出会いは三島由紀夫の「サド侯爵夫人」の存在でした。三島の作品を片端から読んでいた1983年大学1年の秋。この戯曲に原作が存在することを知り、「サド侯爵の生涯」を和泉校舎の生協で手にしたのでした。この瞬間から、ドイツ文学専攻に進んだことを後悔し、ひたすら某出版社に就職することだけを考えて大学生活を送りました…。かなりオオゲサですけど。
澁澤先生の原稿取りになるのが夢だったんですよ。編集者になりたいんじゃなくて。ええ、先生の作品の編集者なんて、とんでもないです。原稿を受け取りに伺うだけでよかったんです。中学からの夢だった某音楽出版社に就職することなんて、4年の、本当に就職活動しなくちゃならないときに思い出したくらい重要じゃなくて、ただひたすら出版社と先生の“おつかい”を目指していました。
なのに、あっという間に亡くなっちゃって。
先生には不本意なファンでしょうけど、真剣に憧れていました。
最近は、絶対に読みたい!と思うものしか読まなくなってしまって。久しぶりに澁澤先生の作品を引っ張り出したいと思います。
書いていて泣けてきた…。
今日の1曲 「太王四神記」OSTより東方神起「許し」(2007)
澁澤先生の原稿取りになるのが夢だったんですよ。編集者になりたいんじゃなくて。ええ、先生の作品の編集者なんて、とんでもないです。原稿を受け取りに伺うだけでよかったんです。中学からの夢だった某音楽出版社に就職することなんて、4年の、本当に就職活動しなくちゃならないときに思い出したくらい重要じゃなくて、ただひたすら出版社と先生の“おつかい”を目指していました。
なのに、あっという間に亡くなっちゃって。
先生には不本意なファンでしょうけど、真剣に憧れていました。
最近は、絶対に読みたい!と思うものしか読まなくなってしまって。久しぶりに澁澤先生の作品を引っ張り出したいと思います。
書いていて泣けてきた…。
今日の1曲 「太王四神記」OSTより東方神起「許し」(2007)