なんと!免許不要、しかも20万円以下のお金で4人乗りの船外機付のお船が買えのですョ~。

スクーター、パソコンと同金額程度で、規制緩和のおかげで免許無くとも、船外機付のお船のオーナになる事が出来た。その航海記。

那珂川3日目那須烏山編

2012-02-24 19:32:21 | 那珂川

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日記ネタが溜り半年以上前の事ですが、書きます。前回の「憧れの那珂川へ初航海 道の駅 かつら」の続き、「那珂川3日目那須烏山編」の開始です。7月上旬「かつら」を夕方に出た私は、激流清流を求め、上流に移動。行けるだけ行こうとしてのですが那須烏山市に到着した頃は、もう19時でねぐら探しをしないといけません。でこの辺の温泉をと考え、ここの町が割と大きな町だったので、無線LANのFONのWIFIサービスが使えるかなーと考え、アクセスポイントを探してたら、簡単に見つけれました。コンビニの駐車場で電波とれたので大助かり。結果温泉は見つかったのですが10キロ先と、時間が20時近かったので、今日は那珂川の土手にテント張ろうと思いました。

しかしこの時トラブル。河川敷土手の路肩に脱輪し、1人では復旧出来ません。仕方ないので今は病気休会中であるJAFに電話したら、休会中なので当然ビジター扱いで、1Mロープで車引っ張るのも1万円、と言われました。「えええ、昔ならもっと安くなかった?JAFさん。」って思い、それならば次の日の朝、誰か1人さえいれば上がるのだから、助けてくれる近所の人見つけようと思い、まずテント設営に入りました。したら、それ目に留まった車の方から、「公園近いからそこに張れば?」と声かけてきた方居ました。が丁重に「ここが良いのです。」と返事。というのは公園ですと市内の警官が来ると高確率で「ここテント張らないで」とか言うから(特に首都圏の場合乞食対策)。でも河川敷ですと管轄が国土交通省なのであまり警察は苦情ない限り言ってきません。でこの時、私の車が脱輪しているのをこの人たちがすぐ気が付きます。それで牽引開始してくれました。これ本当に感謝。やはり都心と違い互助精神が厚いな~と感激。 でもね都会は冷たいといわれるのは、東京の浅草のそばで生まれ育った私には結構耐えられない話なんですよ。だって東京の生まれ育ちの人って実は長年上京者を受け入れて来て、こちらでの生活習慣教えたり世話したりのお節介焼き多いんです。なのに都会人は冷たいといわれる都会人というのは、実は上京者の事。東京人の半数以上は上京者。マンションの隣同士挨拶も無し、とか都市部に良くある光景ですが、その両家の出身は?と聞くと多くの場合23区育ちじゃないというオチ。

話脱線しました。で車復旧し、テントにもぐりました。したら5時前だというのに、近所の老人の方々が続々とお散歩なさっています。これは予想外ですっかり目さましてしまいました。(烏山はともかく、うちのご近所にも特老があって朝になる前からガザゴソやってます。もう少し近所の事考えましょう。)で向かえた朝、ここからやっとボートのお話になります。6時までうつろうつろしてて、それ位からテントたたんでボート組み立て開始しました。とりあえず車は今日1日はじゃなにならないであろう河川敷のひきこみの空き地に駐車し、そのそばの船溜まりみたいな所にボート下ろしました左の画像は地図で赤線が折り返すとこら辺の橋です。が見て取れます。   

左は上の地図の赤線折り返しの所の橋辺り。鮎釣りの方が見える。右は今回の旅の全行程。地図の川の部分全部がそう。

 

