こんにちは。
ようこそお越しくださいました。
ありがとうございます。
日本の素晴らしさ、
日本人の誠実な姿勢が海外で評価されています。
私たちは、その事実を知ることにより
『自虐的歴史観』『反日思想』を
切って捨てなくてはいけません。
中国では、破壊と闘争の歴史を今も続けています。
他国を侵略し、
奪うことばかり考えている中国を
友好国として心を許してよいのでしょうか?
『朱に交われば赤くなる』
と言うことわざがありますが、
『日本に反省しろ』
『日本人は悪い人間なので、殺しても何をしても良い』
そんな教育をしている国に、
こびへつらうことは恥ずべきことです。
反省しろと言う前に、
中国共産党が数千万人を粛清した事実を
反省するべきであり、
現在もチベットや新疆ウイグルやモンゴルで
行っていることを即刻やめるべきでしょう。
朝鮮でも、独立国家として体裁を取っていますが、
歴史上ほとんどが中国の植民地の有様でした。
『日本のせいで、朝鮮は良くなれない』
という理論は成り立たないことです。
国内の不平不満から目をそらさせたり、
金をたかるために日本を貶める事実無根の
慰安婦問題をでっち上げたり、
日本の領土である竹島を占領し
日本より偉くなったと示したいのではないのでしょうか。
日本より偉く素晴らしいのであれば、
日本に頼らず自国の力で頑張ればよいと思います。
戦後のどさくさに、韓国で事業をしていた日本人を強姦し、
皆殺しにして財産を全部取り上げたのは誰でしょう。
なぜ日本の駅前に、
朝鮮人の経営するパチンコ屋が日本全国にあるのですか?
行方不明になったり、
死んでしまった日本人は数千人といわれています。
大量虐殺をした国だけが、
虐殺の実態が分かりますから捏造できます。
虐殺をしたことのない国は、
そのような経験がないため分かりません。
慰安婦問題も、
そのようなことをしていた国であるからこそ、
本当のことのように言いふらすことができるのです。
韓国は、中国の植民地であり売春の国であり、
2000年代に入りようやく売春禁止法ができましたが、
日本ではなくなった赤線が、まだあると聞いています。
そのような国の言うことなど聞く必用はありません。
ただ悲しいことに、
政治家や企業の偉い人やマスコミやいろいろな団体が、
ハニートラップとナネートラップに掛かっているため、
それらの国の言いなりになり
国を取られようとしているのです。
普通に見ておかしいのは、明らかに分かります。
考えを変え、流れを変えなくてはいけません。
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英国最大の鉄道計画に日立が切り込めたワケ【上】
東洋経済オンライン 10月24日(水)11時16分配信
今年7月に英国の都市間高速鉄道(IEP)を正式受注した日立製作所。IEPの総事業規模は5500億円で、英国の鉄道史上最大規模となる。運行開始は2017年の予定だ。日立は596両の車両を納入し、30年間のリース事業を手掛ける。英国内に新工場を建設し、車両の現地生産を行う計画である。
まさに「官民一体となったインフラ輸出の成功例」となったわけだが、当初は日立社内でも「世界の鉄道ビッグスリー(カナダのボンバルディア、仏アルストム、独シーメンス)を相手に勝てるはずがない」との見方が大勢だった。
そんな逆境の中、日立はどうやって今回の歴史的受注にこぎ着けたのか。今年8月まで現地で鉄道輸出の最前線に立ってきた植田千秋さん(8月末まで日立レールヨーロッパ会長、9月から日立製作所交通システム社シニアアドバイザー=下写真=)に、インフラ輸出の舞台裏を聞いた。
――英国の鉄道輸出プロジェクトはいつ頃、どのようなきっかけで始まったのでしょうか? そこに植田さんがどういう形でかかわってきたのかも含めて教えてください。
英国のプロジェクトを始めたのは1999年。そのときからかかわってきたというか、「やらせてくれ」と言ったのは私のほうなんです。当時、社内でもグローバル化が叫ばれていまして、一方の英国では民営化によって鉄道事情が混乱していた。英国は古い車両が多く、遅延や不良など多くの問題が起きていました。そういうこともあって、ヨーロッパに進出しようということを考えたわけです。
