なんと!免許不要、しかも20万円以下のお金で4人乗りの船外機付のお船が買えのですョ~。

スクーター、パソコンと同金額程度で、規制緩和のおかげで免許無くとも、船外機付のお船のオーナになる事が出来た。その航海記。

千葉県野田市関宿城周辺

2012-02-28 20:40:22 | 千葉県野田市

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前の週に福島県磐梯山北の檜原湖から帰宅し、翌週は父の墓を野田市に作っあるので、その墓参りの後で近場の利根川にボートを出そうと考えた。という事で今回は野田。しかし野田と言っても広いので、今回のターゲットは利根川と江戸川の分岐点そばとした。ここまでは家から約1時間の距離で、しかも事前調査だとこの付近の江戸川の堰はカヤック乗りに人気らしい。選んだ理由はそれもあるが、その他の理由として、関宿城という名の博物館(地図の関宿三軒家↑の家みたいなマークがそれ)や、そのそばに道の駅があり補給、休憩、駐車等楽そうだったからだ。そいうことで現地に行き偵察開始。しかしなかなか良いボートを下す場所が見つからない。しかしなんとか出せそうなところが見つかる。まずは地図左の江戸川からの引き込み水路。しかしここは水が少し汚くて、出すのに躊躇してしまった。また偵察中という事で、別の場所を探す。しかし野田市側ではなかなか見つからない。なので利根川を渡たり「道の駅さかい」に行く。ここは県を超えて茨城県境町となる。ここも拠点にはなりそうだったが、土手にボート持って行くのに交通量激しい道路をまたがねばならないという事でだ断念。仕方ないのでちょいとここに車置かせてもらい土手の偵察に行く。この時に新しくボートアイテムとして購入した折り畳み式自転車を繰り出す。(笑)

これが有ると無いとでは今後のボート航海のルート取りの選択肢の幅が格段に違ってくる。例えば車が中々止めにくい私の自宅付近の都会系の川の場合、まず車で川にボートを運び組み立てておいて一旦帰る。その後この自転車に乗りボートまで引き返し航行に出る、というやり方が出来る様になる。また車からボート降ろして自転車のせて出港。後数十キロ航海し、上陸した場所にボートを一時置いて起き、道具とかに鍵かけたうえで自転車で車まで帰り、車で上陸地点に来てからボート回収という事が可能になったのだ。しかも私のボート行の目的は病気のリハビリにあるから、自転車もまた良しなのだ。で、話の前置きが長くなったが自転車で土手に向かう。境町は小さいながらも小江戸を感じさせる建物が幾つかあった。

  

そして利根川の土手に出る

渡し船の桟橋があった。ここを利用できないか、と思いつつ周辺を見回す、と!

 

立派な舟降ろし用スロープがあるじゃないですか!!という事で今回の航海はここからの船出と決定した・・・はずだったのだが・・・夜に入りキャンプ張ろうとまさに行動しようとしていた所、病気の症状が徐々に大きくなってくる・・・私は悩む・・・ここに泊まり明日出港する頃には症状が治まるか?それとも勇気ある撤退か?今ならまだ車運転してなんとか家に帰れる。でもこれ以上酷くなると、ちと洒落にならないところまで悪化の可能性もある・・・。

ということでただでさえ危険が伴うボートなので、今回は未練断ち切り撤収した。ただ場所は良い所見つけたので、その記録としてここに残しておく。

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福島県・会津磐梯山・檜原湖

2012-02-27 23:26:06 | 福島県

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父の遺灰の散骨を終えて自宅目指して帰る事になるのですが、その途中で宿泊とボートの為に立ち寄ったのが、会津磐梯山北の檜原湖という場所です。この辺は明治の磐梯山噴火時に色々な湖が出来たのですが、その色々ある湖ではエンジン付きボートの規制が多く、この檜原湖はOKと地元ガソリンスタンドの方に聞きまして、やってまいりました。