烏山駅付近から上流に向け一旦上り、その後下る事約8キロ位の所に上陸出来そうな船着き場的な物を発見(左)。ここまでは3級の瀬も少しはあったが、ほとんどは鮎釣りの方がいらっしゃいましたので、私は船を下りてひもで牽引(ポーテージ)しなるべく邪魔にならないように下りました。で上陸出来そうなところまで来たのですが、そこから見える建物でトイレと食事できれば、と思い坂を上がっていくと「ここは私有地」の看板。こちらはそこの客のつもりで坂を上がるが、なんとその店どうも見た目休業中。なので仕方なく私有地を通り通りに出て対面にある店を目指す。「川の道」と書いてあった。(右の写真)しかしここも人はいるがお休みとの事。私は予め地図見て、この辺で食事と思っていたのだが2件とも駄目というのはダメージ大きかった。この時私の保有していた非常用食料は川という事でわずかだった。そうしていたら川の道の人が食堂の人呼んでくれて、お湯も沸いてないであろうに、「良いよ~作るから食べて行って~」と何ともありがたい言葉をおっしゃる。本当に地方の方は心豊かだと思う。生活は都会よりも不便なのは誰が見ても間違いないが、その代わり都会人が失ったものや、都会は水も空気も汚く汚染されて、逆に地方はそういうものにあまりさらされてない事をどうか、大切にして下さい。都会は自分の事ばかりの人であふれています・・・と今しみじみ想う私です。

でさらに下って、私は予め予定していたバス便で烏山駅に戻る為に、地図辺りの川堀という所で上陸した。ここまで2級の瀬はいくつかあって、しかも釣りの方も少なかったので、まあまあ楽しみました。でも結局この日はポーテージの延べ時間だけでも30分は船牽引して、本当に疲れました。まあそれも良い運動でした。で瀬は水が飛び跳ね、しかもものすごい揺れますから今回はその辺が未熟で画像取る事は出来ませんでした。

しかしここも上陸したはいいが、私有地の看板が!私は悩みましたが、すぐ気を取り直し、その家の方を訪ね、事情を説明し私有道を通らせて頂きました。で船も河川敷においてまずは「川堀」バス停でバスを待ちます。大体1時に1本程度と記憶しています。で烏山駅そば河川敷に戻り、車回収後、今度はボート回収に行った訳です。こでにて今回のボート航行はお終い。さようなら烏山。また来ます、と私は茂木方面を経由し土浦から千葉に帰還した。 ◎「もくじ」へ戻る。

 


憧れの那珂川へ初航海 道の駅 かつら

2011-07-14 21:23:42 | 那珂川

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前回千葉港行きが3月の終わりで、そこから船に乗れない日が長く続きました。しかしようやく7月に入って時間も出来きました。なので今回は思い切って2泊3日で関東の四万十川と言われる栃木、茨城を流れる那珂川に行く事にしたのです。

 

そこでまずは下調べ。色々人の体験談ブログ見たり地図調べていると、なにやら拠点にするにはとてもよさゲな、那珂川ぞいにたたずむ「道の駅かつら」というのがある事を知りました。

とはいってもここから船を出せるのか確証がネットからでは見つからないままでしたが、この辺の川は東京近郊と違い、規制も無く車で川原まで入れる所多そうだったので「行けばここはダメだとしても、幾らでも船出せる所見つかるサ」位の気持ちでエイヤッと自宅を後にしました。

自宅出るのが手間取って13時過ぎに出発。でも高速道路のアクセスが我が家からは良い今回の那珂川。約100キロ近い距離がありましたが、現地に15時には到着出来ました。

 道の駅かつら入口

 かつらの内部。奥に那珂川が写っている。

 かつらの建物。

 

 うろうろと探して船を下ろせそうな場所発見。15:15位から船の組み立てに入る。と物凄い豪雨に見舞われる。しかし三十分ほどで雨はやんだ。(おかげなのか、この日の航海では鮎釣りの人が誰も居なかった。)

 実際に船を下ろした所。川岸に小さく私のゼファー号が写っています。

 1時間後の16時ちょいから出艇しエンジン慣らし運転の最終局面に入る。写真は道の駅そばの那珂川大橋。しかし橋より上流は浅瀬が多く、慣らし運転には不向きと判断し下流へ向かう。瀬はこの辺にはほとんどありませんでした。水はそんなにキレイって思えるほどではありませんでした。まあそれでも家族とかで川辺遊びするには、ここは便利だし、さほどの危険も無く良いかもしれません。

