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大分ブログの更新が遅れてて、今回も去年のお盆前のお話です。父の三回忌が最近あってそれにも絡む内容なので、なんとかこの日記早々に仕上げようと思い今頃書いてます。
さて今回ですが、私の父が山形県の今の酒田市の生まれで、最上川そばで少年期まで過ごしているので、その生まれ故郷そぐそばを流れる「最上川」に行くことをお盆の少し前を狙い実行致しました。目的はせっかくボート所有しているのですから父の遺灰を是非川にほんの少しの遺灰ですが散骨しようと思ったからです。生前父は「俺が死んだら日本海に灰をまいてくれ。」と冗談めかしに健康な頃たまに言っておりましたので、私はそれを実行する事にしたのです。最上川は日本海にそそぎます。
私は7月下旬千葉県を出て、常磐道を北上し、とりあえずいわき市の手前でおりました。何故かと言うといわき市の復興の様子を少しでも見ておきたいと思ったからです。で一般道で市内を走りますが、状況は私の想像をはるかに超えて酷かったです。道路のあちこちが陥没が激しくて、舗装修復は完了こそしてても、道路自体はまるで山道のように上下激しくうねっておりました。ここで何か私にできることは、と考えまして、今回私が実行したのはこの地にて少々高額な品物を、特に絶対必要な訳でもないのですがあえて買う事にしました。頑張れ東北。
そうして市内の様子を目にした後ですが、今までならそのまま、いわき市北上する手もあったのですが、そこには皆様ご存じの福島第一原発が国道6号線を見事に寸断しております。ですから磐越道かその下道を行き郡山を目指すことになります。夜車が少ない時間だったので磐越道には乗らず、この日は出発が遅かった事もあり国道49号線を走り、とりあえずどこか温泉にでも泊まろう(本当はいわき湯本に泊まってあげたかったが少しでも山形県に向かいたかった。)と走っておりますと泊まれそうな温泉宿がカーナビ見てもいわき湯本周辺以外だとあまり検索に出てこなくて、時間だけは経過していく。そんな中「道の駅ひらた」の看板が見えたので休憩と思い立ち寄りました。そうしたら、ここ仮眠コーナーというには少しキツイものがありますが、カーペットが引いてある畳6畳程度の休息所があったので、そこで寝袋に包まって寝る事にしました。先客にはお二人ほどバイク乗りの方がもう寝ていらっしゃいました。私は耳栓をしてこの日はここで眠りました。
翌日はひらたを出て東北道を北上し凄い集中豪雨の中郡山市を通過、ここで高速に乗り50キロほど行くと福島市。そこから国号13号に入って上杉家と牛肉とかで有名な米沢市まで行きます。ここは私の大好きな戦国武将伊達政宗の生まれ育ちの地なんです。そして私は正宗が欧州平定の為に南進したコースを逆に北上してきたという訳です。ここまで来て山形県です。しかし私の目的地の山形県酒田市は、山形の中でも米沢市から見て再北西にあたる遠所です。先はまだ長いのです。ということで米沢を少し北上すると最上川の上流部をたどるコースになります。そのまま行き県庁所在地の山形市を通過。私の目的地は酒田市から最上川をさかのぼる事約40キロ強辺りに最上峡という渓谷で有名な観光地があるのですが、そこを目指しました。新庄市を迂回する感じで川になるべく沿った道を進みます。程よく良い感じの渓谷になってきそうだったので、ボートを出向させる場所をとにかく探しました。その第一候補になったのが「道の駅とざわ」でした。時刻はもう夕方に入りかけなのでとにかく場所探しを急ぎました。
