの引き込み水路。しかしここは水が少し汚くて、出すのに躊躇してしまった。また偵察中という事で、別の場所を探す。しかし野田市側ではなかなか見つからない。なので利根川を渡たり「道の駅さかい」に行く。ここは県を超えて茨城県境町となる。ここも拠点にはなりそうだったが、土手にボート持って行くのに交通量激しい道路をまたがねばならないという事でだ断念。仕方ないのでちょいとここに車置かせてもらい土手の偵察に行く。この時に新しくボートアイテムとして購入した折り畳み式自転車を繰り出す。(笑)

これが有ると無いとでは今後のボート航海のルート取りの選択肢の幅が格段に違ってくる。例えば車が中々止めにくい私の自宅付近の都会系の川の場合、まず車で川にボートを運び組み立てておいて一旦帰る。その後この自転車に乗りボートまで引き返し航行に出る、というやり方が出来る様になる。また車からボート降ろして自転車のせて出港。後数十キロ航海し、上陸した場所にボートを一時置いて起き、道具とかに鍵かけたうえで自転車で車まで帰り、車で上陸地点に来てからボート回収という事が可能になったのだ。しかも私のボート行の目的は病気のリハビリにあるから、自転車もまた良しなのだ。で、話の前置きが長くなったが自転車で土手に向かう。境町は小さいながらも小江戸を感じさせる建物が幾つかあった。

  

そして利根川の土手に出る

渡し船の桟橋があった。ここを利用できないか、と思いつつ周辺を見回す、と!

 

立派な舟降ろし用スロープがあるじゃないですか!!という事で今回の航海はここからの船出と決定した・・・はずだったのだが・・・夜に入りキャンプ張ろうとまさに行動しようとしていた所、病気の症状が徐々に大きくなってくる・・・私は悩む・・・ここに泊まり明日出港する頃には症状が治まるか?それとも勇気ある撤退か?今ならまだ車運転してなんとか家に帰れる。でもこれ以上酷くなると、ちと洒落にならないところまで悪化の可能性もある・・・。

ということでただでさえ危険が伴うボートなので、今回は未練断ち切り撤収した。ただ場所は良い所見つけたので、その記録としてここに残しておく。

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千葉県野田市芽吹橋付近

2011-04-29 02:51:14 | 千葉県野田市

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3月11日の東日本大震災で私の地域でも震度5強を記録。うちも少しだが家財の被害が出た。(大被害を受けられた方にお見舞い申し上げます。)

プラス、事故原発と同じ路線である私の住む千葉県北西部では、放射線警戒し海外避難で成田空港へ向かう人、西日本に家族を避難させる人など結構居たと思う。実際交通混乱が落ち着く始めると、旅行カバンを持った人が駅周辺に増えた。その中には千葉県から避難する人達にまじって、東北から避難してくる人も結構居た。若い人などは、最低限の物の持ち出してであろう、バックパッカーのような格好の小集団で私の住む町のターミナル駅の周りをうろうろする姿が見れた。そんな中私も、状況次第では関東以西への避難を考えてもいたのだが、不幸中の幸いで原発は私の想定する最悪の状態まではいかなかったので避難はとりあえず取りやめた。それならば、と今度は私が逆に被災者の為に何か出来ないか、と思って社会福祉協議会に連絡して協力などを申し出たりもして、3月はあわただしく過ぎた。落ち着きが戻ってきた3月下旬、ボート買ってから3回目の航海を決行した。

場所は千葉県野田市芽吹橋付近の利根川。選んだ理由だが、誰かのブログとか見た訳ではない。自分で事前調査して決めた。駐車場はあるか?帰りに泥落としの為に公園などで水道が使えるか?水面にボートを安全に降ろす事が可能か?(スロープや桟橋が使えるか?またはその代用になるような施設や地形等があるか)等の条件でグーグルマップやウォッちず等を使って探した。地図でまず手ごろな河川や湾、湖沼を探し、次にその水辺にある公園を市役所などのWEBサイトで調べた。すると公園の中にトイレはあるか?水道の蛇口があるか?駐車場は?等々の情報は結構自宅でも取れた。だが下見は特段しなかった。現地行って不都合あれば移動するか最悪撤退すれば良いだけ、と思っていたからだ。そんな感じで候補地にあがったのが、「野田市スポーツ公園」であった。地図では川辺まで200M程度だったのと、公園駐車場が無料でトイレや水場が確認出来たからだ。更に言えば前回の手賀沼に行くのと同じ程度の時間で、自宅からここへ行く事が出来る近さだからだ。