とにかく水がきれい、という言葉に限ります。そして南に磐梯山の勇姿。素晴らしいロケーションです。では能書きたれるより画像等どんどん行きます。まず地図から。

赤線が航行した所、でそれが湖中央からでているのが今回世話になった「こたかもりオートキャンプ場

     

上は全部キャンプ場の施設。左から、入り口前、入り口、桟橋、湖からスロープへ、スロープにボート揚げたところ、最後は、牽引でボート引き上げている他のお客さんの船。

で今回は私は1人利用で、バンガロー借りて船用の施設利用料、あまり言うとご迷惑かけるから明言しないけど、小さい船ということ、お盆前でまだ人が少なかったこと、地震関係が影響していた事で、ここの民宿の「こたかもり荘素」泊まり料金並で全部おさまった。助かりましたし、逆にがんばれ東北であります。

      

上は左から、キャンプ場内のマイカー&ボート、檜原湖の小島、檜原湖南端の高速観光船乗り場、磐梯山と湖、最後は旋回中のゼファー号です。で下には動画張っていきます。

ゼファーボートZR265+Suzuki DF2 IN 会津 磐梯山 檜原湖 お盆前

 

ゼファーボートZR265+Suzuki DF2 IN 檜原湖 盆前 始動から全速、そして座礁

 

ゼファーボートZR265+Suzuki DF2 IN 檜原湖 盆前 お世話になった宿の桟橋

 

ゼファーボートZR265+Suzuki DF2 IN 檜原湖 盆前 速度感

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父の故郷、山形県の最上川に遺灰をまく。2

2012-02-26 19:49:02 | 山形県

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父の故郷、山形県の最上川に遺灰をまく。1」の続きです。まずは動画から。実は私は人生で初めてこの時に川の堰を船でくぐったのでした。ある意味感激しました。ちなみに動画はくぐった後。くぐる最中は正直初めてな事で怖くて撮影どころではなかったです。

 

2011/8最上峡谷ボート下り・お盆前2.wmv

  

      

左上から写真の説明。1枚目山間部から平野部(庄内平野)に入ったあたりの風車発電機。庄内平野は日本海から吹く風と鳥海山という酒田のシンボル的な山から吹き下ろす風で、かなりの強風地帯。なので海岸線は砂丘が発達し松林の防砂林がすごい。庄内砂丘ではメロン栽培がおこなわれ特産品にもなっている。で、後ろ振り向くと2枚目という感じ。

3枚目、どんどん下りJRの線路の線路を過ぎしばらくすると、父の故郷だ。遺灰の散骨をし、戸沢村で頂いた花束から花を抜き取り父に手向けた。ちなみに父は幼い頃、この暴れ川最上川でお友達と遊んでて、目の前でその子がおぼれ死んでしまったことからトラウマになったのか、生涯あまり上手に泳ぎが出来なかった。海水浴とか何度も連れて行ってもらったが必ず浮き輪してたか、海に入らず眺めていることも多かった。4,5枚目は3枚目の場所から岸に上陸し、建設中の道路に並走し(4枚目)、父の縁者が眠る墓地に向かった写真。(5枚目)久々に私も父もこの地に戻って来た事を縁者の霊に報告した。父は色々訳ありで、故郷に対して愛憎半々という感じで、里帰りもある時期を境にあまり行かなくなっていた。

    

