敬宮殿下の初々しくも、ご立派なお姿を映像で拝見しまして、感無量なシロガネです。
お名前の通りお雛様のような愛らしさ。
20年前に当日、東宮妃殿下に抱かれて、初めてお姿を拝見したのが、夢のようです。あんなに小さい宮様が、今日は、正装に身をつつまれて、多くの国民から祝福を受けられるのですから、一国民としてほんとうに嬉しいばかりです。
紀宮様のティアラをお借りしてとの事ですが、サイズが合っていないのかな・・・・と
ちょっと気になっていましたが、吹雪さんの説明でなるほどなと、納得しました。
確かにピッタリ合っておりますが、でも可愛らしいです。十分にお似合いです。
背景も椿?でしょうか、丁度お花が咲いていて超グットタイミングです。花も敬宮様を祝福しているのでしょう。皇室のご慶事を素直に喜べる事がやっと出来ます。
背景も椿?でしょうか、丁度お花が咲いていて超グットタイミングです。花も敬宮様を祝福しているのでしょう。皇室のご慶事を素直に喜べる事がやっと出来ます。
テレビを見ると老若男女皆喜んでいる姿を見ますと、これが皇室と国民の貴い絆であると思うのです。
高輪仙洞御所へご挨拶に行かれる敬宮様をお出迎えの人達
「見たぞ俺も!」
・・・・・この少年達は将来、敬宮様のお婿さん候補・・・・
兎に角、秋篠宮皇嗣家の一連の出来事には疲れ果てましたから、今はこうして、敬宮様の晴れの姿を拝見して疲れた心を癒しております。
宮殿・梅の間で祝賀を受けられる両陛下と敬宮殿下。
上着無しのローブデ・コルテ姿。
上着無しのローブデ・コルテ姿。
国の代表の人達を前にされても、臆する事なく
立ち振舞いもしっかりなさっていらっしゃって。
因みに・・・・
大正11年9月に当時の東宮でいらした、昭和天皇との『納采の儀』の後に勲一等宝冠章を賜った香淳皇后(19歳)
ちょと変わったデザインのティアラとシンプルな3連の真珠のネックレスをつけられていらっしゃいます。
敬宮様にお似ましでいらっしゃる・・・・と言いたい所なのですが、悠仁親王殿下に本当にそっくりで、ビックリ!!
香淳皇后の御血筋はお強い❗
『納采の儀』当日の香淳皇后。当時は、久邇宮良子女王。ご実家の久邇宮邸にて。ローブデ・コルテに薔薇の造花(多分)を左腰に付けられて。
話がそれてしまいましたが、
敬宮様がお持ちの扇子は、
松に鶴図扇子
高松宮喜久子妃殿下が貞明皇后より御拝領され、お持ちでいらした扇子と同タイプと思われます。骨は象牙、親骨には蒔絵で菊の御文と松に鶴が描かれています。
高松宮喜久子妃殿下が貞明皇后より御拝領され、お持ちでいらした扇子と同タイプと思われます。骨は象牙、親骨には蒔絵で菊の御文と松に鶴が描かれています。
扇面は旭日と鶴と松のお目出度い絵が描かれております。
因みにこちらは明治時代に、昭憲皇太后より梨本宮伊都子妃への御下賜の扇子です。
高輪仙洞御所は長年、喜久子妃殿下がお住まいでいらっしゃった事は、ご存知の方も多いでしょう。
故・高松宮喜久子妃殿下(八十歳のお誕生日写真)
妃殿下がお持ちになられている、象牙の骨にレースの扇子
妃殿下は敬宮様がご誕生された時はことのほかお喜びでした。
『婦人公論』にお祝いの手記を書かれ、お祝いの和歌もました。
新宮様ご誕生の当日に妃殿下は、
“めでたさを 何にたとへむ 八年(やとせ)へて この喜びにいましあふとは„
その1首を始めとする和歌を3首を披露されました。
今日の晴れのお姿の敬宮殿下が、喜久子妃殿下がお住まいであった高輪仙洞御所へご挨拶に行かれる・・・・。妃殿下のご生前には宮様はお目にかかる機会がなかったとの事ですが、でもこうして20年越しにご挨拶に行かれるような・・・・そんな感じです。
その際に“大層慈愛深い„評判でいらっしゃる上皇后様が、喜久子妃殿下のお写真を飾って、敬宮様をご挨拶されるような、そんな行き届いたお心遣いをされたのかも知れません。いえ、多分、なされたでしょう。
“慈愛の美智子様„ですから・・・・・。
昭和5年7月10日に英国のバッキンガム宮殿で国王両陛下に御挨拶される『コート』に参列された高松宮喜久子妃殿下。
お召しになっているのは、大礼服と呼ばれる、“マント・ド・クール„です。
この時に着用された“トレーン„です。3メール位の長さがありまして肩に掛けて引くのです。
『コート』に列席された時にお持ちになられた象牙の骨にダチョウの羽扇子
こちらはお写真
ご成婚の時の高松宮両殿下
妃殿下が当日に着用された、ローブデ・コルテ。象牙色に銀糸で八重菊を織り出し、当時の流行で裾は足が見えるタイプです。現代のものとは違いますね。
現在のローブデ・コルテは龍村織物で作られているようで、本来は帯地ですから、皇室の衣装に目の越えた人達は見ると、生地は硬い印象があるのでしょう。柔らかい絹地もお使いになられても良いのではないのでしょうか?
高畠華宵 『おとづれ』