「道の駅とざわ」・・・私は道の駅で、この手のタイプは初めて見ました。まるで万博の韓国館かソウル近郊の民俗村みたいな作りの道の駅・・・わが父の故郷酒田に行く時に良く通った場所。そういう思い出の地なのですが、訪ねなくなって何年も経過しているうちに、とても山形県思えない建物が建っていてびっくりしました。左から3番目には、多分この施設に携わったであろう在日コリアンの方でしょうかね?韓国風のクリスチャンらしきお墓も建っていました。ちなみに私は父と共に仕事で韓国に渡る事50回以上、韓国の良いも悪いも色々と所も知っています。だからちょいと不思議な心境でした。これも地方疲弊がなせる苦肉の挽回策なのか(韓流好きそうな女性客さん数名ですが、多分これ目的って感じの方も見かけました。黒字ならこういうのも活性化の為に悪くはないと思いますけど・・・)、それとも中国人が日本のあちこちを買いまくっている報道がされていますが、ここもそんな感じなのか、と・・・。まあこっち関連はこれ位にして本題へ。
でこの施設の道を挟んだ対面が最上川です。写真の一番右。でも距離結構あるんです。しかも国道びゅんびゅん80キロとか当たり前に車飛ばしている所を道具持って横断歩道も信号もない所を横断して、草ぼうぼうの土手で組み立てて・・・って、これは断念しました。なので移動。車をさらに父の故郷方面に進める事約2キロ。ここにも観光施設がありました。それが今回すごくお世話になることになった「最上峡芭蕉ライン観光株式会社」さんです。私が車走らせていると、この会社が運営する舟下りの乗船所である「戸沢藩船番所」というのが見えてきました。今度は山形にふさわしい立派な和風建築遺物でした。 http://www.blf.co.jp/index.htm
もう時刻は17時近くて、閉店の準備を確かしていた所だったと思いましたが、中を少し見させて頂き、桟橋もあるのを見て「私はここだ!!ここから船出せないか!!」と思い、まずはこの会社の方に父の散骨の事情を説明させて頂き、明日ここのそばからでよいから船をだすのの許可を頂けませんか?使用料もお支払いしますとこの会社の企画を担当されている芳賀さんにお願いしてみました。芳賀さんはほぼ二つ返事でこの件を承知して下さいました。しかも無料で。(この後専務さんだったと思いますが、その旨の確認までして頂きました。)さらにテントを敷地内に張らせて頂く事、車を翌々日までおかせて頂く事、水道を使わせて頂く事も快諾して下さいました。
私はこの件、書いている今も少し迷っています。具体名出すと先方さんに、ご迷惑かける気もします。勘違いした人が我も我もとテント張り出してもこれも駄目でしょうし、カヤックやウォーターバイク乗りの人が我も我もと無断で押し寄せても先方は大迷惑でしょう。今回ここの方々が承諾して頂いたのは、事前説明をし、私の父の散骨という特殊な事情を察してくれたのだとおもっていますけど、書くとまねて色んな事やる人が出てきそうなのが怖いです。このブログ見たからと言って、先方の業務に差障るような事は、決してなさらないで下さい。お願い致します。
とにもかくにもこの日記書き終えたら、電話いれてみて名前出す事を事後承諾になっちゃいますが、確認してみたいと思います。(※UP後メール出して電話しました。何かあれば連絡下さるとの事です。→翌日メールで丁重な返答頂きブログ掲載のOKもらいました。)
それからこの日はこの後、いきいきランドほんぽ館という近くの日帰り温泉施設に行きました。http://ponpokan.com/ponpokan/index.html
ここで風呂と食事をするためです。しかし、時間がレストランの営業時間をわずかにオーバーしていて、レストランしまっていました。でもここでもまた私は那珂川に続き地方の方の人情に触れることになります。スタッフの方が「今日は宴会あるから、少し時間くれれば作ってあげても良いよ。」と言ってくれたのです。忙しいのに、こんなに親切にしてくれるとは・・・本当に父の故郷山形に来て良かった。と父に語りかけました。ここでおかげさまで風呂と食事をし、帰り道コンビニで翌日の飲料水食料を買い込み、この施設の外れに車を置き、テントを張りました。そして寝る前にボートの組み立てをしておきました。