更に航海は続く。先祖の墓参りを済ませボートに戻り日本海の酒田港を目指す。左上1枚目から4枚目にかけどんどん下っている。3枚目、この日雲に隠れていたので次の日に酒田港防波堤から撮影した名峰鳥海山。この酒田の港だが、近づくにつれ結構まずい状態になってきた。河口は潮が複雑で船には危険地帯の一つなのだが、この日は港日に近づいた時間帯あたりから、風が猛烈な陸風になり、上の地図を見て頂くと分かるが、私はいったん河口から海に出て港に入るつもりだったのが、猛烈な風に邪魔させ、それとエンジンが故障していた事もあって中々防波堤に上陸できなかった。そもそもエンジンが動かなくなっていたのが1つ。それと港に入るにあたり、地図とかで調べていてもっと上流側から水路使って入港するつもりだったのに、それが見つからなかったのが2つ目のトラブルだった。更に気象条件悪化時はミニボートだから沖にさえ出なければ途中すぐに岸に寄せられると思っていた、が港周辺側はテトラポットだらけで上陸だけならできるが、その後の船の回収の困難考えて、予定外だったが、(中流域には釣り人ほとんど居なかったが、この辺にくるとすごい釣り人の数でその目線の中)、多数居る釣りしている方に、「エンジントラブルです。すみません!」と言いながらかなり波も高い中(複雑なうねり、三角波)、海に出てぐるっと回って港入りする事とした。強風でなかなかパドリングで進めないが、なんとか湾内に入るも湾の奥に少しでも行って上陸したかったが、周囲の釣り人の人達から、「もうあぶねえから、上陸しろ~」と言われて上陸し(4枚目)、ロープで堤防を歩きながら船を牽引した。途中船が堤防に引っかかり中々動かない所があったが、見かねていた釣り人達が手伝ってくれて、本当に助かりました。やはり雪国とか海のそばの人って助け合い精神がすごいですね。この辺が元々の江戸っ子が多い下町とかを除く、多くの人がイメージする東京人と決定的に違う所です。東京は良くも悪くもある意味クールですけどその分自己責任感も強いです。それに対してやはり外国でもそうなのですが、環境が厳しい地域の人は、物凄い助け合い精神持っています。東京人からするとお節介が過ぎるって思う人もいるけど、何にしても私はこの旅で互助精神に何度も助けられています。その辺の意識の差には本当に圧倒されます。

  

こうして何とか無事に上陸して、あとは船をどうしようか思案しながら船引いて、で堤防に船が引っかかったり助けてもらった時に、「もう少し歩くと船あるから、その船主に頼んで港まで曳航してもらえ」言われました。私はここで自己責任と意地張っても、かえって周りの方を不安にさせてるんだな、と思い素直にそれを頼む事にしました。その写真が2枚目です。分かりにくいですが私のゼファー号が他の船に牽引されています。3枚目は操舵している船主さん。ということでこの方が係留している第1酒田プレジャーボートスポット(詳しくはないですがここの係留代金とか首都圏に比べすごく安くないですか?)というマリーナまで3キロ位曳航し連れて行って頂きました。牽引開始場所からすこまで、距離結構ありますから、この船主さんが助けてくれて本当に助かりました。

それだけではなく一時避難の為のマリーナ入りやエンジン修理の為にあれこれ電話してくれたりと本当に頭下がります。しかも私がこの後電車で、今日船出をした戸沢村の舟番所に戻るか、酒田で1泊後戸沢に行くと説明すると、「これからソコ通過して俺たち家に帰るから、車で連れてってあげる。」と言うのです。ならばガソリン代を、、、と私が言うと「そんなもんいらない。」と言われ、またまた山形の人の人情に助けられる事となりました。本日の航行距離約45キロ。マリーナから舟番所までだって40キロ近くなります。それを無条件でここまで親切にしてくれる。仲間の方は「会長」言っていましたから、地元の名士さんかもしれませんね。でも最後まで名のりはしてくれませんでした。(翌日マリーナの方にも聞きましたが個人情報という事で丁重に断られました。)こうして私は無事最上峡芭蕉ライン舟下りの舟番所まで戻って来れました。もう夜で閉店していましたので、今日はまたここでテントを張りました。そして朝一番で、ここの皆様方にお礼を申し上げ、そしてほとんど恩返しにもなりませんが、ささやかにお土産を買ってこの地を後にしました。

