愚者には巧言あり。身につまる言葉です。神の知恵は、人間の愚か。人間の賢さは、神の愚かである。という思想から生まれたコラールなのでしようか。聖愚者としての信者は、正直にキリスト様と向き合う。言葉には、巧言は要らない。という事でしょうか?
聖なるキリストは、蘇りたまえり。そうなんです。大事な大事なキリスト様が、とんでもない連中の手にかかり磔になり、殺されてしまった。しかも、弟子たちの裏切り行為によるもの。その弟子たちは、身が引き裂かれる思いで、気が狂いそうになっているところの3日後、ちゃっかり復活していた。お腹を見ると、傷痕もある。ところがどっこいキリスト様のコラールであります。マタイでは、ドラマ性が高く、ヨハネでは、民を救うための決め事のような展開。いずれにしても、ほっと安心なコラール。
我を憐れみたまえ、おお主なる神よ。これは、マタイ受難曲でも登場するテーマコラール。タルコフスキー監督もバシバシ映画の中で活用されている、神よ憐れみたまえ。に、おお主なる神よがくっついた4声の作品。仕事に疲れた安息日に慈雨のように降り注ぐ愛のシャワーを浴びて、日頃の疲れを拭い去りたいところですが、こちらは、お仕事。気合を入れねばなりません。我を憐れみたまえ。大いなる主よ。