なぜ欧州かというと、世界市場の半分は欧州であるということが1つ。それから、日立の付加価値のある製品が適した市場は欧州ではないか、ということもあって欧州に目をつけました。その中でも、自国以外から鉄道を購入している比率がいちばん高いのが英国であることから、英国に進出しようと考えた。当時の英国は鉄道事情が混乱していましたし、新幹線に代表される日本のシステムの信頼性は世界でも認められていた。競争力ある価格を提示すれば受注は取れるんじゃないかと思ったからです。
しかし、ご存じのように英国は鉄道発祥の地でして、「それはムリだろう」と社内でもいろいろ意見があった。「ファーイーストにあるメーカーの車両が英国で完成車として売れるわけがない」というようなことも言われましたが、とにかく市場性を説明して、始めさせていただき、現地にも駐在させていただいた。
最初は2回続けて失注したんですよね。非常に信頼性の高いシステムを競争力ある価格で提示しているのにもかかわらず失注した。社内でも「そら見たことか」という感じはあったんですけれども、やはり単に日本で実績があるからということだけでは通じないなと。そこから、いろいろまた考えました。
2回続けて失注して「どうしてか」と、あるお客さんのトップに聞いたら、「確かに日立の提案はすばらしいし、日本での実績もすばらしい。そこはよくわかる。しかし、日本と環境が違うところでちゃんと走れるのか。発注するのはリスキーだ」と言われました。そこで、われわれの費用で電機品、つまり駆動装置のインバーターとモーターを向こうの古い車両に載せてテストさせていただいた。安全認証などを計画どおりに達成して、無事故で無事に試験を終えたことで、認められるようになりました。
それと最初2回失注して感じたのは、どうも表で言っていることと本音は違うんじゃないかということ。われわれが一所懸命に情報収集しても、日本人ではちょっとムリがあるのではないか。そう考えて、ローカルのマネジャーを雇いました。
もう1つ言われたのは、「日立が入札してプロジェクトを受注したとしても、本当に英国で長期的に事業をやるのかハッキリしない」ということです。われわれとしては、車両を納めるだけじゃなくて、メンテナンスも行い、長期的に車両の寿命が来るまで責任を持ってやるんだというコミットメントも合わせて行った。(受注獲得までのポイントを挙げるなら)こういったところですかね。受注するまで5年かかりましたけど。
――日立のグローバル展開という課題があって、鉄道事業では英国をまずターゲットに進めたということですね。英国をスタートさせたのは99年ですが、植田さんは、これまで鉄道の海外展開にどういう形でかかわってこられたのですか?
私は入社以来、鉄道(部門に所属)でして。最初は水戸事業所に設計で入ったんですが、82年ごろに東京に来て、輸出の手伝いをしていて、南アフリカに駐在をしたんですね。当時、南アには石炭運搬用の電気機関車を納めていて、そのプロジェクトをまとめていた。その後、ものすごい円高になって、もう輸出はムリだということになり、その後は国内で仕事をしてきました。
ところが、2000年を目前にして、再びグローバル化を進めようということになって……。80年代の円高の影響で国内に事業をシフトしたこともあって、輸出をやっていた人間も私ぐらいしか社内にいなくなっていたので、私が中心になってやることになったんです。
――最初から英国がターゲットだったのですか?
東南アジアとか、いろいろ市場は考えられるんですけれども、長期的にやるには車両だけの競争になってしまうと、つらい。そこで、難しいんだけれども、欧州をやるべきではないかと。
ビジネスモデルも単に製品を売るだけじゃなくて、メンテナンスもやっていく。品質のいい信頼性の高い製品を納めることができれば、メンテの事業の利益率もよくなる。反対に製品が悪いと、メンテは悲劇的なことになってしまうんですが、製品がよければ、1つのコア技術からビジネスが広がるんじゃないかと。そういうふうに考えて、車両だけでなくメンテナンスもやれる欧州市場は難しいけれども、やる価値はあるんじゃないかと。
というのは、鉄道事業はデコボコがあるんですよね。たくさん受注をいただける期間と、しばらく何もない期間とがあって、経営が難しい。ベースになる事業、つまりメンテナンスを何とか成立させていきたいと思っていた。
――その難しい欧州市場で、しかも社内的にも「できるはずがない」という声があった。それでも、「やれるだろう」と考えたのは、なぜですか?
南アに駐在したときも、欧州の強豪であるシーメンスやアルストムと戦って、何度も注文をいただいていましたし。技術的には十分勝てるという自信はあったんですね。
――日立の技術的な優位性は、どういったところにありますか?