ところで、お盆前後の時期は、水に入ると色んなご霊さんに足引っ張られるよ、と聞かされた事はあります。まして父の遺灰散骨が目的です。虫の知らせ的なものはあったので、今回の航海はそれになりに自分で注意払いながらボートを出したつもりでしたが、自分の経験の無さからくる無茶と、熟練さんでさえ命がけな船の航行に関して、本当に今回私の父をはじめ縁ある方が背中押してくれて、生きている大勢の人達にも助けられ生きて帰れる事が出来ました。この時既に父が旅立ってから1年半経過しておりました。諸事情で墓も1年間建てれませんでした。なので私は墓とこの散骨と、ご先祖への報告の墓参りで何か肩にかかっていた荷物をようやく1つ降ろせるな、と思った次第です。今回お世話になったすべての方々、本当に有難う御座いました。

合掌。

追記・この後私は酒田市の縁者の家を十数年ぶりに訪ね、先方様もそんな恩知らず的な私を快くむかえて下さり、父の件を話したりし、数日間お世話になりました。そして上記したマリーナで船を回収、その場で車の工具等使い、周りの船主さん達のアドバイスもあってエンジンが動くようになったので、今度は港を避け、海水浴場からボートだしてみました。

河口付近は小舟ではちょいと怖いな、と思ったからです。そこで数日後昔泳いだ事のある酒田周辺の海水浴場に行くのですが、2つだったかな、宮野浦・十字塚(小さい文字ですが地図にも書かれていますので参照。)に行ったのですが、どちらも現在は遊泳禁止。やはり日本海側の、しかも河口そばの海はなかなか厳しいです。このことはその時に訪れた庄内空港そばにある浜中(地図参照)海水浴場の監視レスキュー員の方も言われていました。この辺は、少し沖に行くと、すぐ深くなる、との事。波の荒々しさの為でしょう。その為の河口に近い所は閉鎖され遊泳禁止となったのだと思います。

で私はこの海水浴場でボートだして良いか聞いた所、500円支払い駐車場に車止めた後、ブイでかこまれたエリアに侵入しなければどうぞ、と言われたのでボート出しました。その時に離岸流の様子や天候の情報教えてくれたスタッフの方有難う御座いました。またブイそばに接近しすぎて(エンジン切ってプロペラ格納していましたが)忙しい所多分ご心配されていたでしょう事、あわせてお詫び申し上げます。

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父の故郷、山形県の最上川に遺灰をまく。1

2012-02-26 11:25:08 | 山形県

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大分ブログの更新が遅れてて、今回も去年のお盆前のお話です。父の三回忌が最近あってそれにも絡む内容なので、なんとかこの日記早々に仕上げようと思い今頃書いてます。

さて今回ですが、私の父が山形県の今の酒田市の生まれで、最上川そばで少年期まで過ごしているので、その生まれ故郷そぐそばを流れる「最上川」に行くことをお盆の少し前を狙い実行致しました。目的はせっかくボート所有しているのですから父の遺灰を是非川にほんの少しの遺灰ですが散骨しようと思ったからです。生前父は「俺が死んだら日本海に灰をまいてくれ。」と冗談めかしに健康な頃たまに言っておりましたので、私はそれを実行する事にしたのです。最上川は日本海にそそぎます。

私は7月下旬千葉県を出て、常磐道を北上し、とりあえずいわき市の手前でおりました。何故かと言うといわき市の復興の様子を少しでも見ておきたいと思ったからです。で一般道で市内を走りますが、状況は私の想像をはるかに超えて酷かったです。道路のあちこちが陥没が激しくて、舗装修復は完了こそしてても、道路自体はまるで山道のように上下激しくうねっておりました。ここで何か私にできることは、と考えまして、今回私が実行したのはこの地にて少々高額な品物を、特に絶対必要な訳でもないのですがあえて買う事にしました。頑張れ東北。

