サンタ・・・
会えなくなって、もう9年にもなるんだね。
再会する日のことを思うと胸がキューンとなるよ。
今日はサンタがセンターね!
サンタが教えてくれたことを大切に
今、ここにいる子たちの笑顔を守り続けるよ。
お空から、ずっと見守っていてね。。。
家族でお参りに行ってきました。
この子たちの笑顔は私の宝物。。。
サンタ・・・
会えなくなって、もう9年にもなるんだね。
再会する日のことを思うと胸がキューンとなるよ。
今日はサンタがセンターね!
サンタが教えてくれたことを大切に
今、ここにいる子たちの笑顔を守り続けるよ。
お空から、ずっと見守っていてね。。。
家族でお参りに行ってきました。
この子たちの笑顔は私の宝物。。。
もう何も心配しなくていいね。。。
お家から見えるお空で
ガッちゃん、チビタと並んで、楽しそうに走ってる姿が見えたもの。。。
周りにはお友達もいるね。。。
あの頃はお友達もいない甘えん坊さんだったサンタが
おとーさん おかーさんと離れて大丈夫かな?って
最初はすごく心配だったけど
ちょっと安心・・・
ちょっと寂しい・・・
おとーさん おかーさんを忘れないでね。。。
我が家の2番目の子 サンタが旅立って7年になります。
出逢った日から数えたら、もう21年以上になるんだね。。。
今朝 お線香をたいて、久しぶりにサンタの骨壺を胸に抱きしめたら
あの頃のようにビックリするくらいピッタリフィットしてたよ!
やっぱりサンタだね~って思った。
なんか込み上げてきてしまったよ。。。
サンタは私が抱っこする時、どんなふうに抱っこしても
まるでジグソーパズルの隣り合ったピースの如くピッタリはまり
吸い付くように私の体の一部分へと化していました(笑)
「私、あんまり覚えてないけど、この子を産んだんやったかもしれへんわ!」
よくおとーさんにそんな冗談を言っていたものです。
出逢った寒い冬の日、どういう経緯かわからないけど
商店街の熱帯魚屋さんの店先の錆びたケージの中で
冷たい風に吹かれて丸く背を向けていたサンタには
7,000円の値が付けられていました。
ケージから出してもらい会わせてもらった時
ちょっとイカツイお店のおじさんはこう言いました。
「ちゃんとしたらええ犬になりまっせ~」・・・意味不明 ┐('~`;)┌
この子をあのケージに戻すことはできません。
そのまま連れ帰りました。
先代のガッちゃんが導いてくれた出逢いでした。
ええ犬?
サンタはちょっとおバカな子でした(^^ゞ
甘えん坊のくせに俺様で・・・
でも、私が産んだかもしれないと思うほど
愛おしく可愛い子でした。
6月14日・・・サンタが旅立って6年になりました。
去年の命日にサンタとのお別れの事を書いた時
改めてあの頃の弱かった自分を思い出して、後悔でいっぱいになりました。
でもそれを書くことで、少し重い気持ちから解放され
やっとひとつ区切りをつけられたようにも思えました。
それで、この1年の間にとうとうチビタの介護にも入ってしまったけど
サンタへの詫びる思いと共に、強い心で向き合うこともできたのだと思います。
今年は、こっちではチビタと一緒にこの日を迎えることはできなかったけど
あっちでは、ちびふう家のマルチーズチーム勢ぞろいで
こっちのこの日のゴールデンチームを、呆れて笑って見ていただろうな。。。
「タライなんかでずぶ濡れになってドロドロなんてごめんやから、今日は帰るのやめとこな~」
って、みんなで相談してたかも(笑)
暑い中、今年もお山でお友達とサンタの命日を過ごしました。
氷おばちゃんが来る前、お水だけでは不満タラタラだったけど氷が入ってご機嫌♪
来た来た!氷のおばちゃんちの鉄人くん♪
氷のおばちゃんちの永奈ちゃん♪
「はるちゃんとお揃いですね!今日もよろしくデス♪」
ハイパー春陽にドン引き鉄人くん^^;
その頃すももちゃんは・・・
氷水の冷え具合を確認中(笑)
「そろそろ飲みごろ&食べごろだわ」
永奈ちゃん&鉄人くんを熱烈歓迎してニコニコで戻ってきた楓太^^
同じく、鉄人くんにドン引きされても気にせず
「はるちゃん挨拶してきたですよ~!!!」って戻ってきた天真爛漫春陽^^;
そして日陰で自主休憩・・・ON・OFFハッキリしています^^
氷おばちゃん(今日はこれで通します…笑)も、わんこと一緒にお水遊び中♪
お水遊びの何が楽しいのか理解できない永奈ちゃん^^
巻き込まれないようにテーブルの下に避難中。。。
いつも氷は食べるけど、浸かるのは嫌がっていた楓太も
この日のあまりの暑さに入る気になったようだけど・・・
何か間違ってる(笑)
そうそう!!!