信頼性と品質ですね。クオリティ。それから納期をきちんと守るとか、お客さんと価値を分かち合うといった精神が、欧州のメーカーにはちょっとないところで……。そこが日立が認められた1つの要因ではないかと思います。
――お客さんと価値を分かち合うというのは?
大きくなった会社にありがちなのは、「うちのこういう製品をこういうスペックで、こういう納期なら売ってやる」というような意識。そういうことではなくて、お客さんの要求をできるだけ大きく取り入れる。そうすると結果的に新製品になってしまうんだけれども、お客さんの要求を受け入れて設計する。そういった思想ですね。
――英国で最初2回続けて失注したのは想定外でしたか?
日本の信頼性と競争力のある価格を提示すれば取れると思ってたんですけど、欧州は単にプロジェクトを買うだけではなく、長期ビジョンできちんと現地で長く事業をやってくれるのかという視点で、つまり発注の視点が(想定とは)ちょっと違っていた。
それから、鉄道というのは製造規格というのがあって、英国の鉄道などは歴史も古くて1つの文化になっているんですね。日本には立派な新幹線があるといっても、向こうで本当に日本と同じ信頼性でちゃんとできるのかというのがお客さんの疑問で。それで、日立の鉄道は「ペーパートレイン」と揶揄されてしまった。
要するに新幹線といったって、日本の規格で日本の枠組みで日本の環境に合ったシステムだろうと。日本の新幹線は40年の歴史があるからこれでいいだろうというのではダメで、欧州、英国の規格にきちんと合致していることを証明しなければならない。それをやらなければ、注文は取れない。
――そこで古い車両に装置を載せて、できることを証明したんですね。
リース会社がパートナーとして(協力してくれた)。ご存じのように英国は鉄道資産を保有しているのがリース会社なので、そのリース会社が持っている古い車両、つまりリース会社にとっては、もうおカネを稼げなくなったような古い車両を提供していただいて、われわれの電機品を積んで走らせた。これが計画書どおりにオンタイムで、難しいと言われていた安全認証もきちんと取れたので、日立が言っていることは間違いないという評価をいただくことができた。
――これをきっかけにして、現地の見方も大きく変わってきた。
ええ。それから全然見方が変わった。それと、ローカルの人材もその頃には、すでに雇っていましたので。ネットワーキングというか、お客さんの情報量も変わってきたし、お客さんとの交渉の仕方も変わってきた。そういう両面があったと思います。
――情報を取るのは、日本人では限界がある?
欧州だけでなく、どこでもそうかもしれないが、本音と建て前をかなり上手に使い分けますので、本音のところの情報は、やはり日本人では難しいですよね。われわれだって外国人が入っているときと、日本人だけで話しているときとでは中身も変わるでしょうし。だから、日本人には言いづらいようなことも絶対あると思うんですよね。たとえば、パブで飲んで、言っているニュアンスから感じ取るところもあるでしょう。そういうのは、日本人には難しい。
――実際に2回失注したわけですが、そのときに、どういった点で具体的に本音と建て前が使い分けられていると感じましたか?
たとえば、われわれが製品のPRやプレゼンテーションをしますよね。そうすると、彼らは必ず褒めるんですよ。「ビューティフルだ。すばらしい、ぜひ買いたい」と。じゃ、どうだったかというと、違うんだ、本音は(笑)。「ああ言ってるけれども、あいつら本当にできるのかな」というところがあるんですよ。でも、そこはジェントルマンですから、言わないですよね。そういうことは、しばらく経ってみないと、わからない。
ですから、プレゼンテーションでほめられて、その気になっていると、とんでもないことになってしまう。そのあとパブに行って、ビール2~3杯くらい飲むと、「いや、実はあれだけじゃダメだよ」ってなことが出てくる。つまり、日本人じゃダメで、やはり英国人のほうが情報は得やすい。どこでもそうかもしれないですけど。
――南アでは勝ったり負けたりということでしたが、英国と違って情報もうまく取れていたということですか?