そうして市内の様子を目にした後ですが、今までならそのまま、いわき市北上する手もあったのですが、そこには皆様ご存じの福島第一原発が国道6号線を見事に寸断しております。ですから磐越道かその下道を行き郡山を目指すことになります。夜車が少ない時間だったので磐越道には乗らず、この日は出発が遅かった事もあり国道49号線を走り、とりあえずどこか温泉にでも泊まろう(本当はいわき湯本に泊まってあげたかったが少しでも山形県に向かいたかった。)と走っておりますと泊まれそうな温泉宿がカーナビ見てもいわき湯本周辺以外だとあまり検索に出てこなくて、時間だけは経過していく。そんな中「道の駅ひらた」の看板が見えたので休憩と思い立ち寄りました。そうしたら、ここ仮眠コーナーというには少しキツイものがありますが、カーペットが引いてある畳6畳程度の休息所があったので、そこで寝袋に包まって寝る事にしました。先客にはお二人ほどバイク乗りの方がもう寝ていらっしゃいました。私は耳栓をしてこの日はここで眠りました。

翌日はひらたを出て東北道を北上し凄い集中豪雨の中郡山市を通過、ここで高速に乗り50キロほど行くと福島市。そこから国号13号に入って上杉家と牛肉とかで有名な米沢市まで行きます。ここは私の大好きな戦国武将伊達政宗の生まれ育ちの地なんです。そして私は正宗が欧州平定の為に南進したコースを逆に北上してきたという訳です。ここまで来て山形県です。しかし私の目的地の山形県酒田市は、山形の中でも米沢市から見て再北西にあたる遠所です。先はまだ長いのです。ということで米沢を少し北上すると最上川の上流部をたどるコースになります。そのまま行き県庁所在地の山形市を通過。私の目的地は酒田市から最上川をさかのぼる事約40キロ強辺りに最上峡という渓谷で有名な観光地があるのですが、そこを目指しました。新庄市を迂回する感じで川になるべく沿った道を進みます。程よく良い感じの渓谷になってきそうだったので、ボートを出向させる場所をとにかく探しました。その第一候補になったのが「道の駅とざわ」でした。時刻はもう夕方に入りかけなのでとにかく場所探しを急ぎました。

     

「道の駅とざわ」・・・私は道の駅で、この手のタイプは初めて見ました。まるで万博の韓国館かソウル近郊の民俗村みたいな作りの道の駅・・・わが父の故郷酒田に行く時に良く通った場所。そういう思い出の地なのですが、訪ねなくなって何年も経過しているうちに、とても山形県思えない建物が建っていてびっくりしました。左から3番目には、多分この施設に携わったであろう在日コリアンの方でしょうかね?韓国風のクリスチャンらしきお墓も建っていました。ちなみに私は父と共に仕事で韓国に渡る事50回以上、韓国の良いも悪いも色々と所も知っています。だからちょいと不思議な心境でした。これも地方疲弊がなせる苦肉の挽回策なのか(韓流好きそうな女性客さん数名ですが、多分これ目的って感じの方も見かけました。黒字ならこういうのも活性化の為に悪くはないと思いますけど・・・)、それとも中国人が日本のあちこちを買いまくっている報道がされていますが、ここもそんな感じなのか、と・・・。まあこっち関連はこれ位にして本題へ。

でこの施設の道を挟んだ対面が最上川です。写真の一番右。でも距離結構あるんです。しかも国道びゅんびゅん80キロとか当たり前に車飛ばしている所を道具持って横断歩道も信号もない所を横断して、草ぼうぼうの土手で組み立てて・・・って、これは断念しました。なので移動。車をさらに父の故郷方面に進める事約2キロ。ここにも観光施設がありました。それが今回すごくお世話になることになった「最上峡芭蕉ライン観光株式会社」さんです。私が車走らせていると、この会社が運営する舟下りの乗船所である「戸沢藩船番所」というのが見えてきました。今度は山形にふさわしい立派な和風建築遺物でした。 http://www.blf.co.jp/index.htm

 

