近代建築撮影日記

日本全国の近代建築を
大判カメラ、一眼レフ、デジカメなどで
撮影した写真で紹介していきます

網干の町家と街並 2017

2017-12-20 18:24:39 | 近畿

前回の続き、今回は網干の町家と街並。

使用カメラ・レンズ
1.SONY α7・Ai NIKKOR 20mm f3.5S・2017.11撮影(印なし)
2.SONY α7・Voigtländer SUPER WIDE-HELIAR 15mm F4.5 ASPHERICAL III E-mount・2017.12撮影(☆印)


※2017/12/25追加※

1996/8/9撮影の写真を整理したので追加掲載します。
20年間の変化を見てもらえたらと思います。

※2019/7/1追加※
その後判明したこと等を追記訂正しました。



【網干区新在家】
A家住宅


『姫路市史 第15巻 下』によると、右側主屋が明治末頃、背の高い左側主屋増築部が昭和9年の建築。

同上


裏手には網干川の船着き場があり、元は材木商だったらしい。

H家住宅



同上


A家の増築部に似ている。おそらく昭和初期の建築だろう。
※2019年解体されました


N家住宅



江戸期の町家だと思うが、詳細は不明。

網干川~網干橋~旧網干銀行の街並



旧北川カメラ店~旧龍野藩南組大庄屋 片岡家~旧佐久間文具店の街並


旧龍野藩南組大庄屋 片岡家を挟んで古い町並が続いている。一軒も欠けることなく残したい景観だ。

1996年に同じ場所を旧佐久間文具店側から写した写真

(カメラ;Nikon FA・1996/8/9撮影)

旧旅館名田忠


旅館移転後手芸店が入っていた。名田忠は移転地で今も営業している。

以前はこんな感じだった


(カメラ;Nikon FA・1996/8/9撮影)

旧山崎屋・N家住宅


左がN家。『姫路市史 第15巻 下』によると、江戸後期の建築である可能性が高いという。外観から見て右の旧山崎屋も江戸後期だろうと思う。
山崎屋は網干銘菓「はまぐり」の製造販売元。山陽網干駅前に移転している。

山崎屋閉店直後の写真


(カメラ;Nikon FA・1996/8/9撮影)

N家住宅の裏



O家住宅


塀の内に前栽(せんざい)があり、町家と屋敷の中間的な建築。造りの良い外観から見て幕末から明治頃の建築だろうか。

M家住宅



同上


旧状を壊さない範囲でよくメンテナンスされている。虫籠窓があるので江戸期の可能性が高いと思う。

網干神社から善慶寺にかけての街並

殆どの家に直しが入っているが、古い街並みが続く。

かつては門前に飲み物を扱う店があったが、今は駐車場になっている。

(カメラ;Nikon FA・1996/8/9撮影)


【網干区興濱】
旧M家住宅


出来るだけ旧状を保ってメンテナンスされている。『姫路市史 第15巻 下』によると、元舟庄屋で幕末期の建築である可能性が高いという。

同上


格子が開閉できるようになっているのか?

メンテナンス前は黒い漆喰壁だった


(カメラ;Nikon FA・1996/8/9撮影)

加納結納品店



メンテナンス前は二階に出格子があった

(カメラ;Nikon FA・1996/8/9撮影)

旧山本家住宅付近の街並



同上



同上


右2棟は江戸期っぽい。

昔写した写真では二棟とも本瓦葺き

(カメラ;Nikon FA・1992/2/9撮影)

鮮魚まるまん




同上



同上


二階部分は山本家の離れを移築したという。

西原提灯店~旧水井家住宅の街並


網干では2階が一部銅張の建築は数多く見受けられるが、全面銅張は中央に見えるこの一軒だけだと思う。


【網干区濱田】
K家住宅

幕末から明治頃の建築だろうか。


【網干区余子濱】
加藤家住宅長屋門
(不詳/幕末(1864年)/木/登録文化財)


右の石碑は擷秀碑(加藤邦太郎顕彰碑)。「擷秀碑」の3文字が勝海舟の揮毫。

同上



以前は石碑の右側に大きな米蔵があった。

(カメラ;Nikon FA・1996/8/9撮影)

加藤家住宅主屋
(不詳/幕末(1862年)/木/登録文化財)



加藤家住宅濱座敷(左)
(不詳/幕末(1851年)・M7増築・S33移築改修/木/登録文化財)
内蔵(右)
(不詳/M32/土蔵造/登録文化財)

加藤家住宅濱座敷



A家住宅


2階の高さを見ると、江戸期のように思われる。

同上



T家住宅


虫籠窓がある。1階は直されているが、江戸期の可能性が高いと思う。元は写真館をしていた。

S家住宅



同上


1階部分の格子などが昔のまま残っている。幕末から明治頃の建築だろうか。
かつて、蝋燭の製造販売をしていたという。


N家住宅


※口伝によると元禄頃の建築という事ですが、屋根替えの折に棟札等は見つからなかったらしいです。左に昭和初期らしい直しが入っていますが虫籠窓と格子の形状が片岡家に似ており、元禄頃という口伝には信ぴょう性があると思われます。

N家住宅・S家住宅


N家とS家は道路を挟んで並んでいる。

K家住宅



同上


『姫路市史 第15巻 下』によると、元廻船問屋で明治14年の建築であるという。

Y家住宅


昭和期には家具店を営み、その店舗になっていた。2階の高さを見れば十分江戸期にさかのぼれると思う。

旧H家住宅・I家住宅


右がI家住宅。『姫路市史 第15巻 下』によると、元材木商で明治32年の建築であるという。

旧Y家住宅(現存せず)

(カメラ;Nikon FA・1992/2/9撮影)
『姫路市史 第15巻 下』によると、江戸中期(1700年代前半)頃の建築ということだが・・・

残念ながら取壊されてマンションが建った。

(カメラ;Nikon FA・1996/8/9撮影)


*一般住宅の名称は実名を使わずアルファベット表記にした。同じアルファベットのものがあり混乱しそうだが、ご了承願いたい。



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