聖書と共に

私は、自分のぶどう園を守らなかった

今日も雅歌からです。
雅歌を読む時には、誰が言っている言葉
なのか、色違いのマーカーで識別しないと
混乱します。又、良い解説書が必要です。

「エルサレムの娘達よ、
 私は黒いけれど美しい。ケダルの天幕の
 様に、ソロモンのとばりの様に。
 私が日に焼けているので、日が私を焼い
 た為に、私を見つめてはならない。
 私の母の子らは怒って、私にぶどう園を
 守らせた。
 しかし、私は自分のぶどう園を守らなか
 った。」

上の文章を読んでも、分かりにくい。
そこで注解書です。
「主イエスとの一致と交わり」(ハドソンテ-ラ-)
「雅歌霊解」(バックストン)からです

ケダルの天幕とは、アラブの遊牧民が使っ
ている黒い天幕で表面は真っ黒な天幕です
ソロモンの戸張とは、絹や金で織られた
美しいとばりの事です。

この、田舎の貧しい娘は活発な娘だったの
か、兄からの罰でぶどう園を見張りをさせ
られたので、日に焼けて顔は黒くなった。 
しかし、私の心は美しいと言っている。

「私は、自分のぶどう園を守らなかった」

今まで毎日の祈りと聖書を読む事によって
養われる、自分のぶどう園、これを怠って
来たことを知って、自分の不足を感じ、今
、自分の失敗、罪を見ます。

今日の活発な行動力は、人々を熱狂的な
奉仕へと駆り立てるかもしれません。
その結果、主との人格的な交わりが、
おろそかにされるのです。その様な、
主との交わりの軽視は、私達を無力な者に
しがちです。

他人の魂の事のみに気を使って、自分の魂
を、おろそかにするならば、自分が、どん
なに無力であるかを知って失望するでしょ
う。主も又、私達に失望されるのです。

私達が、どの様な状態にあるか、という事
は、私達が何を成しているか、という事
よりも、はるかに大切です。

「私はぶどうの樹、あなた方は、その枝で
ある。もし人が私につながっており、又、
私が、その人とつがっておれば、その人は
豊かに実を結ぶようになる。
私から離れては、あなた方は何一つ出来な
いからである。
人が私とつがっていないならば、枝の様に
外に投げ捨てられ枯れる。」(ヨハネ15-5)


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