もう時刻は17時近くて、閉店の準備を確かしていた所だったと思いましたが、中を少し見させて頂き、桟橋もあるのを見て「私はここだ!!ここから船出せないか!!」と思い、まずはこの会社の方に父の散骨の事情を説明させて頂き、明日ここのそばからでよいから船をだすのの許可を頂けませんか?使用料もお支払いしますとこの会社の企画を担当されている芳賀さんにお願いしてみました。芳賀さんはほぼ二つ返事でこの件を承知して下さいました。しかも無料で。(この後専務さんだったと思いますが、その旨の確認までして頂きました。)さらにテントを敷地内に張らせて頂く事、車を翌々日までおかせて頂く事、水道を使わせて頂く事も快諾して下さいました。

私はこの件、書いている今も少し迷っています。具体名出すと先方さんに、ご迷惑かける気もします。勘違いした人が我も我もとテント張り出してもこれも駄目でしょうし、カヤックやウォーターバイク乗りの人が我も我もと無断で押し寄せても先方は大迷惑でしょう。今回ここの方々が承諾して頂いたのは、事前説明をし、私の父の散骨という特殊な事情を察してくれたのだとおもっていますけど、書くとまねて色んな事やる人が出てきそうなのが怖いです。このブログ見たからと言って、先方の業務に差障るような事は、決してなさらないで下さい。お願い致します。

とにもかくにもこの日記書き終えたら、電話いれてみて名前出す事を事後承諾になっちゃいますが、確認してみたいと思います。(※UP後メール出して電話しました。何かあれば連絡下さるとの事です。→翌日メールで丁重な返答頂きブログ掲載のOKもらいました。)

それからこの日はこの後、いきいきランドほんぽ館という近くの日帰り温泉施設に行きました。http://ponpokan.com/ponpokan/index.html

ここで風呂と食事をするためです。しかし、時間がレストランの営業時間をわずかにオーバーしていて、レストランしまっていました。でもここでもまた私は那珂川に続き地方の方の人情に触れることになります。スタッフの方が「今日は宴会あるから、少し時間くれれば作ってあげても良いよ。」と言ってくれたのです。忙しいのに、こんなに親切にしてくれるとは・・・本当に父の故郷山形に来て良かった。と父に語りかけました。ここでおかげさまで風呂と食事をし、帰り道コンビニで翌日の飲料水食料を買い込み、この施設の外れに車を置き、テントを張りました。そして寝る前にボートの組み立てをしておきました。

朝、いよいよ出発の為色々荷物の積み込み等終えて、芳賀さんにお礼をしにいきました。そうしたら芳賀さんの腕にいっぱいの花束が!!そして私に、どうぞ、と言って渡すのです。朝早くの時間です。時間的にお店とかやってないでしょうし、農家さんの作っているものにしても、きちんと束ねてくれているし・・・今考えてみるとどうやってこの花用意してくれたのか分りませんけど、本当に感謝感謝でした。心の中で「お父さんの故郷の近くの人ってなんで見も知らぬ人にまでこんなに暖かいの?」って内心泣いてました。私の住む近所では、日常的に孤独死も多く、近所付き合いも薄く、都市環境は便利だけど、人間性のゆとりは、ここの人たちより数段劣っていると思いました。そして改めてこの山形の北部域は私の第二の故郷だなーと思う次第です。そうして私はただでさえ1番船出向前で忙しい多くのスタッフの見送りと手助けをうけ、ボートを出向させました。

さて。ここで最上川の紹介。日本三大急流と言われる川の1つで、山形県内に発し、山形県内のみ通過して山形の海にそそぐ大河としては珍しい川でもあります。この最上川。江戸の俳人松尾芭蕉でもい有名ですが、私が彼の句で一位二位をあらそう好きな句も最上川関連が1つあります。それをここに書きます。

