なんと!免許不要、しかも20万円以下のお金で4人乗りの船外機付のお船が買えのですョ~。

スクーター、パソコンと同金額程度で、規制緩和のおかげで免許無くとも、船外機付のお船のオーナになる事が出来た。その航海記。

利根川下り。銚子行失敗のリベンジのつもりが・・・。

2012-07-31 00:57:16 | 利根川下流域

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7月22日に利根川下り銚子行をあと40㎞という所で断念し、香取市佐原までしか行けなかった私は、その後エンジンを隣の市の整備工場に出したりして、銚子行は修理待ちだな、と思っていたのだが、それから直ぐに佐原に忘れ物して河川敷に置きっぱなしにしてある鉄製の鎖20Mの事を思い出した。価格3千円位だっただろうか、もう誰かに取られたか、あるのを前提に銚子行のリベンジを兼ねて60㎞離れている佐原に行くか考えてみた。しかしやはりエンジン無しで流れが厳しいことで有名な利根川河口を航行するのは、航路によっては多分自殺行為に近いだろう。

そこで鎖を拾いに行く事は行きたいが、場所を銚子リベンジから、霞ヶ浦周辺の水郷地帯散策に切り替えた。ここらはバス釣人やカヤッカーのブログではかなり有名地帯。なんせ水郷だ。船の話には欠かない場所柄です。という事で前回の航海から1週間後再度佐原の街に向かった。この日は出るのが遅くて、佐原に到着して直ぐにボートを下して、くだんの鎖を探す。1分ウロウロして「ああ、やはりないかな?」と思った瞬間ありがたい事に鎖発見。その後は日が暮れるまでリハビリ運動としてのパドリングで佐原周辺の利根川を行ったり来たりしてその日の航海を終えた。夜になるまで川岸そばでボートに乗っていて夜景撮影を狙っていたが、それにしても人口灯の少ない河川とかは怖いものがある。幽霊とかじゃなくて、こんな中航行したらまずいな、危険だなという怖さである。

 

ボートは川の護岸にボート係留し終えて、食事に真っ暗になった夜のとばりの街に繰り出す。と言っても前回美味しかったワカサギにしても、前回財布と相談して断念したウナギにしてももう夜なので、やっている所が少ない。それに非常食や飲料水の買い込みがあったのでコンビニに行く。

一通り買い物を済ませ、次に探したのが車内に持って来たノートパソコンでWIFIにより無料でネットがしたかったので、私が登録しているFONのアクセスポイントを探した。大まかな位置は分かっていたのだが、より良い受信場所をフォックスハントさながらに探し10分程で中々良い場所を見つけた。明日の本格航海を前に最後のネットによるデータ収集後、私は日頃行っているゲームをしばらくしていたw前回の航海時には航海後も合わせ5日間ゲームはしなかったのだが、今回はしてみたくなったのだった

でゲームしすぎで明日やばいってので急ぎ撤収。それで前回寒さに震えた教訓から今回はテントをきちんとは張らなかったが、それでもテントをチャルト的な使い方をしてボートをベッド代わり、テントは屋根替わりにしてそこにもぐり虫も来ない快適な環境で安心して眠った。時間はもう午前2時になっていた。そして7時半起床する。目覚まし時計は10時にSETしていたというのに、私は相変わらず旅行等の時は寝不足でも体が勝手に起きてしまう。リゾート系長期滞在型ならともかく、この手の行きたい場所と時間の兼ね合いをしなければならない場合、どうしても寝るのがもったいないみたいな所がある。それは置いておくが8時にはもう出航していた。

そして今回の航海だが、地図を見てほしいが、まず出航地佐原から利根川をさかのぼり、船遊びする人間には有名な閘門を自分の手操作し水位を調整し、作業完了後門を開けて(操作と言っても1回スイッチ入れるだけで全自動)横利根川に侵入し、これもさかのぼり常陸利根川に入る。そこをまたさかのぼると、ほどなく日本第二番目に大きな湖沼である霞ヶ浦に入る。それを見終わったら霞ヶ浦から常陸利根川を下り、佐原と共に水郷で有名な潮来の街に行き、そこで船を係留。そしてボートに積んでいた組み立て式自転車を陸揚げし、再び佐原まで今度は陸路自転車で車の位置まで帰り、今度は車でボートを取りに行くというものだ。