って、これが正解と言っていいのでしょうか~(笑)
「今日は男風呂の日やねん」
最近、積極的になってきた楓太に混乱中の鉄人くん^^;
そこにハイパー春陽まで加わり・・・
後ろからドドドドーって押し寄せる足音に振り向いたと思ったら・・・
思わず一緒に走ってしまいました(笑)
「氷おばちゃん!今日はボク、おかーさんを笑かす役目があるんですよ・・・辛いわ~」
そんな笑かし方、いらないんだけど・・・(ーー;)
すももママ手作りの出来たてのおやつに集合~♪
春陽も上手に待っていました^^
あの・・・今はおやつ目線でいいんだけど(笑)
暑くて動く気にならなかったすももちゃんも、帰る前のおやつタイムで復活~♪
でも、もう帰るんだけどね(笑)
楽しい1日をありがとう。。。
翌日15日、おとーさんは2ヶ月ぶりの通院で休みを取っていたので
この日から大阪会場で始まった ホタパパさんの写心展 へ行ってきました。
ちょっと胸がつまってしまったけど、素敵な写心、優しいお手紙に心癒されてきました。
会場で偶然、以前お山のランで何度か一緒に遊んでもらった
チョビちゃん&ニコちゃんファミリーにお会いしました♪
久しぶりにお目に掛かれて嬉しかったです~^^
会場の階下にあるカフェでまたお会いしたので、一緒に記念撮影を。。。
また涼しくなったら、お山で一緒に遊んでね♪
☆ 2006年6月14日・・・お別れ ☆
入院2日目の6月14日、仕事帰りに直行でサンタの面会に行きました。
その時、担当医は不在だったので、詳しいことは聞けなかったのだけど
サンタは前日連れて行った時よりも、はるかにしんどそうで・・・
サンタの力のない悲しげな目を見て、胸が張り裂けそうになりました。
すぐにでも連れて帰りたかったけど、当時私はまだペーパーで原付しか乗れず
いつも通院に使っていたわんこバッグも持って行ってなかったので
そのまま帰ることしかできませんでした。
辛く重い気持ちに、押しつぶされそうになり・・・
「本当に、これでいいのか・・・これでいいのか・・・」と自分を責めながら。
帰宅後、担当医から電話があり 「今夜は私が付きっきりで診ていますから」 と。
それは・・・今夜が山ということ?