南アは当時、お客さんが割とエンジニアだった。日本のJRさんを相手にするのと同じで、お客さんと1対1の関係だったんですよね。だから、交渉もけっこうシンプルだった。英国は、ご存じのように民営化した後、リース会社が入り、オペレーターがいて、安全監査の人がいてと、ものすごく複雑な関係がある。非常に関係者が多いですから、それだけ契約も複雑で。
――IEPの案件は一時凍結になりましたね。
英国で政権交代が起きて、日本と同じ「事業仕分け」、向こうで言うスペンディング・レビューが始まって、労働党政権で行っていたものを全部見直すことになった。IEPのプロジェクトも再入札にかけるべきじゃないかという意見が出て、一時は非常に危なかったんですけど、その後、日本政府の方にご支援いただいたり、当社の弁護士と英国政府の弁護士の間で当社の正当性を確認して、英国政府にもご理解していただき、いったんはやり直しになりかけたところを交渉再開までこぎ着けた。その後、英国政府も11年内には契約したいと宣言してくれたんですが、結局その年のクリスマスまでに終わらなくて、正式契約は今年の7月までかかってしまいました。
――日本政府の支援が生かされた部分もある?
そうですね。それと国際協力銀行(JBIC)さんのローンは規制上、以前は途上国向けしか許されていなかったんですが、日本の高速鉄道の海外進出を支援するということで、先進国にも適用できるようにしていただいた。IEPも、その対象になりましたので、政府、それからJBICさんのご支援は非常に大きかった。
――IEPの前には、高速鉄道「クラス395」(09年運行開始)の案件がありましたが、政府支援はいつから?
これはIEPからですね。クラス395のときは日立単独でやりました。これは、われわれが車両を納めてメンテナンスもしていますが、ファイナンスはリース会社でしたので。もちろん、現地の日本大使館などにはいろいろとご支援をいただきました。
(聞き手:長谷川 高宏 撮影:今井 康一=東洋経済オンライン)
【下】に続く
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2000年代に入りようやく売春禁止法ができましたが、
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政治家や企業の偉い人やマスコミやいろいろな団体が、
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英国最大の鉄道計画に日立が切り込めたワケ【上】
東洋経済オンライン 10月24日(水)11時16分配信
今年7月に英国の都市間高速鉄道(IEP)を正式受注した日立製作所。IEPの総事業規模は5500億円で、英国の鉄道史上最大規模となる。運行開始は2017年の予定だ。日立は596両の車両を納入し、30年間のリース事業を手掛ける。英国内に新工場を建設し、車両の現地生産を行う計画である。
まさに「官民一体となったインフラ輸出の成功例」となったわけだが、当初は日立社内でも「世界の鉄道ビッグスリー(カナダのボンバルディア、仏アルストム、独シーメンス)を相手に勝てるはずがない」との見方が大勢だった。
そんな逆境の中、日立はどうやって今回の歴史的受注にこぎ着けたのか。今年8月まで現地で鉄道輸出の最前線に立ってきた植田千秋さん(8月末まで日立レールヨーロッパ会長、9月から日立製作所交通システム社シニアアドバイザー=下写真=)に、インフラ輸出の舞台裏を聞いた。
――英国の鉄道輸出プロジェクトはいつ頃、どのようなきっかけで始まったのでしょうか? そこに植田さんがどういう形でかかわってきたのかも含めて教えてください。
英国のプロジェクトを始めたのは1999年。そのときからかかわってきたというか、「やらせてくれ」と言ったのは私のほうなんです。当時、社内でもグローバル化が叫ばれていまして、一方の英国では民営化によって鉄道事情が混乱していた。英国は古い車両が多く、遅延や不良など多くの問題が起きていました。そういうこともあって、ヨーロッパに進出しようということを考えたわけです。
なぜ欧州かというと、世界市場の半分は欧州であるということが1つ。それから、日立の付加価値のある製品が適した市場は欧州ではないか、ということもあって欧州に目をつけました。その中でも、自国以外から鉄道を購入している比率がいちばん高いのが英国であることから、英国に進出しようと考えた。当時の英国は鉄道事情が混乱していましたし、新幹線に代表される日本のシステムの信頼性は世界でも認められていた。競争力ある価格を提示すれば受注は取れるんじゃないかと思ったからです。