では以下それらの写真。

      

上の左から「横利根川水門。」、「水門の奥の閘門。」、「閘門内の操作盤。」、「水位を調整し同じ高さに水がたまると閘門が開く。」、「閘門通過中。」、「横利根川侵入」

しかしこの横利根川、ヘラの放流をしているとの事で、釣り客この日だけで100人位見た気がする。釣りは私もしてたんだけどボートしてて釣りしないのは地球に悪いから。鉛や何千年も下手すると1万年も自然分解しない釣り糸とか、ゴミとか平気で捨ててる人があまりにも釣り人には多い。こういう事書くと批判食らいそうだが、釣りしない人から見たらそれが実態なのだ。ボート乗るようになって、この事は本当に痛感するようになった。もっとゴミ持ち帰る。たばこのポイ捨てやめる。糸が切れたら、それもなるべく回収して川に残さない。そういう事出来ない人は釣りはすべきでは無い。

      

左上から「横利根川。ヘラブナ放流を逃がさない為の網がある。管理者に通行申し出ると、「どうぞ~」って返事で無事通行。」、2枚目は「横利根川で軽めの朝食(バナナ)」、

左から3枚目は「地震の影響はこの辺ではかなりあった様子。家が全体的に傾いている。でも損壊はあまりしてないので仮に地震保険入っていても金出るかどうか・・・」、「常陸利根川への水門」、「常陸利根川から霞ヶ浦入口をのぞむ。海の様なデカさだ。」、

5枚目、「船への警告「危険徐行」と書いてあるが、半数以上の船は多分全力に近い速度で航行している。その速度35ノットは楽に超えているってのも少なくない。船の中では30ノットは結構速い。時速換算で65㎞だが、海上自衛隊の大型護衛艦の最高速度が35ノットとか。それに船は急には止まれないから高速は危険。」、

6枚目、「約5時間かけて到着した潮来の街。」

      

上左から、潮来の河川敷の公園。トイレや水飲み場完備でボート乗りには大助かり。

2枚目は「祇園祭りかだんじり祭りとかでおなじみの山車。佐原はからくり山車をだんじり祭りほどではないがグルグル回したりして有名だが、ここのはどうなんでしょうね?」

3枚目、「今回大活躍の折り畳みチャリ号」そして4枚目、「ボート乗り&自転車ロングラン人間には大助かりな歩行ナビ。」、5枚目、「常陸利根川から見た潮来の街。」、6枚目、「利根川の水門までやっと帰って来た。ここまで自転車で休憩込1時間チョイ(療養中なのでのんびり走っています。)」

そして最後に戻って来た、利根川の茨城県側から見た佐原の街の全景。

という事で、チャリで無事車の駐車場まで戻り、その後潮来まで移動しボートを回収。今回は係留地そばの公園で水分補給と、水洗いが出来たので非常に助かりました。そうして帰宅を開始した時はもう夜間近でした。ここから自宅まで約50㎞。睡眠不足ととてつもない疲労から睡魔も襲って来てきましたが、車内カラオケでアドレナリンを放出させそれを乗り切って無事帰ってきました。帰ってくると柏の街は祭りであちこち通行止め。しかし燃え尽きて白い灰(BY矢吹)になりかかりの私には、もう柏の祭りなど何の興味もありませんでした。で無事帰宅でお終い。

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H24年7月下旬利根川下流航海2

2012-07-25 15:44:53 | 利根川下流域

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H24年7月下旬利根川下流航海1続き。前回成田空港ほぼ真北の滑川簡易マリーナで1晩野宿したところまでが前回。で騒音に寒さで浅い睡眠しか出来なかったが、朝5時起きしてしまい6時前にはここを発った。

 本来1日目の目標は香取市佐原駅周辺だった。滑川からは約18㎞距離がある。しかし昨日書いた様に強烈な川を遡る波や風で、船足が時速7㎞~8㎞しか出ないのが痛く到着出来なかった。川下りの場合、速ければ12㎞以上出る事だってあるのに。

しかも本来私はリハビリを兼ねてる。パドルで水を掻いて舟を漕ぐ。これが運動となる。しかし今回はパドルで漕いでも風波に負けて漕げなかった。でも代わりに怖い三角波が続く今回の航海は、舵取りで常に力が入っていて、そういう意味では良い運動にはなった。その原因は舵とりバーが折れた事。兎角あと3日で銚子に行くには天候回復が前提で、急がなければいけない。よって佐原まで居眠りしそうなところ仮眠したいの我慢して先を目指した。