それから、おとーさんが帰ってくるまでの数時間・・・
私は夕飯を作ることも忘れて、それでもまだサンタを助けるすべはないものかと
パソコンに張り付いて悶々とした時間を過ごしていたのです。
そして10時過ぎ、おとーさんが帰ってきて、面会の様子と先生からの電話の事を話したら
おとーさんは 「すぐに迎えに行こう」 と言ってくれました。
その言葉で私も我に返り、そして、覚悟ができたのだったと思います。
サンタは超おかーさん子でした。
おとーさんの事は、私を巡りライバルだと思っていた子です。
そのサンタが・・・夕方面会に行った時はぐったり横たわっていただけのサンタが・・・
おとーさんを見た瞬間、必死で起き上がろうとしたのです。
おとーさんが迎えに行こうと言ったことに、応えるように。。。
お家に帰りたかったんやね。。。ごめんね。。。もうずっとずっと一緒にいるよ。。。
サンタをこの手に抱きしめて、その時、初めて泣きました。
車の窓から、お外を見るのが大好きだったサンタ。
もうそんな力はないはずなのに、途中で起き上がろうとして
外を見たそうにしていました。
家に着き、一人お留守番をしていたチビタが出迎えてくれました。
たった1日の入院なのに、サンタの体は随分汚れてしまったので、優しく拭いてあげました。
そして・・・
いつも、お家警備をしていた窓際に寝かせてあげて間もなく・・・
サンタは旅立っていきました。
家に着いてから20分ほどの事でした。
2006年6月14日23時50分。
サンタは、病院でもなく・・・
私が仕事に行っている間でもなく・・・
おとーさんの留守中でもなく・・・
その時と決めて、旅立って行ったのだと思います。
おとーさんにも、私にも、チビタにも、誰一人として心残りを残させないように
サンタは 「奇跡の時間」 を作ってくれたのです。
本当にいい子・・・優しい子。
翌日15日、サンタは雨のお山からお空に帰っていきました。
そして、その2日後の17日、おとーさんは研修に出発しました。
チビタと二人きりの1週間。。。
ぽっかり空いた心の穴を、サンタはちゃんとチビタに埋めるように託していたようです。
そして1か月後に生まれる楓太との出逢いの道も、こっそり残していてくれたのです。
私たちがサンタに贈った愛よりも、もっともっと大きな愛をサンタは最後に残してくれて
もう、サンタには返すことができない分、それをチビタと楓太に・・・と。
私たちが笑顔で生きていけるように、サンタはそんな形で私たちの歩く道を繋いでくれたのです。
ありがとう、サンタ。。。
5年前の明日6月14日・・・
サンタは15歳で私たちのもとから旅立って行きました。
サンタと暮らしていた頃は、まだブログなど知らなかったので
日々の思い出は心の中にしか残っておらず、細かな記憶はだんだん薄れてゆくのが現実。
でも、せめて出逢いと別れの事だけは、しっかり心に刻んでおきたいと思いました。
昨年の命日には、サンタとの出逢い を書いたので
今日と明日、自分のための記録としてお別れの事も書き残すことにしました。
(2003年12月)
☆ 2006年5月25日・・・予兆 ☆
私の誕生日の前日の朝。
当時は私も、まだ働く主婦でした。
出勤の支度ができて、2階からサンタとチビタと一緒に下に降りたら
二人はいつものように、リビングの窓際の二人のお布団の上で
外を眺めながら朝の警備をしていました。
その時、私はキッチンに立っていて、リビングの方から「コトン」という音が聞こえました。
覗いてみると、テレビの前にサンタが倒れていて、「クゥ~ン」と一声だけ鳴きました。
驚いて傍に行くと、目は開いていて、ちょっとボーッとした顔をしていました。
意識はあるようなのでそっと抱き起して、しばらく様子を見ていると
そのうちだんだん、しっかりした顔つきに戻りました。
心配だったけど仕事を休むわけにはいかないので、そのまま家を出ました。
帰宅後も特に変わった様子はなかったので、ひと安心。
もしかしたら足でも滑らせて転んだだけだったのかも、と軽く考えていました。
まさかそれが、サンタの旅立ちへの予兆だったなんて思いもしなかった。
翌日も変わらず、いつも通りのサンタ。
私の誕生日を 「また増えた~」 とか言いながら笑って過ごして終わりました。
ところが、その日の夜中・・・
