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日記ネタが溜り半年以上前の事ですが、書きます。前回の「憧れの那珂川へ初航海 道の駅 かつら」の続き、「那珂川3日目那須烏山編」の開始です。7月上旬「かつら」を夕方に出た私は、激流清流を求め、上流に移動。行けるだけ行こうとしてのですが那須烏山市に到着した頃は、もう19時でねぐら探しをしないといけません。でこの辺の温泉をと考え、ここの町が割と大きな町だったので、無線LANのFONのWIFIサービスが使えるかなーと考え、アクセスポイントを探してたら、簡単に見つけれました。コンビニの駐車場で電波とれたので大助かり。結果温泉は見つかったのですが10キロ先と、時間が20時近かったので、今日は那珂川の土手にテント張ろうと思いました。
しかしこの時トラブル。河川敷土手の路肩に脱輪し、1人では復旧出来ません。仕方ないので今は病気休会中であるJAFに電話したら、休会中なので当然ビジター扱いで、1Mロープで車引っ張るのも1万円、と言われました。「えええ、昔ならもっと安くなかった?JAFさん。」って思い、それならば次の日の朝、誰か1人さえいれば上がるのだから、助けてくれる近所の人見つけようと思い、まずテント設営に入りました。したら、それ目に留まった車の方から、「公園近いからそこに張れば?」と声かけてきた方居ました。が丁重に「ここが良いのです。」と返事。というのは公園ですと市内の警官が来ると高確率で「ここテント張らないで」とか言うから(特に首都圏の場合乞食対策)。でも河川敷ですと管轄が国土交通省なのであまり警察は苦情ない限り言ってきません。でこの時、私の車が脱輪しているのをこの人たちがすぐ気が付きます。それで牽引開始してくれました。これ本当に感謝。やはり都心と違い互助精神が厚いな~と感激。 でもね都会は冷たいといわれるのは、東京の浅草のそばで生まれ育った私には結構耐えられない話なんですよ。だって東京の生まれ育ちの人って実は長年上京者を受け入れて来て、こちらでの生活習慣教えたり世話したりのお節介焼き多いんです。なのに都会人は冷たいといわれる都会人というのは、実は上京者の事。東京人の半数以上は上京者。マンションの隣同士挨拶も無し、とか都市部に良くある光景ですが、その両家の出身は?と聞くと多くの場合23区育ちじゃないというオチ。
話脱線しました。で車復旧し、テントにもぐりました。したら5時前だというのに、近所の老人の方々が続々とお散歩なさっています。これは予想外ですっかり目さましてしまいました。(烏山はともかく、うちのご近所にも特老があって朝になる前からガザゴソやってます。もう少し近所の事考えましょう。)で向かえた朝、ここからやっとボートのお話になります。6時までうつろうつろしてて、それ位からテントたたんでボート組み立て開始しました。とりあえず車は今日1日はじゃなにならないであろう河川敷のひきこみの空き地に駐車し、そのそばの船溜まりみたいな所にボート下ろしました左の画像は地図で赤線が折り返すとこら辺の橋です。が見て取れます。
左は上の地図の赤線折り返しの所の橋辺り。鮎釣りの方が見える。右は今回の旅の全行程。地図の川の部分全部がそう。
烏山駅付近から上流に向け一旦上り、その後下る事約8キロ位の所に上陸出来そうな船着き場的な物を発見(左)。ここまでは3級の瀬も少しはあったが、ほとんどは鮎釣りの方がいらっしゃいましたので、私は船を下りてひもで牽引(ポーテージ)しなるべく邪魔にならないように下りました。で上陸出来そうなところまで来たのですが、そこから見える建物でトイレと食事できれば、と思い坂を上がっていくと「ここは私有地」の看板。こちらはそこの客のつもりで坂を上がるが、なんとその店どうも見た目休業中。なので仕方なく私有地を通り通りに出て対面にある店を目指す。「川の道」と書いてあった。(右の写真)しかしここも人はいるがお休みとの事。私は予め地図見て、この辺で食事と思っていたのだが2件とも駄目というのはダメージ大きかった。この時私の保有していた非常用食料は川という事でわずかだった。そうしていたら川の道の人が食堂の人呼んでくれて、お湯も沸いてないであろうに、「良いよ~作るから食べて行って~」と何ともありがたい言葉をおっしゃる。本当に地方の方は心豊かだと思う。生活は都会よりも不便なのは誰が見ても間違いないが、その代わり都会人が失ったものや、都会は水も空気も汚く汚染されて、逆に地方はそういうものにあまりさらされてない事をどうか、大切にして下さい。都会は自分の事ばかりの人であふれています・・・と今しみじみ想う私です。
でさらに下って、私は予め予定していたバス便で烏山駅に戻る為に、地図辺りの川堀という所で上陸した。ここまで2級の瀬はいくつかあって、しかも釣りの方も少なかったので、まあまあ楽しみました。でも結局この日はポーテージの延べ時間だけでも30分は船牽引して、本当に疲れました。まあそれも良い運動でした。で瀬は水が飛び跳ね、しかもものすごい揺れますから今回はその辺が未熟で画像取る事は出来ませんでした。
しかしここも上陸したはいいが、私有地の看板が!私は悩みましたが、すぐ気を取り直し、その家の方を訪ね、事情を説明し私有道を通らせて頂きました。で船も河川敷においてまずは「川堀」バス停でバスを待ちます。大体1時に1本程度と記憶しています。で烏山駅そば河川敷に戻り、車回収後、今度はボート回収に行った訳です。こでにて今回のボート航行はお終い。さようなら烏山。また来ます、と私は茂木方面を経由し土浦から千葉に帰還した。 ◎「もくじ」へ戻る。