 3時間近く経過して佐原の港付近までやって来た。佐原の港とは江戸時代とかで言えば上記地図の水色のラインのが線路あたりから町中を通過する付近全体。あちこち高瀬舟(ここでは「さっさ船」というらしい)係留の河岸がある。今でいう港なら道の駅に付帯する施設、水の駅水の郷さわらの係留施設等だろう。ここまで来るのに長かったな~。で水の駅水の郷さわらの傍にゴムボートの醍醐味で以下の様に上陸するw

で佐原の写真の説明。下左1枚目は「道の駅水の郷さわら方面から見た利根川」。2枚目「道の駅さわら近くの小野川河口の水門。これさかのぼると地図の様に旧市街地。」3枚目「水門通過中」。4枚目「東日本大震災の爪痕がまだ残る佐原の町の風景。建物や護岸修復をしていた。この辺は震度5強だったが、軟弱地盤考えると6弱行った気がする。液状化もこの付近の市町村でもあったので、ここもあったと思われる。」

   

下。旧市街地中心部。街自体は京風というか小江戸って感じが売り。あとここは幕末チョイ前に伊能忠敬という中年の星的偉人さんが生まれた地で、NHK「4万歩の男」と言うドラマにもなりました。幕末シーボルト事件で国外持ち出しをされた地図作りに関わった人。当時測量技術が未熟なこの時期に、現代地図とほとんど変わらない精度のこの地図は国家最重要機密の部類に属した訳。で写真のそばに彼の生家があります。

船をこの辺まで進めてトラブル発生。水草が船のスクリューにからみ、スクリュー空転。エンジンが焼けないようにスクリューに異常圧力がかかると、安全装置が働らき空転するのだ。為に空回りし推進力を失った。なので写真はエンジンをこれから修理の為に取り外すため、上にあげている。

で自力修理を試みる。この手の事は割とあるとあることで、為に交換部品も携行してる。でスクリューを外したら・・・安全装置のシャーピンというピン状部品が変形しメインシャフトから抜けない。さあ困ったああああぁぁ~~。私はこの状態を1度経験済みで、その時は電動グラインダーでピン削って取り出したのだが、私はそんなの船に積んでい無い。しかたなく車整備工場、バイク屋等々を観光案内所の協力を得て調べて、駅前の板金屋さんに症状を伝え、少し渋りがちな声ではあったが、車関連工場でも十分手が打てることを伝えて、現地まで来てもらった。そしてすぐ板金屋さんは来てくれた。地獄に仏だ。とりあえずミノとハンマーでピン叩き抜こうとした。苦戦。こりゃアカンと思った私は、グラインダー研磨をお願いした。したらエンジンを車に積んで板金屋さんは「じゃ待ってて」と去って行った。待つ事15分程度で彼は帰って来た。そしてピンは抜けていた。ありがたや。で「有難う御座います。お代は?」と問うと「2千円です。」という。「え?出張料コミでそれは安良くて申し訳ないです。」というが板金屋さんは「大したことしてないから2千円で。」という。私はご厚意に甘えさせてもらった。

次は外したスクリューにシャーピン付け直して、取り付け作業を開始。その中を下の画像の様に観光船が行き来する。船頭さんとかお客さんとかにも励まされ、少し恥ずかしかったwしかし柳に和風建築物に和服の船頭さんとさっぱ船、情緒あります。

で、観光案内所で言われたのだが、ここは千葉県指定最重要保護生物の 『ナガバコウホネ 』が自生しているから、気をつけなきゃ駄目と言われちゃった。しょぼん・反省。ちなみにこの佐原市内地の小野川は、観光船が上記の通り行き交うので、カヌーの大群とかは面倒な事になる。大渋滞で。もしここ来る場合は短船にすべきだろう。もっとも観光船のピーク時には水門閉じてしまうそうな。

そうしている内にもう夕方近く。私のこのミニボート(11フィート以下)は、船検いらない代わりに、日没後の夜間航行が禁止なので、船とめる所探して利根川そばまで下った。この日も利根川本流の波と風は相変わらず。そして舵の故障・・・今日のトラブル。銚子までは今回やめておこうと決断した。