決行当日、とりあえず自宅から地図の(1)の公園に行って、駐車場の位置を確認した。そして車に乗ったまま利根川の水辺にどの程度近づく事が出来るのか、奥の土手に向かって進んだ。そうしたらゲートがあって「平日通行禁止」の文字。私は車を置いて、利根川の水辺がどうなっているのか確認の為に歩いて進んだ。獣道みたいな所を通って水辺が見えてきたのだが、土手のてっぺんから水面まで目測約5M程あり、斜度は30度以上の急勾配。しかも滑りやすい泥の地面。とてもじゃないが車置いてある場所からですらボートなんて水辺に運べない。

しかたないので場所を移動。車で利根川の水辺ぎりぎりまで入り込める場所はないのか、と探しながら公園付近から車走る事約5分位で地図の(2)付近に、水辺に接近出来そうな側道らしきものを見つけ入ってみた。そうしたらこれがドンピシャだった。そこは川の水辺そばに車をおけて、しかも水辺まで30M程でボートを降ろせる場所であった。

写真左は、私の車と、陸に上げてある船。18禁アイテムが散らばっていた為にモザイク処理した。右は土手を下る為の結構な勾配と5Mの高低差の簡易梯子と船を係留してある簡易桟橋。

 

ところで少し気になった事がある。近くに「手賀沼漁協」という看板がおいてあった。で道を進むと桟橋があったり船がおいてあったりするものだから、「車、ここに置いても平気か?」とか「梯子や桟橋使わせてもらって平気か?」と思った。反面、利根川河川敷って国土交通省の管理下である訳だが、これらの梯子や桟橋は許可取って作ってあるのだろうか?てか河川敷は国有地では?ならば桟橋等の施設は私使っても平気かな?とか色々考えてしまった。一応トラブルは起したくないし、なによりもコチラはリハビリや趣味事なので、幾ら天下の公道ならぬ利根川であったとしても、漁業を正業としている方には、迷惑と思われないように心がけたい。なので後日国土交通省利根川下流河川事務所に問い合わせしてみたいと思う。そう思いつつ今日はこの梯子を桟橋を使わせて頂く事とした。

  

今回の航海はのんびりと往復5km程度で、おおよそ3時間ほどボートに乗っていたが、エンジンの慣らし運転はたったの1時間程度しか出来なかった。何故かと言うと、自分も利根川に船を出すなんて今まで無かったから知らなかったのだが、この3月の時期は、長さ日本第2位の大河、「坂東太郎」と呼ばれる利根川の中下流域ですら、水量が極めて少なくて今回航行中何度も船底を擦ってしまったからだ。

私は、利根川クラスの大きな川って、人なんて頭までズッポリ潜ってしまうほど深いと勝手に思っていた。が今回行った付近は多分河川域の7割が水深50cm以下の浅瀬といった状態。鮎釣りでもしている様な上流ならともかく利根川の中下流域で、こんなに浅いなんて・・・。

話し戻すが、擦ったと言ってもその大半が岩ではなく砂だった。おかげでプロペラ周りを故障させたりする事は無かったものの、エンジンを動かせなくて、パドルで浅瀬からの脱出を図ったりして、もがいて、あげく座礁して、仕方なしにボートから降りて川に乗り出して写真の如くボートを水深の深い所まで引っ張って、そしてまた浅瀬にぶっつかって・・・の繰り返しであった。こんなコンディションだったので無理をしないで3時間で引き上げた。ボートをたたみ、車に積んでとりあえず公園まで戻って水場で小物洗ったりしている頃にはもう日が暮れていた。

しかし、川ってすごいって今回本当に思った。自分のHPにも香取浦の事とか書いているが、大きい川の運ぶ土砂の量は尋常ではないって事。私が今回ボート浮かべた利根川付近から銚子までは、千年昔位までは塩水が押し寄せる内海だった。それが川が運ぶ膨大な土砂で堆積していって、それ+人の新田開発の為の干拓なども手伝って、昔の日本を知らない人はとてもびっくりするほど、地形を変えてきた。

それほどの土砂が川に毎日の様に積もる訳だから、江戸時代や明治時代、利根川水運盛りの頃には川底が浅くならない様に浚渫(しゅんせつ)したりもかなりやったのだろう。その苦労はいかばかりだろうか。

私の住んでいる千葉県には江戸時代の河川交通に関する史跡や関連の物が沢山ある。こと今回の野田市に関して言えば、世界に誇る野田の醤油のルーツには利根川の開発が密接に関係している。今この記事を書きながら、そういう歴史のロマンスを改めて感じている私でした。

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