しかし、ご存じのように英国は鉄道発祥の地でして、「それはムリだろう」と社内でもいろいろ意見があった。「ファーイーストにあるメーカーの車両が英国で完成車として売れるわけがない」というようなことも言われましたが、とにかく市場性を説明して、始めさせていただき、現地にも駐在させていただいた。
最初は2回続けて失注したんですよね。非常に信頼性の高いシステムを競争力ある価格で提示しているのにもかかわらず失注した。社内でも「そら見たことか」という感じはあったんですけれども、やはり単に日本で実績があるからということだけでは通じないなと。そこから、いろいろまた考えました。
2回続けて失注して「どうしてか」と、あるお客さんのトップに聞いたら、「確かに日立の提案はすばらしいし、日本での実績もすばらしい。そこはよくわかる。しかし、日本と環境が違うところでちゃんと走れるのか。発注するのはリスキーだ」と言われました。そこで、われわれの費用で電機品、つまり駆動装置のインバーターとモーターを向こうの古い車両に載せてテストさせていただいた。安全認証などを計画どおりに達成して、無事故で無事に試験を終えたことで、認められるようになりました。
それと最初2回失注して感じたのは、どうも表で言っていることと本音は違うんじゃないかということ。われわれが一所懸命に情報収集しても、日本人ではちょっとムリがあるのではないか。そう考えて、ローカルのマネジャーを雇いました。
もう1つ言われたのは、「日立が入札してプロジェクトを受注したとしても、本当に英国で長期的に事業をやるのかハッキリしない」ということです。われわれとしては、車両を納めるだけじゃなくて、メンテナンスも行い、長期的に車両の寿命が来るまで責任を持ってやるんだというコミットメントも合わせて行った。(受注獲得までのポイントを挙げるなら)こういったところですかね。受注するまで5年かかりましたけど。
――日立のグローバル展開という課題があって、鉄道事業では英国をまずターゲットに進めたということですね。英国をスタートさせたのは99年ですが、植田さんは、これまで鉄道の海外展開にどういう形でかかわってこられたのですか?
私は入社以来、鉄道(部門に所属)でして。最初は水戸事業所に設計で入ったんですが、82年ごろに東京に来て、輸出の手伝いをしていて、南アフリカに駐在をしたんですね。当時、南アには石炭運搬用の電気機関車を納めていて、そのプロジェクトをまとめていた。その後、ものすごい円高になって、もう輸出はムリだということになり、その後は国内で仕事をしてきました。
ところが、2000年を目前にして、再びグローバル化を進めようということになって……。80年代の円高の影響で国内に事業をシフトしたこともあって、輸出をやっていた人間も私ぐらいしか社内にいなくなっていたので、私が中心になってやることになったんです。
――最初から英国がターゲットだったのですか?
東南アジアとか、いろいろ市場は考えられるんですけれども、長期的にやるには車両だけの競争になってしまうと、つらい。そこで、難しいんだけれども、欧州をやるべきではないかと。
ビジネスモデルも単に製品を売るだけじゃなくて、メンテナンスもやっていく。品質のいい信頼性の高い製品を納めることができれば、メンテの事業の利益率もよくなる。反対に製品が悪いと、メンテは悲劇的なことになってしまうんですが、製品がよければ、1つのコア技術からビジネスが広がるんじゃないかと。そういうふうに考えて、車両だけでなくメンテナンスもやれる欧州市場は難しいけれども、やる価値はあるんじゃないかと。
というのは、鉄道事業はデコボコがあるんですよね。たくさん受注をいただける期間と、しばらく何もない期間とがあって、経営が難しい。ベースになる事業、つまりメンテナンスを何とか成立させていきたいと思っていた。
――その難しい欧州市場で、しかも社内的にも「できるはずがない」という声があった。それでも、「やれるだろう」と考えたのは、なぜですか?
南アに駐在したときも、欧州の強豪であるシーメンスやアルストムと戦って、何度も注文をいただいていましたし。技術的には十分勝てるという自信はあったんですね。
――日立の技術的な優位性は、どういったところにありますか?
信頼性と品質ですね。クオリティ。それから納期をきちんと守るとか、お客さんと価値を分かち合うといった精神が、欧州のメーカーにはちょっとないところで……。そこが日立が認められた1つの要因ではないかと思います。
――お客さんと価値を分かち合うというのは?
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――英国で最初2回続けて失注したのは想定外でしたか?