朝、いよいよ出発の為色々荷物の積み込み等終えて、芳賀さんにお礼をしにいきました。そうしたら芳賀さんの腕にいっぱいの花束が!!そして私に、どうぞ、と言って渡すのです。朝早くの時間です。時間的にお店とかやってないでしょうし、農家さんの作っているものにしても、きちんと束ねてくれているし・・・今考えてみるとどうやってこの花用意してくれたのか分りませんけど、本当に感謝感謝でした。心の中で「お父さんの故郷の近くの人ってなんで見も知らぬ人にまでこんなに暖かいの?」って内心泣いてました。私の住む近所では、日常的に孤独死も多く、近所付き合いも薄く、都市環境は便利だけど、人間性のゆとりは、ここの人たちより数段劣っていると思いました。そして改めてこの山形の北部域は私の第二の故郷だなーと思う次第です。そうして私はただでさえ1番船出向前で忙しい多くのスタッフの見送りと手助けをうけ、ボートを出向させました。
さて。ここで最上川の紹介。日本三大急流と言われる川の1つで、山形県内に発し、山形県内のみ通過して山形の海にそそぐ大河としては珍しい川でもあります。この最上川。江戸の俳人松尾芭蕉でもい有名ですが、私が彼の句で一位二位をあらそう好きな句も最上川関連が1つあります。それをここに書きます。
「五月雨をあつめて早し最上川」
でもう1つ好きなのが最上川からさほど遠くない所にある月山を書いた句。
「雲の峰いくつ崩れて月の山」
この2つが私の芭蕉の句のNO1とNO2なんですが、これ2つとも舞台は山形県です。でもこれ贔屓でもなんでもなくて、本当に偶然好きな句が2つとも山形北部を舞台にした句なんですよ。偶然じゃない、なにか父から渡された遺伝子の影響なのか、私は山形が好きでたまりません。私の病気が温度の低下に非常に影響されることさえなければ、今の家売って移住したい位です。それに私は独身ですが、父から嫁は山形人えらべ、なんていわれてましたが、実際女でも男でも雪深き所の情の厚さっての感じますよ。山形北部の方って正直商売っ気あまり大阪や東京よりないです。そういう意味では少し不器用です。でもそのかわりに、凄い人情味厚いんですよ。そういう山形の女性の嫁っ子さ来れば最高ですね。(山形懐かしかったので、元会社の同僚で天童に帰ったと聞いていた女性に連絡したんですけど、会えませんでした(悲))
ってえらい話ずれて申し訳ないです。本題のボートの話に戻します。
上の写真を左から解説。前日福島で遭遇した集中豪雨は最上川上流部にも降っていて、1日で船着き場水位2MだかUPしたとの事、でも珍しい事ではないそうです。むしろ船船頭さんのお話では、水位上がった分危険度も下がり楽に航行できるだろうとの事でした。で私は当日エンジン搭載して航行に臨んだのですが、エンジンがトラブルですぐいうこと聞かなくなりました。ちとあせったのですが、水量が多く、暗礁にぶつかる危険も少なかったのでパドリングにも力が入り、川の流れが速くて下流に行くまでは多分6ノット以上(時速11キロ以上)出てた気がします。ただスタッフの方が言っておりましたが、やはり岩場あっての渓流ですし、水も濁ってて残念との事でした。
2、3枚目は下船場との間にある休憩所。ここで私は名物だだちゃ豆アイスを食べました。おいしかったです~。そして4枚目が舟下りの下船場で、5,6,7枚目が下船場より少し下流にある堰の写真。船専用ゲートがありますので安心。ここ最上川のライン下り、本当にお勧めですよ。山形観光来られる方是非1度は体験してみて下さい。(舟下り自体も、昔に比べ危険個所の暗礁の爆破とかでかなり安全に航行出来る様になっています。でもこの最上峡の美しさは数百年前と大差無く我々をむかえてくれる事でしょう。)
「父の故郷、山形県の最上川に遺灰をまく2」に続く。
最上川お盆前1
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