遭難していた。
正確にいうと遭難しかけていた。
標高約500メートルの小さな山だ。
一日のスケジュールを終え、
山の上で解散して、
一人で山路を下り始めた。
山路を登るのなら、
夏目漱石の草枕。
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
兎角に人の世は住みにくい。
私は、山路を下りながら、こう考えた。
下っている途中、
小さな小道があった。
いつものように帰らないで、
この小さな道を下ってみよう。
どうせ、下っていけば、
ふもとに着くはずだ。
どんな山でも、
道を下ればふもとに着くと
簡単に考えていた。
この思いつきは、
困難への入り口だった。
着いたのは、ふもとではなく、
谷だった。
小川が流れている谷だった。
あれっ、谷だ。
せっかく下ったのに、
また、山を登らないといけない。
登って下ったら、
また谷なのだ。
あたりは暗くなり始めていた。
少し疲れた。
少しパニックにもなった。
いったい
どうすればいいのだろう。
私は、はじめて知った。
山には、谷がいくつもあるということ。
どんな山でも、そうなのだろう。
焦りながらも、
一つのことを思いついた。
来た道を帰ろう。
そうだ、
もと来た道に帰ろう。
やっとの思いで、
最初の登山道に
戻ることができた。
この思いつきは、
正解だった。
良かった!
心の中でバンザイした。
正確に書くと
義歯倭人伝。
妻から、
入れ歯のことは
書かないほうがよいと
警告に近いアドバイスをいただいた。
お年寄りに思われると言った。
でもすでに、
私たちは、お年寄りではなかろうか。
入れ歯という表現より
義歯のほうが、
若く聞こえるので、
これでいきます。
歯医者さんに行って
義歯を作ってもらった。
入れた後の違和感は半端ではない。
ところが、ところが、2〜3日すると
この違和感はなくなり、
自然に受け入れられるようになる。
受け入れようとしなくても、
すでになじんでいるのだ。
人の体は、ユニークだ。
現在、世界は、
さまざまな状況に直面している。
今までの生活からすると
とんでもない違和感ということになる。
ところが、ところが、数日すると、
その状況を受け入れて、
その状況に合わせて考え、
行動するようになる。
結局のところ、
決して楽観主義ではないが、
どんな状況であっても、
なじんで、普通に生きている。
魏志倭人伝の時代の人も
そのように生きていたのだろう。
義歯はないにしても。
遊園地の乗り物が苦手だ。
いつか、孫を連れて
動物園に行った。
そこに、動物園なのに、
私にとって必要のない観覧車があった。
その時、孫が
観覧車に乗ろうと言い出した。
(小さな観覧車)
しかたなく、一緒に乗った。
ところが、孫が揺らし始めた。
私は、できる限り
平静をよそおい、
「そんなことをしたら危ないよ。」
と言った。
多分、顏は、
引きつっていたと思うが、
孫にはわからないはずだ。
この時ほど、
早く地上に着きたいと
思ったことはなかった。
孫との付き合いにも
勇気がいる。
スーパーで買い物をして、
レジ袋に買ったものを
詰めていた。
すると、
一人の女性が私の方を見て、
一生懸命、
自分の髪をさわったり、
顔を近づけたり、
目を大きくしたり、
細めたりしているのです。
何ということでしょう。
直線距離で、
50センチぐらいです。
私は、この人のことを全く知りません。
実は、
私とその方との間には、
ガラスの壁があります。
そのガラスの壁は、
昼間は、外側からみると、
内側にいる人は見えないで、
鏡の状態になっているのです。
その方は、鏡に自分が映るので、
自分の顔や髪を見ていたのです。
その方は、お店の内側から、
自分の姿が、
ハッキリ見えていることを
知らなかったのです。
その時、私は、思いました。
結局、
人が一番気にしているのは、
自分だということです。
ということは、
人の目を、あまり、
気にしなくていい。
と思いました。
同情の余地はない。
裁判で、同情の余地はないと
言いながら、
判決を聞くと、
同情の余地だらけというのが、
裁判にはよくある。
大騒ぎするわりには、
判決は、甘い。
僕は幼い頃から、
なんでも美味しいものは、
誰よりも食べたいという
情熱を持っていた。
夏になるとよくスイカを食べた。
ところが、
姉は、
スイカが大の苦手で食べられない。
そこで、母は、姉には、
スイカの代わりに
桃を買っていた。
そのアイデアは良かったが、
問題があった。
実は、姉の弟、すなわち僕。
僕は学年が二つ下なので、
どうしても、
早く家に帰って来る。
母を悩ませたのは、
どうしたら、
桃が、僕に見つからないようにするか
であった。
母も仕事をしていたので、
早く帰ることはできない。
僕は学校から帰って来て、
さっさと
自分の分のスイカを食べる。
はたして、
桃はどこに隠しているのか?
この犯罪も同情の余地はないが、
「見つかったら、仕方がない」と、
母の判決は甘かった。