「五月雨をあつめて早し最上川」

でもう1つ好きなのが最上川からさほど遠くない所にある月山を書いた句。

「雲の峰いくつ崩れて月の山」

この2つが私の芭蕉の句のNO1とNO2なんですが、これ2つとも舞台は山形県です。でもこれ贔屓でもなんでもなくて、本当に偶然好きな句が2つとも山形北部を舞台にした句なんですよ。偶然じゃない、なにか父から渡された遺伝子の影響なのか、私は山形が好きでたまりません。私の病気が温度の低下に非常に影響されることさえなければ、今の家売って移住したい位です。それに私は独身ですが、父から嫁は山形人えらべ、なんていわれてましたが、実際女でも男でも雪深き所の情の厚さっての感じますよ。山形北部の方って正直商売っ気あまり大阪や東京よりないです。そういう意味では少し不器用です。でもそのかわりに、凄い人情味厚いんですよ。そういう山形の女性の嫁っ子さ来れば最高ですね。(山形懐かしかったので、元会社の同僚で天童に帰ったと聞いていた女性に連絡したんですけど、会えませんでした(悲))

ってえらい話ずれて申し訳ないです。本題のボートの話に戻します。

       

上の写真を左から解説。前日福島で遭遇した集中豪雨は最上川上流部にも降っていて、1日で船着き場水位2MだかUPしたとの事、でも珍しい事ではないそうです。むしろ船船頭さんのお話では、水位上がった分危険度も下がり楽に航行できるだろうとの事でした。で私は当日エンジン搭載して航行に臨んだのですが、エンジンがトラブルですぐいうこと聞かなくなりました。ちとあせったのですが、水量が多く、暗礁にぶつかる危険も少なかったのでパドリングにも力が入り、川の流れが速くて下流に行くまでは多分6ノット以上(時速11キロ以上)出てた気がします。ただスタッフの方が言っておりましたが、やはり岩場あっての渓流ですし、水も濁ってて残念との事でした。

2、3枚目は下船場との間にある休憩所。ここで私は名物だだちゃ豆アイスを食べました。おいしかったです~。そして4枚目が舟下りの下船場で、5,6,7枚目が下船場より少し下流にある堰の写真。船専用ゲートがありますので安心。ここ最上川のライン下り、本当にお勧めですよ。山形観光来られる方是非1度は体験してみて下さい。(舟下り自体も、昔に比べ危険個所の暗礁の爆破とかでかなり安全に航行出来る様になっています。でもこの最上峡の美しさは数百年前と大差無く我々をむかえてくれる事でしょう。)

父の故郷、山形県の最上川に遺灰をまく2」に続く。

 

最上川お盆前1

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那珂川3日目那須烏山編

2012-02-24 19:32:21 | 那珂川

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日記ネタが溜り半年以上前の事ですが、書きます。前回の「憧れの那珂川へ初航海 道の駅 かつら」の続き、「那珂川3日目那須烏山編」の開始です。7月上旬「かつら」を夕方に出た私は、激流清流を求め、上流に移動。行けるだけ行こうとしてのですが那須烏山市に到着した頃は、もう19時でねぐら探しをしないといけません。でこの辺の温泉をと考え、ここの町が割と大きな町だったので、無線LANのFONのWIFIサービスが使えるかなーと考え、アクセスポイントを探してたら、簡単に見つけれました。コンビニの駐車場で電波とれたので大助かり。結果温泉は見つかったのですが10キロ先と、時間が20時近かったので、今日は那珂川の土手にテント張ろうと思いました。

しかしこの時トラブル。河川敷土手の路肩に脱輪し、1人では復旧出来ません。仕方ないので今は病気休会中であるJAFに電話したら、休会中なので当然ビジター扱いで、1Mロープで車引っ張るのも1万円、と言われました。「えええ、昔ならもっと安くなかった?JAFさん。」って思い、それならば次の日の朝、誰か1人さえいれば上がるのだから、助けてくれる近所の人見つけようと思い、まずテント設営に入りました。したら、それ目に留まった車の方から、「公園近いからそこに張れば?」と声かけてきた方居ました。が丁重に「ここが良いのです。」と返事。というのは公園ですと市内の警官が来ると高確率で「ここテント張らないで」とか言うから(特に首都圏の場合乞食対策)。でも河川敷ですと管轄が国土交通省なのであまり警察は苦情ない限り言ってきません。でこの時、私の車が脱輪しているのをこの人たちがすぐ気が付きます。それで牽引開始してくれました。これ本当に感謝。やはり都心と違い互助精神が厚いな~と感激。 でもね都会は冷たいといわれるのは、東京の浅草のそばで生まれ育った私には結構耐えられない話なんですよ。だって東京の生まれ育ちの人って実は長年上京者を受け入れて来て、こちらでの生活習慣教えたり世話したりのお節介焼き多いんです。なのに都会人は冷たいといわれる都会人というのは、実は上京者の事。東京人の半数以上は上京者。マンションの隣同士挨拶も無し、とか都市部に良くある光景ですが、その両家の出身は?と聞くと多くの場合23区育ちじゃないというオチ。