で探したのが地図の係留地。ここは運動公園の一部らしいので、私有地ではなさそう。なので一旦ここに船をつなぎ、船に鍵かけて一路JR佐原の駅を目指す。ちなみにこの周辺は水郷とあるだけあってウナギ料理屋が多い。で私も店に入ったのだが、昨今うなぎ不良で値段がウナギのメッカですら上丼で5千円とか!今回色々エンジン壊したりトラブルも多く、お金節約したかった私は、ウナギさんは次!と思い今回はぐっと我慢の子であった。昔なんか割烹で1万とかのウナギ食った事もあるのだが病気休業中の私は船のって外出するだけで既に贅沢。我慢。でも次は予算組んでリベンジ食いだ!wで今回はその代りワカサギの天ぷら定食を750円で頼んだ。いやーでもこれも美味い。てかこの店高いだけあってやはり揚げ方からコメの炊き方流石のプロでした。

話それたが佐原駅に行く為には1,8㎞。30KGの荷物持って歩くかタクシーか・・・したら道の駅にバスが来るというではないか?そこで運よく時間あまり待たないで駅まで行く市内循環観光バスに乗れた。これ週末のみらしく運が良かった。でJR佐原駅からJR成田駅経由、我孫子線に乗り換えて一路出港地で車泊めたJR木下駅をおり、約1キロ歩き車にたどり着いた。外は明るかったが19時過ぎてもう夜である。で木下を出て佐原に車で向かう。船を回収する為。で45分程度で到着。コンビニで夕食とって船の分解作業する。1時間ほどで作業終了。こうして佐原を21時には出たのだが、ちと鹿島に寄り道をしたので、鹿島たったのがもう翌日2時だった。襲ってクス眠気。こりゃ死ぬ。やばいと思い利根川河川敷に車を止め、今度は寒さに震える事無くグースカピー眠った。次の日の10時半まで寝てた。で佐原経由して千葉県北西部まで帰る訳だが、途中色んな川やボートショップを偵察しながら次の航海を頭に浮かべつつ、寄り道しながら帰ったので、この日帰りは夜近かった。そして車から荷物合計で50キロ以上もあるのを家に運び込み・・・はい、みなさんお分かりですね。私は疲れ切りました。で今回の旅を終しまい。

追伸・昨日エンジン修理の為に隣の市の船外機修理工場に持って行く。修理中はエンジン無しのただのパドル推進ボートとして重量は激減。渓流下りなどやるときは、ラフトと同じでパドル以外の装備品など付けないで川を下る。そうだ、そういう感じで来週また佐原行って気候次第風向き波次第だが、銚子行第2弾やりに行くかもしれない。とりあえずH24年7月下旬利根川下流航海2はお終い。

追伸・私は佐原は3回位遊びに来ている。これからはもっと来ることになるでしょう。その理由は日本第二位の大きさの湖沼である霞ヶ浦筆頭に、北浦・与田浦・外浪逆浦といった湖沼群をアマタの水路網と、いくつもの川が結び、その筆頭が利根川です。しかしこの利根川、元々は江戸湾に注いでいたのです。それを江戸時代に、当時太平洋に注いでいた鬼怒川と合流させ、今のルートに付け替えるという大工事があって、現在の利根川~江戸川ルートでの船便での輸送が激増し、それで元々武術道場などでの神棚で有名な「香取神宮」と「鹿島神宮」を周辺とした地域の内陸港として発展したのが佐原やイタコの~イー太郎~♪と歌われた潮来(イタコ)の町が出来たんです。そしてその関係で銚子と利根川沿いの野田は全国的な醤油の街となったのです。その辺少し私自分のHPで書いてますのでご参考に・・・昔利根川下流域は、とてつもなく大きな内海であった事を知らない人がかなりいますので・・・。

http://www.h6.dion.ne.jp/~awroom/Chiba/page003.html#sawara

佐原の街自体は京風というか小さな江戸で小江戸って感じが売りです。あとここは幕末チョイ前に伊能忠敬という中年の星的偉人さんが生まれた地でして、NHKで「4万歩の男」と言うドラマにもなりました。幕末のシーボルト事件で国外持ち出しをされた地図作りに関わった人です。当時測量技術が未熟なこの時期に、現代地図とほとんど変わらない精度のこの地図は国家最重要機密の部類に属した訳です。

