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同人サークルA-COLORが北海道をうろうろしながら書いているブログです

A.I.

2001-07-25 13:48:00 | 映画-2001年

「ビビの方が感動したよな…」

 久しぶりに映画館で観た。
「映画館」という小屋の中で観る映画ってのは、あらゆる意味で違う、ビデオで観るのとは。

 ストーリーは「愛情」をインプットされた少年のロボットが、「人間の子供になって母親に愛されたい」ために冒険の旅に出るというもの。
 ネタバレになるから書かないけど、このストーリーそのものが、実は作中に関わる重要なファクターであったりもする。

 わりと前評判が高かったけれど、どうだろう。
 私的には、ギリギリ、脇役の存在感のおかげで及第点といった感じ。
 特にお気に入りなのは、クマのロボット・テディと成り行き上、旅の同行者となるジョーかな。
 主人公のことよりも、ジョーのその後の方が気になってしょうがない(笑)

 映画の見方はそれぞれあると思うけど、この手の近未来の世界を描くとき、未だに『マッドマックス』と『ブレードランナー』から抜け出せないでいるのは、いかがなものだろうか。
 っていうか、ジャパニメーションの影響をかなり受けている。
 それが作品として良いとか悪いとかは別にして、「このシーン、見たことあるよなぁ」って思うところが結構あったりした。
 だからこそ、脇役のテディとジョーが目立っていたというか、キャラとして立っていたように思えるのかもしれない。

『マッドマックス』的なのは世界観にも反映されており、ポンコツになったロボットを公開処刑するショーは、この映画の中でも大きな見せ場だと思う。
(思わず、「サンダードーム!?」って思っちゃった)
 この映画のテーマは「愛」だけど、そんなもの人間にとっては上辺だけのものなんだという痛烈な皮肉が効いていたシーンである。
 そういう意味では、プログラム化された「ロボットの愛情」こそが、「ロジック通りに動いている」ことを前提にした場合、本当の(語源通りの)「愛」なのかなとも考えさせられる。
 ついでに述べるなら、このシーンのオチではチープなアメリカ人感情が吹き出して終焉する。
 ああいうシーンをギャグではなく、真面目に撮ってしまうところが、いかにもアメリカンである。
 それとも、このチープさこそが最強の皮肉なのかもしれない。
 いずれにせよ、「愛」について考えさせられるとき、ここのシーンは非常に重要なシーンだと私は思った。

 そして、クライマックス。
 少年の冒険が終わり、ハッピーエンドになるはずなのだけど……こればかりは、実際に観た方がいいだろう。
 オチとしては秀逸だと思う。
 そして、このオチにたどり着くまでの「ロボットという少年」を演じきったヘイリー坊やも素晴らしかった。
 いや、坊やという言い方は失礼だな。
 彼は立派な俳優だった。
 ただ残念なのは、映画の展開から考えると、このオチ方には無理があるような気がするということ。
 まあ、でも、その辺は大目に見よう。

 で、ここで誰もがエンディングになるかと思いきや、最後の最後でスピルバーグは少年に救いの手をさしのべる。
 このスピルバーグ(あるいは映画の配給元)が用意した救いの手は、作中の少年にとっては有り難いものだったし、きっとここで涙する観客も多いのだと思う。
 ……でも、私的にはどうかなぁ。
 冗長なのではなかろうか、と思わずにおれなかった。
 でも反面、この救いによって、少年同様に救われた観客もいることは確かだろう。
 だから、この辺は価値観というか、考え方の違いだと思う。

 だから、私の考えに同調するかしないかは、実際に本作を見てから判断してほしい。 

『A.I.』(映画館)
監督:スティーヴン・スピルバーグ
原案:スタンリー・キューブリック
出演:ヘイリー・ジョエル・オズメント、フランシス・オコナー、ジュード・ロウ、他
評価:7点(脇役のおかげで+1)


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