話脱線しました。で車復旧し、テントにもぐりました。したら5時前だというのに、近所の老人の方々が続々とお散歩なさっています。これは予想外ですっかり目さましてしまいました。(烏山はともかく、うちのご近所にも特老があって朝になる前からガザゴソやってます。もう少し近所の事考えましょう。)で向かえた朝、ここからやっとボートのお話になります。6時までうつろうつろしてて、それ位からテントたたんでボート組み立て開始しました。とりあえず車は今日1日はじゃなにならないであろう河川敷のひきこみの空き地に駐車し、そのそばの船溜まりみたいな所にボート下ろしました左の画像は地図で赤線が折り返すとこら辺の橋です。が見て取れます。   

左は上の地図の赤線折り返しの所の橋辺り。鮎釣りの方が見える。右は今回の旅の全行程。地図の川の部分全部がそう。

 

烏山駅付近から上流に向け一旦上り、その後下る事約8キロ位の所に上陸出来そうな船着き場的な物を発見(左)。ここまでは3級の瀬も少しはあったが、ほとんどは鮎釣りの方がいらっしゃいましたので、私は船を下りてひもで牽引(ポーテージ)しなるべく邪魔にならないように下りました。で上陸出来そうなところまで来たのですが、そこから見える建物でトイレと食事できれば、と思い坂を上がっていくと「ここは私有地」の看板。こちらはそこの客のつもりで坂を上がるが、なんとその店どうも見た目休業中。なので仕方なく私有地を通り通りに出て対面にある店を目指す。「川の道」と書いてあった。(右の写真)しかしここも人はいるがお休みとの事。私は予め地図見て、この辺で食事と思っていたのだが2件とも駄目というのはダメージ大きかった。この時私の保有していた非常用食料は川という事でわずかだった。そうしていたら川の道の人が食堂の人呼んでくれて、お湯も沸いてないであろうに、「良いよ~作るから食べて行って~」と何ともありがたい言葉をおっしゃる。本当に地方の方は心豊かだと思う。生活は都会よりも不便なのは誰が見ても間違いないが、その代わり都会人が失ったものや、都会は水も空気も汚く汚染されて、逆に地方はそういうものにあまりさらされてない事をどうか、大切にして下さい。都会は自分の事ばかりの人であふれています・・・と今しみじみ想う私です。

でさらに下って、私は予め予定していたバス便で烏山駅に戻る為に、地図辺りの川堀という所で上陸した。ここまで2級の瀬はいくつかあって、しかも釣りの方も少なかったので、まあまあ楽しみました。でも結局この日はポーテージの延べ時間だけでも30分は船牽引して、本当に疲れました。まあそれも良い運動でした。で瀬は水が飛び跳ね、しかもものすごい揺れますから今回はその辺が未熟で画像取る事は出来ませんでした。

しかしここも上陸したはいいが、私有地の看板が!私は悩みましたが、すぐ気を取り直し、その家の方を訪ね、事情を説明し私有道を通らせて頂きました。で船も河川敷においてまずは「川堀」バス停でバスを待ちます。大体1時に1本程度と記憶しています。で烏山駅そば河川敷に戻り、車回収後、今度はボート回収に行った訳です。こでにて今回のボート航行はお終い。さようなら烏山。また来ます、と私は茂木方面を経由し土浦から千葉に帰還した。 ◎「もくじ」へ戻る。