「語り継ぐこと」
原作の『夕凪の街 桜の国』が面白かったのと、田中麗奈のファンだってコトで公開前から期待してましたよ。
そんなわけで観てきました。
原作を先に読んでいて、それのファンだってコトで、どうしても原作との比較になるけれど。
原作は原作として、この映画はこの映画として良くできていると思いました。
原作はページ数の少ないマンガということもあって、けっこう説明がなかったりして。どちらかというと淡々と語るカンジだったのだけど。
映画の方は、そういった淡々とした惨さがなくなって、わりとベタな作りになってます。もっといえば泣きの作りを徹底しています。
夕凪の街編は死亡フラグが立ちまくっていたし、状況説明的なセリフが多かったです。
原作が皆実の想い・雰囲気に読者が心情を重ねていくのに対し、映画版はもっとストレートに想いを伝えていると思いました。
正直、語り過ぎな部分がむず痒かったし、皆実と打越さんが今際の言葉を交わしていることに、ちょっとしらけた部分もなくはなかったけど。
でも、「語り過ぎな語り」を含めて、伝えなければならないことをわかりやすくしているという、真っ直ぐな作り方は、これはこれで良かったと思います。
桜の国編はというと。まず、田中麗奈の七波が原作っぽくて良かったな~。テラカワユスw
んで、こちらの方はかなり原作にはなかったオリジナル要素というか、夕凪の街編も含めて、原作では分からなかった設定がきちんと回収されていました。
たとえば、京ちゃんの存在にきちんストーリーがあったり、打越さんのその後が描かれていたりと。
こういったオリジナル要素のおかげで、この映画全体がかなり分かりやすい内容なったと思います。
さらに言えば、原作では七波が自分の追体験を通して、自分なりに消化しようとするのに対し。
映画版は東子や凪生を巻き込んで、2人の生き方にも影響を与えていく。
おかげで、よりハッピーなエンドになったように思えました。
とまあ、以上が原作との比較だったのだけど。
原作にも映画にも通じているのは、原爆に対する怨念とか反戦性を色濃くメッセージにしているのではなく。
被爆後の日常を通して、彼らの日々の想いを静かに語っているということ。
フィクションとはいえ、こうした体験を追体験する(東子と七波が広島に行ったときのように)ことで、しみじみと心にしみていったような気がします。
確かに理屈の上では核兵器を否定することはできないし、日本が核の傘下にいるのは否定できません。
とはいえ、唯一の被爆国の国民として、彼ら彼女らの感情を「しょうがない」で片付けてしまっていいのだろうか?
皆実の死は「しょうがない」ものだったのか?
そういうことを静かに問いかけてくるような、そういう作品でした。
『夕凪の街 桜の国』(映画館)
http://www.yunagi-sakura.jp/
監督:佐々部清
出演:麻生久美子、田中麗奈、他
点数:7点
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