 

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H24年7月下旬利根川下流航海1

2012-07-24 00:47:32 | 利根川下流域

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最後にボート乗ったのが昨年の3年も後半の11月13日。それから色々大事に巻き込まれ、冬自体はボート乗るのも寒いし、病状も冬は悪化気味だ。そんなこんなやってて、未だに未解決の大問題抱えながらも、久々にボートでロングランを計画した。

予定では約100㎞にも及ぶ坂東太郎こと、日本第2の大河利根川の下流域下りをやろうと思った。予定では我孫子市のゆうゆう公園から利根川を下り、要所要所でテントに泊まり、疲れ蓄積したらホテルか旅館に泊まり、最大で3泊4日かけて銚子から太平洋に出て日本のドーバーと言われる屏風ヶ浦と上手みたいな~でも波半端じゃなさそうだな~とか計画していた。

で、まず自宅出て45分程でゆうゆう公園に到着。

   

左から「ゆうゆう公園駐車場からトイレを見る」。2枚目「トイレと水飲み場と水道確認。」これ舟遊びには重要。3枚目「ゆうゆう公園地図」。とにかく広い。4枚目「駐車場から出航予定していた水上ステージまで、距離が300M以上あって荷物を車でそばに運べないのが辛い。」というのを地図に書いてみた。という事でここ却下。銚子方面に車進める。

   

下流へ車を進めていると、土手になんか良い感じの木下河岸と言う場所に駐車スペースとかあるので偵察開始。左から1枚目はその辺の地図。2枚目「木下河岸跡の看板」昔はかなり賑わっていたそうです。3枚目「木下河岸の周辺見渡すが、跡はその欠片すらもはやない。」強者どもが夢のあと状態。で4枚目「ついに車ですぐボートおろせそうな場所発見。」ただしここは軽量なカヤックか私の様なゴムボートならではの出航地たりうるだろう。でボート組み立て開始、今回は最大3泊の予定と荷物多かったので1時間半出航まで準備に要した。で出航は昼近くとなった。あらかじめ買っておいた昼食はボート上でなく、車の中で食べることになってしまった。で船出。

しかしこの日は、事前に週間天気予報見ていて安全と思っていたのだが、実際大違いの天気で気温が8月近くになる時期とは思えないほどの低さであった。豪雨とか暴風とかはないのだが、東の銚子方向からは3M~5M程度の風なのでこれは大した事はなかったのだが、太平洋が荒れているのだろうか?波が上流に向け押し寄せ、川の表面は三角波だらけであった。以下はその時の動画。(設定ミスで画像が荒くなってしまったが一応参考で張ります。)

 

2馬力船外機スズキDF2平成24年7月利根川下流下り.mp4

 

そんなかんなしながら航行中トラブル発生。舵を動かしスロットルを調整するバーがバキっと折れてしまった。下左一枚目はその部分を夜撮影したもの。2枚目「燃料補給の為、波が荒いので仕方なく砂地に上陸しおこなった。」3枚目。「遠目に何か変な物が見えるので接近したら牛だった!w」

  

と航海をしてても、波は相変わらず収まる気配がない。むしろ夕方にかけて酷くなる一方だった。水門奥の水路が見えたので、本日中に香取市の佐原まで行きたかったのだが断念。そこに避難して時間ももう夕方だったので、この日はこの水路で係留かな?と思って侵入したらプレジャーボートの簡易マリーナみたいなのがあった。とりあえずスロープにボートを引き上げて、隣の家が多分管理者?と思い1晩幾らかのお金払うので使わしてほしい旨を伝えに行く。すると夕食作っている主婦の方が出てきて、そこはうちのじゃないの。でも管理者紹介してあげるから1晩位お金平気よと言った感じで言われる。で管理者に電話してくれて、私が事情説明の為に電話お借りして管理者の方に上記の旨を伝えると、1晩ならそのまま使ってくれてOKと言ってくれた。で奥様に電話返すと、食事どうするの?と聞かれるのでコンビニに買に行くと伝えると、なんと奥様車で連れてってくれると言う。え???だって食事作ってるけど平気なんですか?しかも私船で波かぶりまくりで、濡れてますし、ドロ臭さも少しあるから、流石にそこまでご厚意には甘えるのは辞退した。しかし、このブログでも何度か書いているけど、人口少ない地域の方ってほんと、心に余裕あるとゆうか、互助的考えが凄いしっかりしているというか、困っている人にものすごい協力的なんですよね。この辺は首都30キロ圏の住人としては、すごい恥ずかしくなる。やはり人口多い所の人間は生活は便利だし、色々一見した娯楽等の楽しみも多いけど、反面ぎすぎすしている。