当時はサンタもチビタも、私たちのベッドで一緒に寝ていました。
みんなが寝静まった頃、突然サンタが起き上がり1~2歩歩いたと思ったら
「キャ~ン!」と言って倒れたのです。
ビックリして飛び起きてサンタを抱き上げ、どこか痛いのかとあちこち触ってみるのだけど
当のサンタは、何もなかったかのようなキョトンとした顔をしているのです。
2日前の事もあり、これはサンタの体の中で何かが起こっているのかもしれないと思い
翌日病院へ連れて行こうと決めて、眠りにつきました。
(2005年12月)
☆ 2006年5月27日~6月12日・・・悪夢 ☆
翌日は土曜日で、ちょうど仕事も休みだったので、すぐに病院へ行きました。
血液検査の結果、BUN値が異常な高さ。クレアチニンも高値。
サンタは元々心臓も悪かったので、それが原因なのか・・・
はっきりした原因を特定することはできなかったけど、急性の腎不全でした。
その日から毎日、点滴の為の通院が続きました。
入院して、24時間の血管点滴という手段もあったけど
その時は、サンタのストレスを考えて入院は見送り
仕事から帰ってからの通院を、毎日続けることにしたのです。
時には、朝預けて夕方迎えに行くという、日帰り入院の日もありました。
それでも日に日に、サンタの症状は悪くなる一方で
だんだん食事も口にしなくなり、あっという間にやせ細ってしまいました。
少しでも栄養を摂らせたくて、流動食を少しずつ口に流し込んだりもしたけど
嫌がるのでそれもあまり続かず。。。
先生には「もう何でも好きな物、食べられる物があれば食べさせてあげて下さい。」と言われました。
それがどういう意味なのか・・・考えたくもなく・・・
ただ、食べてくれさえすれば元気になると信じ、必死でいろいろな物を口に持っていきました。
サンタは、スーパーで売っている4個パックのプリンだけ、少し食べてくれましたが
それもそのうち、食べなくなってしまいました。
夜中に急に起き上がって倒れるという発作も、毎日のように続き
そのうち自分で立ち上がることもできなくなりました。
ベッドの横で寝ているサンタが、夜中に目覚めて少しでも体が動いたら
私もハッと目が覚め、お水を飲ませたり、トイレシーツの所に連れて行ったり。
つい先日まで、年齢なりの衰えはあったものの毎日元気に暮らしていたサンタが
どうしてこんな事になっているのか・・・
すべての事が現実として受け止められず、悪夢の中にいるような毎日でした。
(2005年10月)
☆ 2006年6月13日・・・葛藤そして願い ☆
最初に倒れてから、2週間と少し経った頃には・・・
サンタの命の灯は、もうわずかな風が吹くだけで消えてしまいそうになっていました。
それでも・・・それでもサンタには、もう少し待ってほしかった。
待ってほしかったのです。
できることなら仕事を休んで、ずっとずっとサンタの傍にいたかった。
でもそれは、社会人として通用することではなく・・・
毎朝 「どうか帰るまで生きていて!」 と祈る思いで家を出ていました。
実家の母が元気な時なら、留守中見てもらうこともできたのですが
母も、その半年前に脳梗塞で倒れて入院中で、あまり良い状態ではありませんでした。
母も・・・
サンタも・・・
その上、おとーさんが海外研修に出発する日が迫っているというやりきれない状況に
もう精神的にもボロボロになっていました。
滞在期間は1週間。
サンタの容態が悪化するにつれ、海外行きをやめることはできないのかと
おとーさんと言い争いになることもありました。
でも、おとーさんも苦しんでいたのです。
私が仕事を休めず、胸が張り裂けそうになっていたのと同じように。。。
神様!おとーさんが帰国するまで、どうかサンタを連れて行かないで下さい。
お願いします。。。お願いします。。。
あのクリスマスの出逢いの日から14年半。。。
山あり谷ありを、共に歩いてくれたサンタの最期を
私たちはちゃんと見送ってあげたい・・・願いはそれだけ。
おとーさんの出発が4日後に迫った13日、最後の望みにかけることにしました。
日帰り入院で血管点滴をした時、少しだけ持ちなおしてくれたことがあったので
思い切って24時間の点滴をしてもらう為、入院させることにしたのです。
今思えば、サンタの苦しみを無視した私たちの勝手なエゴだったかもしれない。
それなのにサンタは。。。