聖書と共に

キリストへ

私は1970年に就職、化学工場で3交代生活。
その後、転職を繰り返し4社目に入社しつつも、
又、止めてしまうのではないか心配で夢にまで
出てくる様。
その頃、父親が急に他界し、失望落胆の中でした。この頃、キリスト教のラジオ番組『朝の光』
を毎日聞いて、いつか教会へ行ってみようと思っていた所、教会の案内ビラをもらいました。
ドキドキしながら小さな教会へ。
教会では牧師先生の聖書のメッセージがあります。
罪について教えられながら、心の中では『イエス様を十字架につける程の罪人ではない』と思い、
洗礼も先伸ばし。
しかし、だんだんと分かつて来たのは『神様はおられる。キリストは神であり、父なる神様、聖霊なる神様と天地を造り、私を造った方だ。』
その神様を私は無視して生きてきた。これ罪だ!。
イエス様は十字架に、ご自身をさざげて、私の代わりに死なれた。
『罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私達の主キリストイエスにある永遠の命です。』ローマ6-23
1976に洗礼を受け、その後、上がったり下がったりの信仰生活。イエス様の哀れみにより生きています。

コメント一覧

鬼雷
イエスは、愛を開く。そして、愛を受けた存在は、イエスの本質を信じるのみ。
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