日本の信頼性と競争力のある価格を提示すれば取れると思ってたんですけど、欧州は単にプロジェクトを買うだけではなく、長期ビジョンできちんと現地で長く事業をやってくれるのかという視点で、つまり発注の視点が(想定とは)ちょっと違っていた。
それから、鉄道というのは製造規格というのがあって、英国の鉄道などは歴史も古くて1つの文化になっているんですね。日本には立派な新幹線があるといっても、向こうで本当に日本と同じ信頼性でちゃんとできるのかというのがお客さんの疑問で。それで、日立の鉄道は「ペーパートレイン」と揶揄されてしまった。
要するに新幹線といったって、日本の規格で日本の枠組みで日本の環境に合ったシステムだろうと。日本の新幹線は40年の歴史があるからこれでいいだろうというのではダメで、欧州、英国の規格にきちんと合致していることを証明しなければならない。それをやらなければ、注文は取れない。
――そこで古い車両に装置を載せて、できることを証明したんですね。
リース会社がパートナーとして(協力してくれた)。ご存じのように英国は鉄道資産を保有しているのがリース会社なので、そのリース会社が持っている古い車両、つまりリース会社にとっては、もうおカネを稼げなくなったような古い車両を提供していただいて、われわれの電機品を積んで走らせた。これが計画書どおりにオンタイムで、難しいと言われていた安全認証もきちんと取れたので、日立が言っていることは間違いないという評価をいただくことができた。
――これをきっかけにして、現地の見方も大きく変わってきた。
ええ。それから全然見方が変わった。それと、ローカルの人材もその頃には、すでに雇っていましたので。ネットワーキングというか、お客さんの情報量も変わってきたし、お客さんとの交渉の仕方も変わってきた。そういう両面があったと思います。
――情報を取るのは、日本人では限界がある?
欧州だけでなく、どこでもそうかもしれないが、本音と建て前をかなり上手に使い分けますので、本音のところの情報は、やはり日本人では難しいですよね。われわれだって外国人が入っているときと、日本人だけで話しているときとでは中身も変わるでしょうし。だから、日本人には言いづらいようなことも絶対あると思うんですよね。たとえば、パブで飲んで、言っているニュアンスから感じ取るところもあるでしょう。そういうのは、日本人には難しい。
――実際に2回失注したわけですが、そのときに、どういった点で具体的に本音と建て前が使い分けられていると感じましたか?
たとえば、われわれが製品のPRやプレゼンテーションをしますよね。そうすると、彼らは必ず褒めるんですよ。「ビューティフルだ。すばらしい、ぜひ買いたい」と。じゃ、どうだったかというと、違うんだ、本音は(笑)。「ああ言ってるけれども、あいつら本当にできるのかな」というところがあるんですよ。でも、そこはジェントルマンですから、言わないですよね。そういうことは、しばらく経ってみないと、わからない。
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南アは当時、お客さんが割とエンジニアだった。日本のJRさんを相手にするのと同じで、お客さんと1対1の関係だったんですよね。だから、交渉もけっこうシンプルだった。英国は、ご存じのように民営化した後、リース会社が入り、オペレーターがいて、安全監査の人がいてと、ものすごく複雑な関係がある。非常に関係者が多いですから、それだけ契約も複雑で。
――IEPの案件は一時凍結になりましたね。
英国で政権交代が起きて、日本と同じ「事業仕分け」、向こうで言うスペンディング・レビューが始まって、労働党政権で行っていたものを全部見直すことになった。IEPのプロジェクトも再入札にかけるべきじゃないかという意見が出て、一時は非常に危なかったんですけど、その後、日本政府の方にご支援いただいたり、当社の弁護士と英国政府の弁護士の間で当社の正当性を確認して、英国政府にもご理解していただき、いったんはやり直しになりかけたところを交渉再開までこぎ着けた。その後、英国政府も11年内には契約したいと宣言してくれたんですが、結局その年のクリスマスまでに終わらなくて、正式契約は今年の7月までかかってしまいました。
――日本政府の支援が生かされた部分もある?
そうですね。それと国際協力銀行(JBIC)さんのローンは規制上、以前は途上国向けしか許されていなかったんですが、日本の高速鉄道の海外進出を支援するということで、先進国にも適用できるようにしていただいた。IEPも、その対象になりましたので、政府、それからJBICさんのご支援は非常に大きかった。
――IEPの前には、高速鉄道「クラス395」(09年運行開始)の案件がありましたが、政府支援はいつから?
これはIEPからですね。クラス395のときは日立単独でやりました。これは、われわれが車両を納めてメンテナンスもしていますが、ファイナンスはリース会社でしたので。もちろん、現地の日本大使館などにはいろいろとご支援をいただきました。
(聞き手:長谷川 高宏 撮影:今井 康一=東洋経済オンライン)
【下】に続く
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