から、ご紹介します。
「信仰によって、エノクは…神に喜ばれる
事を証しせられた。信仰なくしては、
神に喜ばれる事は出来ない」(ヘブル11-5)
聖書の中で、神を喜ばせる事を、要求され
た箇所は非常に少ない。最も肝要な事は
信仰である。
信仰について記された中で、最も美しく
又、最もうれしい事は、信仰は神を喜ばせ
るという事である。
たとえば、いかに義務を果たし犠牲を払い
、克己し、あるいは偉大な事業をしたとし
ても、これらの行為が神に対する愛情ある
信任から起こるのでなかったら、これに
よって、我らを愛したもう父を喜ばす事は
決して出来ないというのは当然の事では
ないだろうか。
恵みをもって我らを愛し、同情をもって、
我らを顧みて下さる神は、愛情ある信任を
何よりも勝って喜ばれる。
恐れと、疑いと不信任とが、意識するも
意識しないも、一点も残らない様に取り
除かれた心こそ、神を最も喜ばせるもの
である。
疑いも、自己も境遇も捨て去り、永遠に
神を真実とする時こそ神を喜ばせる。
そして、この様に行うのが信仰である。
見える所は、全く反対でも、信仰は、
神が全く真実であり、全く力があり、
全く誠実で美しいと固執して動かない。
この様な犠牲を神は喜ばれるのである。
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イエス様は弟子たちに言われた。
「もし、私に仕えようとする人がおれば、
私の父は、その人を尊ばれる。」
(ヨハネ12-26)
イエス様の近くにいる人を父なる神は、
その人を喜ばれるだけでなく、尊ばれる。
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私達はとかく、主ご自身を喜ばせる、楽し
ませる為、というより、むしろ自分の
必要を満たすために主を求める傾向が、
ないでしょうか。そうであってはなりま
せん。
私達は、ただ両親を喜ばせたり、奉仕する
事には、いっこう無頓着な、利己的な子供
を、誉める事はしません。(ハドソン・テ-ラ-)
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多くの人が、み言葉を、ただ神の言葉とし
て受けています。彼らは、み言葉において
神を捕えるという意味が分からないのです
カギは、これを用いて戸を開くまでは、
その用をなしません。神ご自身との生きた
交流なしには、神の言葉は役に立たない
のです。
信仰は、み言葉において、神を捕えるもの
です。そして、神ご自身を与えられてこそ
私達は、それができるのです。
信仰とは神との親交です。
神への明け渡しです。
「キリストの御霊」(アンドリュ-マ-レ-著)より
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逆に、神様が最も嫌われるもの、それは
「神でないものを、神とする」事であり
三位一体の神、以外のものを拝する行為
です。(参照;ローマ人への手紙1章)