私は東京の浅草と上野と秋葉原の中間の中御徒町で生まれ育ったけど、もちろん都会の住人でも生まれ育ちの江戸っ子は情に厚いし、商売っ気も薄くて客から金多く取りたがらないから、あまり商売してても金持ち居ない。しかしこの辺は全国から人が上京してきて、上京したモン同氏は実にギスギスしている。都会もんが冷たいとかいうのは、都会の地元民が冷たいんじゃない。日本中から上京してきた者同士隣近所になって、挨拶もしないという地方の人のせいである。また悪さするのも9割が上京者でもある。で私も都内離れて今千葉に引っ越している訳だが、なんとなく地元の農家の方と新興住宅の住人には見えない壁があるし、そういう意味でのよそ者はやはり、今時を反映してか、マンションでも戸建でも、隣近所とは最低限の付き合いしかない人がほとんどだろう。そういう意味では、こうやって旅に出て、人情に触れると、東京で仕事してたりして自分もいつの間にかギスギスだらけだ、これはいけないと反省させられる。心にもっと他人への思いやりを持ちたいと思う。

  

話戻すが上左から「簡易マリーナみたいな係留所の地図」。2枚目は「簡易マリーナっぽい所のスロープからボート引き上げて、寝床作りする。(ボートをベッド代わりにするのだ)」。3枚目は「簡易マリーナっぽい所から利根川方面を見た所」。

でとりあえず奥様にはコンビニの位置だけ聞いて、あとは歩行兼用カーナビでコンビニに向かった。で翌日の食料等調達し、この日はボートで寝る事に。しかし・・・先ほども少し書いたがこの日の最低気温19度ってなんですか?ありったけの服を重ね着してポンチョをシュラフ替わりにしてくるまってボートを寝床に睡眠を試みる。そう私は、今回ボートへの荷造りの段階で夏だからテントのシュラフも要らない。簡易蚊帳と防虫スプレーあればボートで野宿し、雨が降れば民宿に泊まる気だった。しかしもう眠るのも寒いからと言って滑川という町には民宿なんて無いと言われ、成田空港関係のホテルに行くしかないと判明した時は、もうボートで寝るしかないと思った。で寒さに震えながら何とか寝る。・・・しかしここでもさらに眠りを妨害するのがあった。成田空港の飛行機である。日頃航空機ファンの自分としては「成田も24時間にしないと日本の航空行政お陀仏だぞ」なんて思っていたが、この滑川と言う場所、成田空港のほぼ真北でほぼ滑走路の延長上10キロといった感じである。そしてその距離の音が寝るにこんなにつらいとは空港そばに住んだことない私は知らなかった。今まで自衛隊の航空祭とかさんざん行ってたくせに・・・。

成田空港の運営は、現在23時まで飛行がある。上記ではないが、これじゃハブ空港競争に勝てないなんて言ってたけど、滑川あたりの人集団移転でもさせない限り無理だ。もちろん騒音対策費とかもらっているだろうけど、春や秋、網戸で窓開けてなんか寝れない。ハッキリ言って近くを通過している国道を通るトラックの爆音の3倍はきつい。これでは病気になる人が出ても何ら不思議ではないと思った。なんかある程度年齢行くと予測能力がそれなりに付くから、多分~だろうと決めつけしやすい所があるが、やはりそこで経験しないと分からない事ってまだまだ沢山あるのね。これは反省材料です。でそんなかんなで23時になり飛行機ももう来ない。あとは寒さとの戦い。もう冬眠のリスの様にくるまって眠りについた。太陽黒点数12年周期のピークみたいだけどさ。利根川下流でこの温度寒すぎ。東北の太平洋側は親潮異常南下で気温が下がるヤマセ現象があるけど、それなのかね?

H24年7月下旬利根川下流航海2に続く。

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