まさむらのブログ

年寄りです

三日間

2019-11-01 21:37:32 | 雑記
 10月29日から10月31日までは激動の3日間。

 私事ですが、妻の父親(私の養父)が10月29日に逝去いたしました。

 謹んでご報告いたします。

 実は10月8日に慢性脳膜下血腫で入院手術。

 手術は成功し、数日間リハビリ。

 脳は問題なかったんですが、食事や痰がのどに。

 誤嚥性肺炎で様態が悪化。

 入院先の病院から呼び出しがあり、家族で慌てて病院に。

 容態は持ち直したんですが、意識が。

 人工心肺(?)で強制的に肺に酸素を。

 それで肺は問題ないのですが、あとは心臓が持つかどうかだと。

 この時、妻は覚悟していたんでしょう。

 医者から状況の説明を受けた際に、延命治療を断りました。

 心臓マッサージもしないでよいと。

 ただ、父の手を握って「頑張ったね」と送りたいと。

 その後、問題ない日が2週間。

 で、29日に妻の携帯に様態の悪化を知らせる電話が。

 妻から私も連絡を受け、9時から有給を取り病院に。

 妻と母と叔父夫婦が先着。

 私が着いた時には、父の容態は安定。

 不整脈出ているんですが、血圧は低めながらも安定。
 
 その後、12時前までは良かったんですが。

 12時ごろから心電図の波形が乱れ、血圧も低下。

 というか、血圧は測定不能の状況に。

 12時15分くらいに心電図の波形が一直線に。
 
 主治医が12時40分に死亡確認を。

妻の宣言どおり、皆で手を握り見送りました。

 で、30日の午後6時からお通夜。

 31日午前11時から告別式を。

 母親が喪主ですが、実際には妻が気丈にも頑張り式を執り行いました。

 私は手助けだけ。

 情けないといわないでください。

 妻が、自分の父親だとしてふるまったんだと。

 ですが、告別式の最後に生前の父親の写真を編集した画像が。

 幼少の息子を抱いた写真で、妻が泣いていました。

 かく言う私も涙が。

 今日は、妻はパートということで有給がなく学校に。

 私が、市役所に行き残った手続きの確認に。

 5日にできる手続きを行おうと思います。

 年金の方は11月15日に予約を。

 これも私が母親を連れて行き手続きを行うことに。

 母親も痴呆症が。

 良い時と悪い時が交互に。

 最近は悪い時が多いような。

 心配です。