 道の駅から1キロほど下流には、どでかい堰が船道をふさいでいた。写真はその堰の魚道。見た感じ下れそうだったが、下見不十分だったしエンジンを載せている状態では危険と判断しここから下流には行かなかった。

・・・と、ここでトラブル!!いきなりエンジンが止まった。というか止まったエンジンを再始動させようとスターターの紐を引っ張ろうとすれども、紐がピクリとも引けないではないか・・・なんで?どうして?カバーをとりあえず開けて見てみたが、原因がつかめない。私昔はスクーターのエンジンのバラシ程度ならほんの少しはやってたから、何とか自力でやりたかったけど、工具もなけりゃ、ここは川の上。不安定この上なし。なのでオールで川上に向かってこぎ始め、気分はブルーのまま撤収にかかりました。

 道の駅付近に帰って来た時は、18時過ぎていましたが、さすがこの時期の日は長い。でこの辺には、超簡易スロープみたいな所もあってボートの出艇が少しはしやすそうな所を帰り際に発見した。

そしてアンカーを下して、エンジンの復旧作業に取り掛かる。のコッタピン外して、プロペラ(スクリュー)をはずそうとするも、これも通常なら外れるのに、今回は何故か外れない。ああーーどーすりゃええんじゃーーーーー。状態となってしまいました。そして迫る暗闇。もう明日以降のエンジン積んでの航行はあきらめました。ということでエンジン外して、車の中に寝床を作ってこの日は終了~~~。

そして翌日・・・。

まず私がしたのはエンジンの説明書に書いてあるスズキの問い合わせ先に電話し、エンジントラブルの意見を聞こうとした事です。

ハー、しかしスズキさんにはガッカリしました。お客様センターに電話するも、技術的な話がわかる人間は、その番号かけても居ません。メカに弱そうな女性しか電話には出てこず、しかもマニュアル的な態度。判りません知りませんの返事ばかり・・・・呆れました。

しかたないので、これまた説明書に書いてあるスズキマリンに電話しました。しかしこれまた技術的な話出来る人間が皆外出中との事。

なんじゃ、この会社は・・・。エンジンの修理とかスズキマリンとかでしてないの?してるならメカニックマンとか居るだろうが?ちなみに私の個人WEBサイト見てくれている人なら知っているかもしれないが、私が今乗っているバイクもスズキ製なんだよね。こんな態度なら今後バイクも船外機ももう買わないよ。プンプン!!って感じで気がついた時はお昼近くまでなっていました。

仕方ないので、気を取り直して2日目はオールで漕ぎまくる事にしました。私の気持ちの落ち込みとは間逆の快晴ですからね。ということで昼から漕ぎ出すのですが、この日の気温も地獄の釜みたいな感じで、TVによるとあちこちで35度とか6度とか・・・。

アタマはくらくらです。川にいるのに、ちっとも涼しい風吹きません。

なので仕方なく橋の影に避難しました。したら・・・

「おーーーさすがに影の所は涼しいじゃあーりませんか~~~」です。

 ということで、影の所で少しぼーーーっとしていました。

 

そしてこの日は橋から上流部に向けて漕ぎました。

ちなみにこの日は、鮎釣りの方も付近に3名ほど居ましたね。なので釣りの邪魔にならないようにポーテージしたりもしましたね。ちなみにポーテージとはカヤック用語で、船を水から上けてかついだり、ロープで牽引して歩いて通行不能な場所を越えることです。これ結構体力使うんですよ。だいたい上流に流れに逆らって漕ぐだけでも疲れるのに、それ+ですからとても良い運動になったと思いますw

そんなこんなでこの日は15時位まで3時間ほど漕いで、もう疲れ果てて陸に上がったカッパになりました。で1時間寝て休息しました。その後私はボートをたたみ、夕方になってこの川の上流部に向けて車で移動することにしました。波が砕け岩肌を洗う激流?を求めてです。

続きは那珂川3日目那須烏山編をどうぞ。

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